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書を捨てよプリキュアを見よう
今日はツイッター作ったり自己紹介記事書いたりしたのだけ覚えてる。それ以外の記憶は飛んだ。多分何もしてない。
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寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」の映画を見た。これまたエキセントリックというかサイケデリックというか・・・
書を捨てよ町へ出ようは積読の中からそろそろサルベージしようと思っていた奴なのでまだちゃんと読んでいない。
が、寺山修司はエッセイのネタや引用する言葉がめちゃくちゃ被るというか、同じ話をずっとしている節があって、原作を読んだことがないのに「あ、寺山修司の前していた話だ」と認識できるのでウケる。
で、めちゃくちゃサイケ。初っ端から観客側に主人公が語りかけた挙句、ウッソだろお前みたいなフィルターのかかった、シーン同士の接続があやふやな白昼夢のようなシーンがひたすら続く。
原作が小説ではなくエッセイ集なので構成上そっちに近いんですね。
でも見た手応えとしては詩集っぽいとすら感じる。曖昧なイメージのコラージュ。
変な映画だとは思いつつも、ただ一人で見てふーん、となるだけでは勿体無い映画だと思った。誰かとガヤガヤ言いながら鑑賞したい感じでもある。
好きだったセリフ
「野球とピンポンを比べて、野球の方が男性的なのはタマが大きいからだ。だがサッカーの方がずっとでかい
タマがでかいほど男性的だよなあ」
「あんたもサンマばかり焼いていないで、少しは本でも読んだらどう?岩波文庫でも」
「白雪姫読んだ」
「ほォー。教養ですことねえ。」
前者は普通に下ネタとして笑ったが、後者はなかなかパンチが効いていて好きだ。50年前も岩波文庫って冷笑されていたんですね。
さて、完全に流れをぶった斬ってしまいますが・・・・
ついにプリキュアが深夜枠に進出しましたね。(自然な流れ)
。*.゚☆ついに放送スタート!☆゚.*。
— プリキュアシリーズ公式 (@precure_15th) January 11, 2025
「魔法つかいプリキュア!!~MIRAI DAYS~」
第1話「再会はミラクルでマジカル!」
ABCテレビ・テレビ朝日系列全国24局ネット「ANiMAZiNG!!!」にて本日深夜2時放送!
予告編はこちら▶️https://t.co/f8wTquUziQ#precure #プリキュア #まほプリ2 pic.twitter.com/0AntmujvPn
「プリキュアは深夜アニメ」がオタクの戯言ではなく現実となった。部屋にテレビ無いし、配信媒体がよくわからないので自分はまだ見ていませんが・・・
インターネットにたくさん上がっている映像を見る限り肉弾戦マシマシ芳山優マシマシマシな感じですね。作画フェチにはたまんねえっす。
まさか土曜の深夜にまほプリの続編で肉弾戦闘神作画が見られるとは思うまいて #precure #まほプリ2 pic.twitter.com/Nl56CrEJC4
— カピバラ×アルパカ=アルバラ🦙 (@takohachibar1) January 11, 2025
オトナプリキュアの評判が芳しくなかった印象なのでまほプリ2もちょっと怖いとは思っていましたが、
蓋を開けたら近年のプリキュアの高年齢層の好みがちな要素(濃い百合カップリング、バキバキの作画の肉弾戦など)が抽出されてより濃くなって出てきた感じでしたね。
深夜枠にしてかなりターゲット層を絞ったからこそ出来たというか。
変身中のプリキュア同士に本当にキスさせるなんて脳みそが大友すぎる。
この変身バンクがいいのはオトナプリキュアがやってくれなかった「大人」のままと大人っぽい演出になってる所だよな #precure #まほプリ2 pic.twitter.com/mWviYp7tJe
— カピバラ×アルパカ=アルバラ🦙 (@takohachibar1) January 11, 2025
ただこうやって高年齢層に露骨に向けたプリキュア作品が深夜枠で出てきたのは嬉しいことばかりではないと個人的には感じる。
これってつまり公式が棲み分けを意図してるんですよ。ニチアサは肉弾戦もうしないよ、あの頃のプリキュアが忘れられない人たちは深夜枠系を見てね。的な。
そう考えると今回のまほプリ2という企画自体なんか将来的な棲み分けのテストをされていたのではないかという気分。陰謀論者かよ。もうやめるわ。
棲み分けは作り手の都合が大きい
プリキュアは自制しますが、まだ「棲み分け」の話はします。
あの、凛として時雨が好きな方ならわかってくださると思うのですが。TKソロが始まってからの時雨ってかなり寂しくないですか?
(一応説明しておくと「unravel」は凛として時雨の楽曲ではなく2011年に始まったTK from 凛として時雨というギタボのソロプロジェクトの楽曲です。
2011年以降TKは本家時雨とソロの二重フロントマンをやるようになり、楽曲の雰囲気を本家とソロで分けるようにし始めたんですね。)
個人的にはjust A momentやstill a Sigure virgin?くらいの時期の、TKソロと時雨が分裂する直前の、混ざり合っている時期が一番美味しいと感じています。
TKがソロを始めたのはピエール中野氏の故障によるものが大きいとはいえ。
その後ソロのリリースばかりで本家が動かなくなっていったことを考えるとやっぱソロの方に輸出され、本家には残らなかった「あの部分」が、ソロという隔離された環境で発展していくのが楽しくて仕方なかったんだろうな、というのは想像に難くない。
だからどんどん棲み分けが激しくなっていったんだろうけど、個人的には時雨に鍵盤の入った曲がまたアルバムに加わってもいいとすら思っている。本来TKソロの柔らかさって時雨の初期のアルバムからしっかり感じられるんですよね。すると一層勿体無いというか。
まあ何が言いたいかというと、作り手側が可能性の追求として、良かれと思ってやった棲み分けは元々の方が好きだったファンにとっては微妙な結果をもたらすこともある、ということです。まあ喜ぶファンもいるので別に悪では無いんですけどね。
それでもいざ2つの対立する要素がうまく混ざっていた時期を知ってしまうと、それらが隔離された後には満足できなくなってしまったり。
まあつべこべ言わずまほプリ2を見守ろうと思います。