メロウ大国!?アンゴラ発祥のアフリカ音楽「KIZOMBA」(キゾンバ)を深掘り!!On J-WAVE SONAR MUSIC
みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?アフリカ音楽キュレーターのアオキシゲユキです。
偶然にもアンゴラのロウレンソ大統領が来日中の3月14日、あっこゴリラさんがナビゲートするJ-WAVEの音楽番組「SONAR MUSIC」に出演させて頂き、アンゴラ発祥のダンスミュージック「KIZOMBA(キゾンバ)」をギュギュっと濃縮&深掘り!皆さんが思い描くアフリカのイメージとはちょっと違う(かもしれない)、あまりにメロウで美しく、そしてなぜだか少し懐かしさも感じるキゾンバの魅力をご紹介しました。
放送を聴いて下さった皆さん、ありがとうございました!そしてまだ聴いてないという方はぜひRadikoのタイムフリー機能でお楽しみ頂けたら嬉しいです。
ちなみに実は今年1月にキゾンバ特集第一弾を書いています。アンゴラという国の概要や、私が愛してやまない女性キゾンバシンガーAnna Joyceに関する内容についてはこちらの記事をお読み頂けたら幸いです。
キゾンバの歴史
キゾンバがどのように誕生したのか。その歴史について今回はSemba(センバ)というアンゴラの伝統音楽を軸に、アンゴラの国民的アーティストであるBongaとPaulo Floresという二人の偉大なミュージシャンの半生を辿りながらご紹介していきます。
時計の針を巻き戻すこと540年ほど前の1482年、大きな船に乗ったポルトガル人達が古代コンゴ王国を流れるコンゴ川のほとりに辿り着きました。ここからポルトガルによる植民地支配が始まっていきます。
現在のアンゴラの一部は当時古代コンゴ王国の領域だったとされ、また、バントゥ族と呼ばれる種族が暮らしていた地域でもありました。そんな彼らの文化を受け継いだアンゴラの伝統音楽はSemba(センバ)と呼ばれています。
センバはアンゴラの人々にとって、日々の生活や社会的イベント(お葬式からお祭りまで)には不可欠なものでした。伝統的なセンバ音楽は現在アンゴラの公用語であるポルトガル語ではなく、バントゥ族が話すキンブンドゥ語で歌われます。ちなみに現在のポップソングとしてのセンバはキンブンドゥ語の曲だけでなくポルトガル語の曲も多くリリースされています。
実はこのセンバという伝統音楽がキゾンバのルーツのひとつであり、またキゾンバだけでなくKuduro(クドゥーロ;アンゴラ発祥のアップテンポなエレクトロミュージック)、そして更には皆さんもご存知ブラジルのSamba(サンバ)のルーツでもあるのです。
それではこのセンバを現代に受け継ぎ、更にキゾンバへと昇華させたBongaとPaulo Floresをご紹介しましょう。
Bonga
Bonga(ボンガ)は1942年アンゴラ生まれ。アンゴラの伝統音楽センバを世界に広めた国民的アーティストです。
彼は15歳から音楽活動を開始。23 歳のときにアンゴラを離れポルトガルでなんと陸上選手として活躍!当時400m走のポルトガル記録保持者だったそうですが、次第に陸上競技から離れ音楽活動に注力していきます。
この当時(1970年前後)のアンゴラは、ポルトガルからの独立を果たす為に組織された3つのゲリラ軍とポルトガル軍が互いに思惑が入り混じる複雑な関係性の中で激戦を繰り返していた時期でした。
以前からアンゴラの独立を支持していたボンガ。陸上のスター選手だっただけでなく、音楽活動を通してアンゴラ独立のメッセージを発するなど目立つ存在だったので政府からは目を付けられ、最終的にオランダへと追放されます。その追放先のロッテルダムでレコーディングした1stアルバム「Angola 72」は、ポルトガル在住のアフリカ系移民だけでなくポルトガル人にも人気となり、更には世界的にも知られるようになった名盤です。しかし「歌詞が扇動的」という理由で逮捕状が出され、最終的にアンゴラが独立を果たしたカーネーション革命の翌年1975年までドイツやフランスなどで逃亡生活を送ることに。独立後はリスボン・パリ・アンゴラを拠点に活動してきました。
念願の独立を果たしたアンゴラでしたが、独立戦争を闘った3つの組織は利害が揃わず、互いを敵とみなして血みどろの内戦へと発展。政治の腐敗と横行する暴力、終わりのみえない内戦と果てしない貧困が続きました。そんな悲惨な状況をボンガはストレートに歌詞で表現し、政治指導者達を厳しく批判。平和を願う国民の心を音楽とメッセージで支え続けたボンガは、アンゴラの人々にとって国民的ヒーローでした。また彼はアンゴラ音楽を世界に広めた重要な存在でもありました。
「Dikanza(ディカンザ)」と呼ばれる竹製の楽器を演奏しながら歌うBonga。ラテン音楽でよく使用されるギロに近い奏法の楽器ですね。
今回のテーマである「メロウ」に重きを置くなら、私の推し曲は「Maria Casputo」です。Bongaの曲でも割と珍しい90年代らしいシンセサウンドが印象的なバラードで、現代のキゾンバに近いテイストが感じられます。
Paulo Flores
Paulo Flores(パウロ・フローレス)は1972年アンゴラの首都ルアンダ生まれ。幼少期をリスボンで過ごしています。
ボンガと共にアンゴラを代表するセンバ&キゾンバのアーティスト。1988年に1stアルバムをリリースして以降、数多くの作品を残しています。
植民地支配からの独立そして内戦により、自らのアイデンティティを表すことが非常に困難だった時代から、音楽によって貧困による庶民の苦しみや政府に対する厳しい批判、アンゴラ人としての誇り、そして未来への希望を歌い続けてきました。Bongaと同様にアンゴラ伝統音楽センバにポルトガルやブラジルの音楽を織り交ぜて、現代的なセンバを紡ぎ出し国内外の様々なアーティストとも積極的に共演を果たしています。
OAでご紹介したのは「Semba de Acalanto」という曲。2017年リリースのアルバム「Kandongueiro Voador」に収録曲。なんとオシャレでモダン。
ところで、センバってどんな音楽?そうですよね、もう少しセンバに近づいてみる必要があります。そのために今回のOAでご用意した企画は、アンゴラの「センバ」とポルトガルの「ファド」、そしてブラジルの「ショーロ」の聴き比べでした。
まずはBongaの初期作品で名盤といわれる「Angola72/74」(元々72と74は別なアルバム)から、センバ曲「Paxi Ni Ngongo」です。スローなパーッカッションのリズムに乗せて歌うBonga、すこぶるむせび泣いてます。
続いてこちらはポルトガルのファド。名曲「Maria Risboa」を歌うAmália Rodriguesはファドの女王とも呼ばれています。
この曲、どこかで聴き覚えありませんか?そう、実は久保田早紀さんが歌った昭和の名曲「異邦人」の元ネタになったと言われています。そうです、子供たちが空に向かい両手を広げながらむせび泣くのです。
そして最後はブラジルの「ショーロ」から名作曲家でありマンドリン奏者だったJacob Do Bandolimで「Sempre Teu」という曲。
ポルトガル語に「chorar」(ショラール)という動詞があって、例えば英語でいうところの「I cry」は「Eu choro」となります。つまりショーロとはまさしく泣きの音楽。我々にむせばない日はない。諸君、今夜もむせぼうぞ。
このようにポルトガル語圏のアンゴラやブラジルの音楽は、それまで代々受け継がれてきたアフリカの伝統的リズムと、ファドからの影響による郷愁感が多めに含まれたむせび泣き成分が、歴史の波に翻弄されながらゆっくりと溶け合い進化してきたように思えます。
ちなみにもっとセンバを知りたいという方は、是非センバのレジェンドバンドであるN'Gola Ritmosの音源も聴いて頂けたら嬉しいです。1950年頃のこんな貴重な音源が配信サービスで聴けるなんて本当に便利な世の中!
さて、それではこの辺でキゾンバに話を戻しましょう。
「キゾンバ生みの親」と言われているのは、キゾンバの先駆的バンドS.O.SのボーカルEduardo Paim(エドゥアルド・パイン)です。1984年にルアンダで開催されたズークバンドKassav'のコンサートが当時のアンゴラのアーティスト達に多大なる影響を与えたようで、その衝撃から新たな音楽を作り始めたS.O.Sがある時インタヴュワーから「この音楽は何だ?」と問われたのに対し、メインボーカルのエドゥアルドが「キゾンバだ」と答えたことからその名が広まった(キゾンバはキンブンドゥ語でパーティーの意味)らしいのですが、」実はその発言をしたのはバンドのパーカッショニストのビビという人物だった、とのこと。
この「Foi Aqui」はS.O.S解散以降の1991年にリリースされたEduardo Paimのソロ作品。現代のキゾンバに通ずるメロウグルーヴが感じられます。
ではここで「SONAR MUSIC」のOAでご紹介した次世代のキゾンバアーティストの登場!
Edmázia Mayembe
Edmázia Mayembe(エドマジア・マイェンベ)は1990年アンゴラの首都ルアンダ生まれ。8歳から姉と共に教会で歌い始めます。その後、ギタリストのMário Ruiの紹介でTotó(アンゴラのSSW)とOs Géneses(アンゴラの男性2人組ラップユニット)と知り合い、2010年にはOs Génesesにフィーチャーされ「Esplito」という曲をリリースしています。またこの時代に彼女はの数多くのミュージシャン達と共演を果たしたそうです。
そして遂に2011年、1stアルバム「Erro Bom」をリリース。プロデュースにはアンゴラの有名シンガー&プロデューサーであるHeavy Cが参加し話題となりました。さらに2015年には2ndアルバム「Agua & Luz」をリリース。これまでに国内の音楽賞をいくつも受賞するだけでなく、アフリカ全土を対象とするミュージックアワードにもノミネートを果たす実力派のキゾンバシンガーです。
番組でご紹介した曲は、2021年にリリースされたシングル曲「Segredo」(Segredoは秘密の意味)。情感豊かな彼女の歌声を是非ご堪能ください。
C4 Pedro
続いては、SONAR MUSICのOAでは残念ながらご紹介できなかったアーティストをここでご紹介させて頂きます。
C4 Pedro(セ・クアトロ・ペドロ)は1983年アンゴラの首都ルアンダ生まれ。ベルギーで幼少頃を過ごしました。その威厳ある風貌と大地のように豊かな歌声から「King of Kizomba」の異名を持つのキゾンバシンガーです。
父は歌手のリスボア・サントス。そんな父の影響からか弟のリルとのユニット「Brother Lisboa Santos」を結成し音楽活動をスタートさせ、ベルギーでデビューを果たします。その後に故郷アンゴラへと戻り2008年にアルバム「Lagrimas」をリリース。その後も「King Ckwa」「Gentleman」など名作を世に放ち、国内外で数多くの賞を受賞し、まさに「King of Kizomba」にふさわしい存在となりました。コラボレーションも数多く、Anselmo Ralph、Nelson Freitas、Aryなどのキゾンバアーティストだけでなく、南アフリカのDJ MapholisaやナイジェリアのDJ Naptune、Mr.Eazi、ガーナのStonebwoy、ケニアのSauti Solとも共演を果たしています。
私が今激押しの曲は、C4 Pedroが発掘したシンガーZara Williamsと共作で「Posa」という曲です。
Zaraはコンゴとアンゴラのハーフでアンゴラを拠点に活動しています。この曲がきっかけでいきなりブレイクを果たし、現在はSony Music Portugalと契約を交わす大出世。アフロビーツにも通じる若干ウェットで抑えめに響くリズムとギターの音色の上に、あまりにも特徴的なボーカルの旋律。どうしたらこんなエキゾチックで美しいメロディが生まれるのか、日本人の私には全く想像すら付きません。一度聴いたら最後、しばらくするとまた聴きたくなってしまう中毒性の高い魅惑のメロディですので、ご利用は計画的に。
そういえばダンスとしてのキゾンバを全く紹介していませんでした。C4 Pedroのアフリカ色の強い曲「Cofres do Céu」に乗せて踊るのは、フランスの有名なキゾンバダンサーコンビ、Isabelle & Felicienです。
Pongo
OAの最後では、現在のアンゴラを代表する音楽としてキゾンバと双璧を成すKuduro(クドゥーロ)のアーティスト、Pongo(ポンゴ)をご紹介しました。
Pongoは1992年アンゴラの首都ルアンダ生まれ。今、ヨーロッパを中心に世界中から熱い視線を集めるクドゥーロアーティストです。
彼女は内戦中だったアンゴラから逃れて両親と共にポルトガルのリスボンに移住しますが、ポルトガル社会との乖離や差別、そして厳しい父との軋轢もあり思春期に多くの辛い経験をしてきたそうです。
そんな彼女がクドゥーロと出会ったのは、脚の怪我を治療するために通院していた路上でした。ストリートパフォーマンスをしていたDenon Squadというパフォーマンスグループに偶然遭遇し衝撃を受け、足のケガが治るとすぐさまグループに加わりダンスやラップを始めます。
ある時、Denon SquadのメンバーがPongoのデモテープをポルトガルのクドゥーロユニットとして人気だった「Buraka Som Sistema」に送ったことがきっかけとなり、2008年にBurakaにフィーチャーされ「Kalemba (Wegue Wegue)」をリリース。この曲が大ヒットし一躍注目を浴びるようになります。当時の彼女は15歳でアーティスト名はPongo Loveでした。
しかし、Burakaとは楽曲のライセンスについて意見が対立し、2年後にこのプロジェクトから抜けることに。さらに父親が家族を捨てていなくなってしまったPongoは、家族を養うため日々の仕事に追われる毎日。そうして数年の月日が経ったある日、ハウスクリーニングの仕事をしていたPongoの耳にラジオから聴こえてきたのは、自分のヒット曲「Wegue Wegue」でした。遂にその時、彼女は決心しました。音楽で再び自分を表現し、自分のキャリアを追求するために立ち上がることを。
ちなみにPongoの本当の姿はこっちです。きっと皆さんぶっ飛びますよ。
というわけで、今回はより深くキゾンバの魅力と歴史に迫ってみました。如何だったでしょうか?アフリカの国でありながらラテンの香りを強く残すメロウ大国アンゴラ。是非この機会にアンゴラを身近に感じて頂けたら嬉しいですし、もし「いつもキゾンバ聴いてます!」とか「これを機にキゾンバダンス始めました!」といったお声を頂けたら、僕だけじゃなくアンゴラのロウレンソ大統領もきっと喜んでくれると思います。
そして今回の記事を最後まで読んで下さった皆さんに、感謝の気持ちとして私アオキが厳選したメロウ全開のキゾンバプレイリストをプレゼント!!
プレイリストにはアンゴラのみならずポルトガルやカーボベルデのキゾンバアーティストもピックアップしてみました。皆さんの生活のどこかでさりげなくアフリカ音楽が流れてくれたら嬉しいです。
さて、最後にここでひとつ告知です。
アフリカ繋がりのお友達で、ケニアでアフリカ布を使ったアパレルブランドを立ち上げた河野リエさんが展開する「RAHA KENYA」が、大阪と東京でポップアップを開催!
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ここまでのお相手はアオキシゲユキでした。Muito obrigado. Até à próxima!