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Mediumの意味
エヴァン・ウイリアムズについては、詳しくは知らない。ブログを作って、Twitterを作った人ぐらいのことしか知らない。ネットを調べれば、もっといろいろ分かるだろうが、とりあえず、そういうことはどうでもよい。Mediumが登場した時、この20数年余り、ネットの世界に生きた人間であれば、その「新しさ」を察したことだろう。
見た目は、どうということない。ブログとどう違うのだと思われるかも知れない。しかし、新しさとは、いつも、本質が新しさに根ざしているかどうかだ。インターネット上の表現活動が、新しい次元に入ったと思った。
インターネットは、プロの物書き以外の普通の人たちに、「表現することの楽しさ」を教えた。ある時は、切なさや、苦しさも教えたかも知れない。多くの人が、ブログやTwitterで表現活動を開始した。表現の主流は、言葉である。これは、エヴァン・ウイリアムズも言っているように、音楽や映像による表現は、特別な訓練が必要だが、言葉については、普通の社会教育の中で、ほとんどの人が利用可能な表現方法である。
人は、「ものを書く喜び」を知った。表現のクォリティがどうのということではなく、生きていることの実感を、誰もが表現出来るようになった。そして、Mediumである。明確に次の段階に進もうとしている。それは「書く喜び」から「伝わる喜び」への次元シフトだ。
これまでは、誰も読んでいなくても、自由につぶやけるし、日記を公開することが出来た。これからも、そういう人たちは多いだろう。しかし、ある人たちは、別の「喜び」を探しに動き出す。それが「伝わる喜び」である。Mediumとは「メディアとしてのブログ」正確には「よりメディアであることに自覚的なブログ」ということだろう。
「書きたいことを書けばよいじゃないか」という人には、伝わる喜びを実感することは出来ない。そこには、表現者であると同時に編集者の方法が必要になってくる。伝わる喜びを実感するための方策が必要になってくる。
さて、わが日本においては、「note」の展開が大事になってくる。Medium の言う「パブリケーション」をどのように展開するかが、当面の課題だろう。やるべきことは見えているので、あとは、信頼出来る仲間たちとどうつながるかになってくるだろう。
Medium(メディウム)とは、Mediaの単数形であり、メディアの語源となるラテン語だろう。間の、という意味だ。僕とあなたの間にあるものがMedium。それは、著者である「僕」を自覚することであり、読者である「あなた」を自覚することである。世の中のメディアとは違い、極めて単数形の、個人におけるメディアとなる。私が全体とつながるためのMedium。
なんだか、楽しくなってきた。