68歳の現場宣言(笑)
(1)テレビ・ジャーナリズムの「現場」
台風21号の猛威により孤立した関西空港に乗り込んだテレビ朝日の報道ステーションのレポーターが、現場の苦労を頭ごなしで批判していて、ひどい、というTwitterが出ていた。
大災害の危機に対して空港職員が必死に最善を尽くす中、勝手に関空に乗り込んで来て、不平をぶちまけるクレーマーと化した報ステのレポーターです。「何かもっとできたんじゃないか」って何ができたのか具体的に言って下さい。(藤原かずえさん)
テレビも出版も、これまでのメディアは、人と人が切り離されていて、しかも、他人のことが気になるという近代社会の中で発生し、ビジネスとして展開してきた。自分の価値観を持ち、その価値観に従って、切り離された者同士をつなげようとするのがジャーナリズムであろう。
多くの価値観が、「正しい人と間違っている人」「富める人と貧しい人」「支配している人と支配されている人」の対立構造の中で、弱い側に立った報道をするのが、正しい姿だと、信じられてきた。
しかし、インターネットの登場以後、人と人とは、直接つながるようになった。その状況が加速している中で、旧来のジャーナリズムの方法では対応が出来ないだろう。
もちろん社会には、インターネットが登場しても、裏で暗躍して社会をコントロールしようとする連中はたくさんいて、そうした見えない社会構造に切り込むジャーナリズムを否定するものではない。
しかし、テレビ報道のように、直接、現場と家庭をつなげるメディアは、余計な解説者やコメンテーターを介さずに、直接、生の声を家庭につなげるだけでよいのではないか。
報ステのレポーターのように、自分の内奥から出てくる正義感とは違う、演出としての正義感は、すぐにバレてしまう。彼らは「現場」へ飛ぶが、そこは、自分の眼で何かを発見する現場ではなく、スタジオのセットと同じような「セットされた現場」でしかない。そこでの演技や演出の田舎芝居には、もう飽き飽きだ。
(2)教育の現場
教育の構造も同じようなものだ。子どもたちの置かれている現場のリアリズムを無視して、抽象的な教育論と、客観的な教育手法の話題ばかりが盛んであり、そうした議論を行うことが教育だと思われている。
それは近代ジャーナリズムと同じように、人と人との関係が切り離されていた時代に、ひとつにくくられた社会人を育てるための方法だった。
ジャーナリズムと同じように、学術の世界は、残すべきものであり、大学は教育機関ではなく、学術研究の施設に特化すべきではないかと思う。教育のための近代的大学は、役目を終えている。
インターネット以後の教育は、インターネットを駆使することだけではない。人と人とはつながっているからこそ、ひとりひとりの個人としてのリアリティが見えてくる。その現場に入っていき、一人ひとりの子どもとそれぞれに対応することが、これからの教育だろう。
スポーツ指導者は、未熟な選手を成長させていくのが仕事だ。その時も、自分が完成された一人前の人間で、選手は「半人前」と思ってはいけない。未熟であろうと、一人前の人格ある人間として認め、その上で、時には強く技術指導するべきである。宮川選手も、指導の方法というよりも、自分を一人の人間として認めてくれなかった塚原夫妻に、人間としてのあり方を伝えたかったのだろう。
(3)ビジネスの現場
近代ビジネスは、現場から一番遠いところから現場をコントロールすることが利益を得るための要諦であった。眼の前のお客に喜んでもらえる商品を提供することよりも、その上部で店舗を経営する人の方が儲かる。更に、その上で、フライチャイズの本部になったり、店舗の不動産の地主になったり、各地から集まった資金を管理したりする方が儲かる。儲かるだろうが、彼らは、現場でものを売る喜びを知らない。お客という人と、喜びを分かち合う喜びを知らない。
現場の喜びを知る、新しい生活の糧を探りたい。
(4)現場へ
近代の方法を捨てて、現場へ行こう。現場は、誰にとっても、目の前にある。目の前にいる。
ということで、コミュニケーションの現場を生み出す活動を開始しました。
68歳で、もう一仕事(笑)
▼橘川は、「会って話す場所」をたくさん作っていきます。
年に一度の未来フェスとは別に、日常的におしゃべりしたり議論したりする場を作ります。
それが「超人脈・橘川幸夫」ですので、よかったら活動情報だけでもお申込みください。500円/月です。
▼もひとつ。橘川が教えた学校での生徒や塾の人たち。希望者は、橘川の弟子登録してください。現場の活動を手伝ってもらいます。
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