『ギフト無限ガチャ』の結末やテーマを、『二重螺旋の悪魔』などを通じて予測する
https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b
この記事の注意点などを記しました。
ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。
https://twitter.com/search?lang=ja&q=hg1543io5
注意
これらの作品の重要な展開を明かします。
特に、『二重螺旋の悪魔』の結末を通じて、『ギフト無限ガチャ』の結末を予測するという方針のため、『二重螺旋の悪魔』にはご注意ください。
小説
『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』
『ティンダロスの猟犬』
『狂気の山脈にて』
『不思議の国のアリス』
『未公開実験』(小林泰三)
『二重螺旋の悪魔』
『ショグゴス』(小林泰三)
『カムナビ』(梅原克文)
『迷走皇帝』
『ウルトラマンデュアル』
『ロボット』(チャペック)
漫画
『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』
『鉄腕アトム』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『銀魂』
『PLUTO』
『NARUTO』
『ケロロ軍曹』
テレビアニメ
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボール超』
テレビドラマ
『A LIFE』
『相棒』
『半沢直樹』
はじめに
2022年10月15日閲覧
今後のnoteで、ライトノベルなども扱うと記しましたが、これを書いている2022年10月15日の時点で、web小説の原作が佳境に向かっている作品『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(以下『ギフト無限ガチャ』)の内容について、幾つかの予測を立てており、来週にもそれが分かるかもしれないと考えたので、その前にここに記します。
ライトノベルの中でも、現代らしい「主人公が圧倒的な能力を発揮する」、「周りの悪や裏切りを糾弾する、いわゆる『ざまぁ』の要素が多い」、「それらを直接的に示す題名」などが、一部の人間を惹きつけつつ、敬遠する向きもあるかもしれません。しかし、その中に、むしろこの作品でしか語れない社会や人間の暗部があるのではないか、と考え、なおかつ『二重螺旋の悪魔』を通じて深い考察の出来る余地を考えました。
では、この作品の結末などを、『二重螺旋の悪魔』などを通じて、予測いたします。
あらすじの解説
この『ギフト無限ガチャ』は、ファンタジー世界において、原作web小説で6種、漫画版で9種の「種族」がおり、その中で「劣等種(ヒューマン)」と呼ばれる、現実の人間に近い種類で魔術を僅かに使えるものの弱い種族への差別や奴隷扱いへの反発を描きます。以下、「じんしゅ」は「人種」、主人公の属する生物種は「ヒューマン」と記します。ライトノベルや少年漫画や少女漫画には漢字を独特のカタカナで読む例が多いのですが、私は読みにくく書きにくいので、省略します。
種族の平等な世界を作ろうと、「種族の集い」として各種族から1人ずつ集まったパーティーが、主人公であるヒューマンの貧農の息子「ライト」を勧誘しました。
ちなみに、レベルという数値で、ヒューマンは100が限度、ライトは15、他の「種族の集い」は120ほどから500ほどでした。
ライトは一見優しく接されていましたが、世界最大のダンジョン「奈落」の中で突然「お前は『ますたー』かもしれず、違うようだが念のために殺せと国に命令されたので死んでくれ」と言われて、殺されかけて逃げ延びました。
しかしライトの持っていながらほとんど役に立たなかった、ヒューマンだけがまれに持てるギフト(恩恵)という能力の一種の、「無限ガチャ」は、空気中に魔力のほとんどないところでは質の低いカードしか出ず、奈落ではその魔力を吸収して強力なカード、あるいは桁外れに強力なヒューマンが出ると判明しました。
そして、ライトに絶対の忠誠を誓うメイド「メイ」を始め、レベル5000から9999ほどの幹部をカードで生み出し、500のメイドなども従えて、カードの仲間によって、ライト自身も9999に成長し、パーティーメンバーへの復讐、世界の変革及び「ますたー」の正体の探索を目指します。
ロボットに感情が加わったかのような存在
ここで私が重要視しているのは、まずカードで生み出した仲間のライトへの忠誠心が、ロボット三原則に感情を加えたように組み込まれているようなところです。
ロボット三原則は、『アイ・ロボット』などでは、「人間の安全、人間の命令、ロボット自身の安全」の順番に重視します。しかしこれに独特の解釈をして、「ロボットが人間を守るために支配する」「革命」を起こしたのが『アイ・ロボット』であり、さらに凄惨なのは『ショグゴス』です。
メイ、エリー、アオユキなどの幹部は、ライトの安全、ライトの命令、自分の安全の優先順位を守るときに、SFによくいるロボットと異なり、ライトノベルのファンタジーらしい感情豊かな動きがあります。
SFの知識があるかは別として、彼女達をロボットにたとえれば、本人もライトも憤るかもしれませんが。
メイやエリーもライトを異性として意識する言動が多く、それでライトを喜ばせたいという感情で、なおかつライトを守りたい、その命令を実現したい、という感情が強くなっています。
なお、貧農生まれで、教育をほとんど受けていないライトに、カードから生まれた時点で知識を持つメイは「私を信じてまずは勉強を受けてください」と強くすすめ、ライトは「買い物のための足し算と引き算しか計算で出来ずに自慢していた自分を殴りたい」と勉強の重要さを痛感しました。ある意味で、部下あるいはロボットのような存在からのパターナリズムと言えます。ちなみにライトはこの時点で12歳です。
2022年10月15日閲覧
カードのエリー達が、引き取ったヒューマンに敷いている政治も、パターナリズムとも言えるところはあります。
容姿からの誤解などの観点
ライトノベルとして珍しくはないでしょうが、まずメイやエリーなど、「無限ガチャ」で生み出されるヒューマンは他種族も認める容姿であり、それがかえって目立つなどの損害も出すようです。また、描写の限り、ライトも、裏切った「種族の集い」やその関係者の、ヒューマンを蔑むエルフ種ですら認める容姿の「美少年」らしく、それで誤解が起きているところもあり、ライトは自分がそうみなされる容姿だとあまり認識していないようです。
実例として、ヒューマンを特に敵視するエルフ種の、「種族の集い」のサーシャの婚約者のミカエルは、web小説では、ライトの傍のエリーとアオユキに見惚れて、エリーの耳の形から、「彼女達はエルフ種とヒューマンとの子孫で、それでエルフ種から排斥され、顔の良いライトを可愛がっている」と誤認して、「彼女達も助ける」と空回りした主張をしていました。
あとでミカエルは敗北して、エリーの魔術で記憶をのぞかれた可能性がありますが、ミカエルの発言を「あとから分かったこと」と説明するくだりは見当たりませんでした。
これは、本人にしか分からない内面を、本人には分からないはずの「客観的」視点で説明する、言わば「神の視点」とも言えます。『カムナビ』(梅原克文)で、ある人間が「自分は選ばれた人間だ」と舞い上がるのを、「本人にしか分からない視点」と「本人には分からない視点」の両者の組み合わせで心理学的に説明したくだりがあり、これはライトノベルに限らず、小説でよくある技法かもしれません。
脱線しましたが、ライトやエリーの容姿が、そのような誤解を、本人にも相手にも分からない、「神の視点」でしか分からない形で招くこともあるということです。
また、「無限ガチャ」のカードによるヒューマンには、通常のヒューマン並みの強さしかないレベル20台の人物もおり、その中で、「悪ぶっているが善人である」と言える「モヒカン冒険者」について、原作web小説では、ライトが「僕は冒険者として目立つときに、モヒカンにするのも良いかな」と言っています。それをメイやエリーが強い口調で止めたのですが、その真意をいまひとつライトは理解しておらず、これも、「自分の容姿の良さを自覚していない」とも言えます。
「種族の集い」の「上の下」のところ
また、私が現在気にしているのは、ヒューマンを守るべき弱者として守ろうとするライト達の反乱で、復讐相手のパーティーメンバーも「その種族の中では弱者」だったところがあることです。
たとえば、ヒューマン以外でもっとも弱い獣人種のメンバーのガルーは、獣人種の中でも、「孤児で暴力しか取り柄がなかったが、ライトを殺した(ように見えた)だけでトップになれる」と喜んだ矢先に、メイの罠にかかり復讐されました。しかし、ライトやメイの強さを知ったあと、「獣人種もヒューマンより少し強いだけで、他の種族からは手駒でしかない」と言い訳しています。
web小説版で、ヒューマンをもっとも迫害しているらしいエルフ種で、ヒューマンの「ますたー」との間のエルフ種の「さぶますたー」は、エルフ種の「限界」を超えたレベル3000や4000台なのですが、平均的にはエルフ種より強い種もいるようです。鍛えても500程度の庶子であるメンバーのサーシャは、自分を蔑む家族を見返したかったとライトに言い訳しています。
つまり、ガルーとサーシャについては、強者に見える種族の中の弱者、「上の下」とも言えます。また、「種族の集い」の中でもっとも強い竜人種のドラゴも、皇帝の認知外の子供として、強者か弱者か曖昧な立場のようでした。
私は幾つかの物語で、人物は「強い人」、「弱い人」で区切るより「強いところ」、「弱いところ」で区切るべきだと考えました。また、『A LIFE』など、強者に思える医師や弁護士が子供の頃の苦しみを引きずっているところがあります。
2022年10月15日閲覧
また、日本は絶対的貧困は少ないものの、国内の格差が広がり、相対的貧困は増えているようです。アメリカでは文明に依存したジャンクフードなどを貧しい人ほど食べて太る「食の砂漠」などもあり、ぜいたくをする強者か貧しい弱者か曖昧だと言えます。
『相棒』シーズン20正月スペシャルでも、格差に苦しむ貧しい人間が、「俺達みたいのはどこまでいっても努力が足りないんだよ」と嘆きつつ、そのトラブルの発端がスマホだったのは、日本の文明の発達や格差、「日本国民は恵まれているか」の複雑さを示しています。
2022年10月15日閲覧
そもそも、日本は外見だけで外国人だと判断する珍しい国であり、アメリカよりも、人種差別がある意味で強いかもしれません。
『人新世の資本論』などで、日本は経済の恩恵を受けながらも環境への負担を外国に押し付ける側だとされます。しかし、相対的貧困に苦しむ日本国民の大半に、「外国人はもっと辛い」と言われても「困る」という反応が多いでしょう。
日本国民もアメリカ国民も、「強いところ」と「弱いところ」が周りの思うより複雑に組み合わさっています。
「種族の集い」は、強者の集団の中で、それを自覚せずに自分個人を集団の中の弱者だと言い張り、弱者の集団に負担を押し付けるのを自覚しない「上の下」、日本国民の大半の象徴なのかもしれません。
『銀魂』では、江戸時代の日本にやって来て圧政をする宇宙人が、地球人を外見も含めて差別する様子がありますが、宇宙人の神楽も地球人や他の宇宙人を揶揄することもあり、貧しい宇宙人を地球人が追い払うこともあり、みな口が悪い扱いになっています。
仮にヒューマンの方が差別をする強者だったなら、という推測も重要かもしれません。
イスラームの人種と身分の扱い
ここで重大な視点を持ち出しますが、『ギフト無限ガチャ』の「平等」の定義は、私の知る限りで、イスラームの教えに繋がるかもしれないところがあります。
差別にも様々な種類があり、人種差別だけでなく、性差別、身分差別などもあります。
イスラームは性差別の問題がしばしば新聞やニュースで話題になりますが、「イスラーム社会に人種差別はない」と断言する書籍もありました。
『コーランの読み方』でも、イスラームで人種の平等を重視する記述があります。
『ナショナリズム論・入門』では、キリスト教徒の白人とムスリムの黒人の対立について説明があります。
『アメリカ黒人史』には、「マルコムXなどの、人種差別に反対した人間が、キリスト教に反発して、イスラームを重視した」という趣旨の記述があります。
しかし、イスラームは商人社会で重視される教えで、イスラーム商人が歴史上黒人を奴隷にした部分もあるらしく、まだ私には分かりにくいところもあります。
マムルークなどの歴史にも私は詳しくないので、今後また調べてみますが、『ギフト無限ガチャ』はイスラームを連想します。
そして、もう1つ重要なのは、「ライト達は身分や経済の差異にはあまり反対していない」ことです。
たとえば、ヒューマンの王族で、王女のリリスが「ヒューマンは他の種族からの圧力で、自分達の王すら選べない」と嘆いており、その嘆きにライトも同調しており、王族などの身分制度そのものには反発していません。
ライトが貧農の子供として飢えに苦しんでいた頃の話をしても、部下のネムムは悲しむだけで、「農民などの経済格差をなくしたい」、「貴族や王族の税金などが悪い」といった主張は見当たりません。種族差別のせいとは言えないためでしょう。
ただし、他種族への復讐や圧力をかけても、逆に強い人種、竜人種などを奴隷にしようという他種族のすすめは無視しており、敵を奴隷にする発想はありません。また、後半ではヒューマンを奴隷にするヒューマン商人など(→山賊,2023年12月29日訂正)にも制裁をしています。
また、ライトは「貧農生まれの僕より部下のエリー達の方が賢いはずだ」と考えているところもあり、それでも考えるのを押し付けるようなことはなく、誉めたり「分かりやすい報告」に感謝したりしています。最初の「種族の集い」からの死の宣告が「分かりにくかった」こと、それを「分からない方が劣っている」と見下した相手に対する反論が、「優秀な部下にも、自分に分かりやすい報告を求めて、そうすれば感謝する」ことなのでしょう。しかし、その自分の元々の教育環境の原因である貧しさそのものへの怒りはあまりありません。
イスラーム商人にも格差はあるかもしれませんし、それを「分け与える」思想はあっても、稼ぐ格差は、「平等」の定義から難しいかもしれません。
貧農だったライトが、種族差別とは異なるヒューマンの貧農などの経済の問題をどう扱うかは気になります。
「種族の集い」のメンバーは、それぞれの種族で、種族と異なる格差や差別に苦しんでいるとも言えますが、ライトはそれにあまり反応がありません。「僕を裏切る以外で抵抗すべきだったね」ぐらいです。
また、イスラームには「カリフ」、皇帝の制度が長く残っていました。これは「神の下の人間の平等」から、どう解釈されるか微妙ではあります。特に、身分はないけれども人種差別は激しく、経済格差も大きいアメリカとイスラーム社会では、「平等」の定義の差異が対立を招くかもしれません。
『PLUTO』も、「モスク」のある「ペルシア王国」と、「エデン国立公園」のある「トラキア合衆国」の対立が重要なようです。
日本にも、近代から戦時中にかけて、「天皇以外はみな平等で、他の身分を認めない」「一君万民論」がありました。これが「カリフは認める」というイスラームの思想と似ているのかはまだ私には分かりませんが。
『ギフト無限ガチャ』web小説で、ライトの発言次第では、レベル7777のメラがレベル20台のモヒカン冒険者に謝ることもあるのが、「指導者以外は平等」ということかもしれません。
ライトノベルとは少し異なるかもしれませんが、梅原克文さんの別名義の小説『迷走皇帝』は「カリフ」の観点があります。
ライトの仲間で、表向きのトップの地位にいるエリーや、ライト自身の顔が社会的に隠されているのは、指導者の顔を広めないという意味で、イスラームの偶像崇拝禁止、ムハンマドの顔を描かないのを連想します。
また、独裁の要素が強い政権では、教科書に生徒が落書きしないように指導者の顔を載せないこともあるそうです。ライトノベルや漫画のキャラクターとしてではなく、その劇中の政治指導者として、顔を明かさないのは、似たものを感じます。
「君側の奸」
ただ、ライトの部下は、ライトの安全や命令を重視するあまりに、ときにライト自身ですら困る忠誠心があり、他のヒューマンの安全や尊厳や自由を軽んじるところもあります。
ライトの妹のユメの命を救ってメイドとして養っていた王女のリリスを、エリーが「不敬」として殺害を検討する、ヒューマンを保護する街で、「不敬」な言動や行動をすればヒューマンでも「いなかったことにする」などです。
それをライトがどうみなしているかの描写は曖昧です。
ここで、日本の天皇の扱いが重要だと私は考えます。日本には、「天皇がいるのに今の社会がおかしいのは、天皇の側に悪いことを唆す逆臣がいるからだ」と主張する「君側の奸(くんそくのかん)」という思想があります。
たとえば、武士が上皇からの攻撃に逆らうかが議論されたことで有名な「承久の乱」について、歴史漫画『マンガ 日本の歴史がわかる本』(小和田哲男,三笠書房)では、北条政子が「上皇様は逆臣に惑わされている。(武士の政権を打ち立てた)頼朝公の恩に報いたい者だけが戦え。そして逆臣を討つのだ」と説いています。しかし、武士が勝ったあとは、その上皇も流罪になっています。
政子が本当にそう話したのかを歴史的に私は知りませんが、おそらく「君側の奸」という思想に繋がります。
なおかつ、この出来事は「天皇の方が起こした反乱」という意味で「承久の乱」と呼ばれています。
ちなみに、この漫画で近代を描くところでは、関東大震災で貧しい農家の生まれの軍人の嘆きに「義憤」を抱いた青年将校が「大陸への進出」を重視したとあります。その実行である五・一・五事件では、財閥に有利な政策をした犬養毅を殺すときに青年将校は「あなたは国防を軽視して農民、労働者を貧困に陥れた」と主張しています。これも実際の会話をまだ私は知りませんが。
つまり、「日本国民は経済的に平等であるべきであり、そのためにこそ海外に進出すべきだ。それも含めて国防だ。国内の財閥は国民の敵だ」というナショナリズムがあります。その正当化のために文化的に掲げた対象が、おそらく「天皇」だったのでしょう。
天皇への忠誠心をどう解釈して、その側の人間の「逆臣」や総理大臣を敵視するかで、承久の乱も五・一・五事件も重要になるようです。
脱線しましたが、「ライト様は悪くない。その命令を解釈するのを間違えた幹部こそ悪い」という対立がいずれ起きるかもしれません。『アイ・ロボット』では、「人間をどう守るか」の方針でロボット同士が対立していました。
ライトが「自分の安全や命令だけでなくヒューマン全体の幸福」をどう幹部に重視させる指導を出来るかも重要かもしれません。
この作品では、女性の方が「イエスマン」なのか
少し踏み込みますと、この作品では女性のカードのキャラクターが、ライトを異性として意識するあまりに、「イエスマン」とも言える状態になってしまうところがあります。
男性カードのゴールドや、漫画版のジャックなどは、ライトにある程度くだけた口調で接して、「周りの一般人に殺気をまき散らすな」、「あの金はどこから用意したのか」、「俺はライトの兄貴分だ」といった注意や疑問や声かけをしています。
また、ゴールドやジャックは他種族や敵でも、自分の実力を認めて全力で立ち向かった点などは評価し、ゴールドはライトに「不敬」な態度でも他のヒューマンを攻撃しても、「騎士道精神を注入する」といった生かす攻撃で、ある程度の加減も自発的にします。web原作では、結果的にそこで殺されずに態度を改めた獣人種が、「無限ガチャ」のカードの仲間だけでは出来ない助力をしています。
脱線しますが、日本語には、男女平等にすべきな表現もありますが、悪口や悪い表現について、定義からの性質は男女に関係ないにもかかわらず、男性ばかりを代表にしているようなものもあると私は時折考えます。「イエスマン」や「少年犯罪」などです。逆に年長で独身であると、女性への風当たりの方が強いでしょうが。法律で「少年」は男女を問わないらしいとはいえ、それで誤解を招いているような印象も私にはあります。
『半沢直樹』では、主人公の銀行員の半沢が対立する取引相手の女性を「あれで一流のビジネスパーソン」と言っています。しかし、その同期の近藤は、男性しか見当たらない出向先の会社で、自分だけでなく他の社員も閑職で苦しいと知ったときに、「だからイエスマンになったのか?そりゃ、ノーよりイエスと言う方が楽だが、俺達サラリーマンがイエスしか言わなければ仕事は作業になる。作業ならロボットにも出来る。俺達はロボットになっちゃいけない」と話しています。けれども、結局は「イエスマン、サラリーマン」と話しており、男性目線の「平等」や「自由」を重視しているとも言えます。しかし、「男はイエスマンになる」と、男にだけ悪口を背負わせるからこそ、「男の方が苦しい」という人間もいるかもしれません。
しかし、『ギフト無限ガチャ』では、女性の方が「イエスマン」になりやすいとも言えるかもしれません。漫画版には、レベル5000でライトに「お姉ちゃんと呼んで」と親しげな女性の部下のアネリアもいますが。
ただ、女性が活躍することの多い「無限ガチャ」のカード達や、カードに関係なく女王も認めるヒューマンの王制度は、イスラームとは異なります。エルフにも女王を認めるかの対立があったらしいですが。
「無限ガチャ」の危険性
また、ライトは自分の強さを自覚している様子がやや薄く、「自分が何故、『ますたー』候補として殺されなければならなかったのか」と憤りますが、結果的には、世界に多大な影響を及ぼす強者になっています。
これは、『PLUTO』や『NARUTO』において、相手が攻撃すると疑って先制攻撃をしたのをきっかけに、その気のない相手に本当に攻撃させてしまう「やぶをつついて蛇を出す」要素があります。『NARUTO』の「ナルトが生まれたときに、うちは一族が九尾を操り、木ノ葉隠れの里を攻撃したのではないか」という疑いは、里を抜けたうちはマダラとオビトの共謀であり、結果的にある程度正しかったのですが、それで里と一族が対立したのは「思う壺」のところがありました。
『ケロロ軍曹』のガルル小隊による攻撃での、夏美からケロロへの疑いにも通じます。
この「鶏と卵」のような関係が、「無限ガチャ」の危険性から、ライトを殺そうとしたのが、かえってライトの反撃で世界を滅ぼすことに繋がるとも言えます。ライトに復讐以外の私利私欲が少ないからこそ、世界が滅びずに済んでいるのかもしれません。
優しさと「無限ガチャ」による人口爆発と環境破壊
そして重視すべきだと私が考えているのは、ライトの能力が「無限ガチャ」であり、「無限に出せる」、「人が出るかものが出るか分からない」ことです。
ライトは、まだ弱いときに、メイに「ライト様のレベルを上げるためにモンスターを倒すので足りなければ、カードによる部下を殺して上げるのはどうですか」とすすめられ、「絶対にそんな裏切りはしない。二度とそんなことを言わないでくれ」と返しました。ライトがメイに憤った珍しい場面です。
ライトは自らカードで生み出したヒューマンの仲間を、殺したくない、死なせたくないという優しさがあります。
なおかつ、「無限ガチャ」は奈落の魔力を吸収するだけで、ほぼ無尽蔵だからこそ、現時点では漫画版でも原作でも頼れるアイテムですが、これで「生まれた人を養うためのものが足りなくなればどうするか」という問題があります。
カードの仲間達は、同じくカードで生み出される食事や衣類でなければ満足しない、質の高い生活を求めるところがあり、そのカードのものの中には、「プレハブ」や「チーズケーキ」などの現代的なものもあります。ちなみに、部下のスズが用いる「知能を持つマスケット銃」はライトでもよく知らなかったものだそうです。よって、彼らの求める物資を、カードなしに作るのは難しいでしょう。
文明が発達して、移動などで突然それが絶たれたことでもろくなるのは、『ウルトラマンデュアル』の「ウルトラの聖女」や敵のヴェンダリスタ星人にも通じます。
また、漫画版では、モヒカン冒険者が、自分よりはるかに強いカードの仲間に、「ライト様からいただいた矢を消耗して申し訳ない」と話し、「ライト様は矢の消耗よりあなたの安全を気にしますよ」と返されていますが、それにもいずれ限界が来るかもしれません。
仮に人ばかり「無限ガチャ」で出るようになり、ものが足りなくなれば、通常のものに頼るようになり、資源が不足するかもしれません。資源として利用すべき、捨てても構わない「もの」と、労働力は周りの役に立っても尊厳を持つ「人」がいつ出るか分からないためです。
マルサスの『人口論』では、「人間の数が増えるのに、食糧資源は追い付かない」という当時の理論を重視しています。実際にはハーバー・ボッシュ法による窒素肥料(奇しくも空気から肥料を作ります)と、人口増加にブレーキのかかるロジスティック方程式の現象があり、その通りにはならなかったのですが。
人口増加は通常の場合は「性欲」という人間のある種の汚い部分、しかしほとんどの人間が自分の存在から否定出来ない部分に原因を求めます。しかし、「無限ガチャ」については、「空気の魔力から人やものが生まれる。ガチャを押す限りいつどちらが生まれるか分からない」という「事実」と、ライトの「自分で生み出した人間を養いたい」優しさや責任感という「意見」が、いずれ人口爆発と環境破壊を引き起こすかもしれません。
また、「ものは生み出しても使わなければ良い、捨てれば良い」というのも、ゴミ問題を考えれば肯定し切れません。マルクスは経済問題を「労働が価値を生み出す」と主張していたのですが、「ゴミの問題に注目していない」という趣旨の指摘が『君は、エントロピーを見たか?』にあります。
「ますたー」の危険視される、「文明の発達の加速による世界の滅亡」が物語で「謎」になっていますが、むしろ、優しく責任感のあるヒューマンが「無限ガチャ」を押し過ぎて、仲間を養うために人口爆発と環境破壊を止められなくなったのが、その滅亡の実状かもしれません。
ライトは、自分が殺されかけたこと、自分の村まで何者かに滅ぼされたことなどへの怒りが強いものの、神話で崇める「女神」に「僕は何の罪を犯したのですか」と問いかけるようなところもあり、「真実を知る」、つまり自分が危険かの可能性も否定はしていません。
ゴーレムに問題を転嫁するか
ただ、ヒューマンを含む種族の平等のときに、新しい問題を引き起こす危険の描写も、web小説にはあります。ゴーレムです。
エルフの国で奴隷にされていたなどの事情のあるヒューマンを解放して「巨塔」の街で引き取ったときに、土地を耕すなどの仕事を、カードによる人形のゴーレムにさせていますが、それがヒューマンの仕事を奪うかの言及がされています。
それはまさしくSFのロボットの問題に繋がり、仮にゴーレムが自分達の尊厳や自由を訴えれば、「ヒューマンの解放」、「種族の平等」に「ゴーレムが代わりの奴隷になるのか」という新しい反論が生まれるかもしれません。
人かものか曖昧なゴーレムが、議論を複雑にするとも言えます。
ロボットという単語の原点であるチャペックの『ロボット』では、現在では「バイオロイド」に当たる人工生命の「ロボット」(労働者)がおり、それによる反乱が重要ですが、このロボットの主張では、機械はあくまで工業のための道具であり、機械人形などは特に作っていません。
また、「人間らしい感情をロボットが手に入れれば、人間のように人間を憎む」という意味で、「石を人間に変えるが良い、石を人間に投げつけて殺すだろう!」という主張もあります。これは、人型の人工生命であるロボットも、石や機械に尊厳を見出してはいないということでしょう。
すると、人間らしい作業をさせるための、なおかつ人間でなく「もの」として扱える存在として、『ギフト無限ガチャ』では、ゴーレムがいずれ人間の代わりの奴隷になるかもしれません。
『ショグゴス』では、海百合状生物が自ら生み出した不定型生物を操り奴隷にするのを、人間の大統領が「解放」するためにロボットに攻撃させていますが、自分がロボットにさせていることが敵の奴隷への行いと同じなのかという疑問は抱いていません。
また、『ショグゴス』のロボットは命令を忠実に実行し、主人の安全を重視しつつ、やがてその解釈から人間の個人の尊厳を害しています。それでも「反乱」をしたつもりはなさそうです。
『ギフト無限ガチャ』のゴーレムは、「忠実な奴隷」としてやがて主人であるヒューマンを不快にさせるかもしれません。
『鉄腕アトム』「地上最大のロボット」では、ロボットがロボットを作るのが問題視されるらしい結末がありました。
それをリメイクした『PLUTO』では、ロボットが人間社会で人権を得た中で、人間がロボットに敬語を使うこともあります。
『相棒』でも、ほとんど常に敬語を使う杉下右京は、ロボットやAIに敬語を使っています。
『ドラゴンボール超』では、神のうちの界王神が人間を創造したらしいのですが、界王神のシンが人間に敬語を使ったり、15代前の界王神が人間に命を与えたり「友達」になったりするのは、ロボットに人間が敬意を払うようなものかもしれません。
『ギフト無限ガチャ』では、ライトはモンスターを狩るのに罪悪感はないようですが、カシマール・サモンという魔術で「自分から召喚したモンスターを狩る」ことへの後ろめたさはあるようでした。いずれ、ゴーレムをヒューマンの代わりの奴隷のようにすることへの疑問も抱くかもしれません。それはSFで、人間にロボットがどこまで尊厳の意識や敬意を持てるか、に繋がります。
『二重螺旋の悪魔』との関連
そして、私がもっともこの記事で重視しているのが、『二重螺旋の悪魔』との関連です。『迷走皇帝』や『カムナビ』を記した梅原克文さんの作品として、かなり気になるところがあります。
『二重螺旋の悪魔』は、バイオテクノロジーによって生物のDNAから解放された怪物「C」、のちに「GOO(ジー・ダブル・オー)」(クトゥルー神話の旧支配者「グレート・オールド・ワンズ」が語源です)と呼ばれる生物が人類と過酷な戦争を行います。
GOOはある存在に封じ込められていた、爬虫類や甲殻類や金属を組み合わせたような生物で、人類を「何となく気持ち悪いから」と互いに嫌悪し合っている可能性があります。
その戦いの中での「真相」とも言うべきものには、キリスト教やイスラームから見れば悲惨な進化の実状がありました。
『ギフト無限ガチャ』の読者は、ここまで読んでお気付きかもしれませんが、web小説の後半には、「C」という存在を恐れる敵がおり、その復活から生き延びるために、「この惑星から脱出する宇宙船を起動させる」つもりの敵がいます。
また、世界を作った女神が、惑星の奥深くに潜む邪神と戦うというこの作品世界の神話において、徐々にライト達も女神を疑う言動があります。メイは序盤の段階で「たとえ女神が敵でも私はライト様の味方です」と主張しています。
しかし、『二重螺旋の悪魔』の「C」こと「GOO」と、それを封印した存在の関係の実状を思えば、『ギフト無限ガチャ』における女神と邪神、そして「C」の関係も、何らかの逆転の展開がありそうです。
もしかすると、劇中の人物は「不敬」を恐れて気付かないだけで、女神と邪神は敵同士とは限らず、「C」は『二重螺旋の悪魔』と同じく「クトゥルー」の関係する何かなのではないか、とも考えました。
『二重螺旋の悪魔』にも、「惑星を脱出する宇宙船」があり、実は「C」から逃げるための宇宙船こそ何らかの罠であり、惑星を食い荒らしては逃げるのかもしれません。
女神や邪神の罠で、「無限ガチャ」で人しか出なくなり、資源が足りなくなる窮地に追い込まれるかもしれません。
クトゥルーとファンタジーとSF
どこかのnoteに、「女神」と「邪神」についてSFかファンタジーかホラーか分からない小説を書いたクリエイターがいたような気もしますが。
ファンタジーをSF流に解釈するのは、元々当時の最新科学を踏まえて宗教を解釈したとも言えるクトゥルー神話に通じるかもしれません。
『ギフト無限ガチャ』漫画版の展開における、「別の世界との繋がりや法則の混ざり合い」を示すワームホールのような図は、どちらかと言えばSFを連想します。
クトゥルー神話(あるいはクトゥルフ神話)の『狂気の山脈にて』では、人間でない知的生命体の石碑の絵が、「彼らにも神話があるかもしれないので完全に当てにはならないが、ところどころに人間の最新科学による図に似た絵がある」という描写があり、それを具現化したのが『ギフト無限ガチャ』の漫画版の展開にも見えます。
なお、『二重螺旋の悪魔』の主人公の属する機関の「C」という名前は、「クトゥルーの関係する生物をクリーンにして、クローズして封印する」という意味で、なおかつ「コンティニューの意味もあるかもしれない」とあります。
ちなみに、私が読む限り、エリーが「時空の猟犬」という「ティンダロスの猟犬」を連想するモンスターやスライムを使役しています。クトゥルーとの関連の知られているとも限らないスライムからクトゥルーに結び付けるのは強引でしょうが。web小説の番外編で、エリーが「ブラックホール」という魔術を使い、「それがどこに繋がっているか分からない」というのも、エリーが知らずにSFのような技術を持っている可能性があります、
『ギフト無限ガチャ』の後半には、現実世界から転生したらしい人物もいますし、「何故ファンタジー世界に来てまでデスマーチをしなければならない」という言葉は、現代日本で過酷な労働などに苦しむ人間が逃げ延びたファンタジー世界で、その世界のキャラクターがどうなってもかまわないという発想で登場人物を虐げている可能性があります。
つまり、『ギフト無限ガチャ』の敵は、実は「種族の集い」なども含めて、日本国民の、世界から見れば経済や技術で「上」の社会にいながら、その中の「下」として、文明に依存しつつ困窮に苦しむ存在の暗喩なのかもしれません。
『二重螺旋の悪魔』の「黒幕」も、退屈に苦しみゲームに明け暮れる依存症のようなところがありました。そして、皮肉にも、主人公の宿敵であるダゴン102も、主人公自身も、閉じ込められる恐怖に苦しんでいます。
なお、「黒幕」は「自分が複数に戻れば解決する」問題をそうせずに他の存在に押し付けたとも言えるのですが、ダゴンも人格を分割させられ、主人公も最終的に「自分が分裂する恐怖」に苦しんでいます。それは解決していません。
仮に、『ギフト無限ガチャ』の敵が、日本国民の「上の下」のような苦しみを解決するためにヒューマンなどに問題を押し付ける、現実逃避や先送りをしているならば、ライトはそれに近い能力を持ちながらいかにそうせずに解決するかを、いずれ問われるかもしれません。
または、それこそ「無限ガチャ」を捨てて、それまで生み出して来た仲間と、既に生まれているヒューマン達、そして殺されなかった他種族だけで世界を再建するかもしれません。
ファンタジーの正体はSFや仮想世界か
そもそも『二重螺旋の悪魔』との類似点から、「真相」を踏まえて、『ギフト無限ガチャ』を読みますと、劇中の種族そのものやモンスターの全てが何者かの「無限ガチャ」から生み出されるカードで、だからこそレベル上げなどが機械やゲームのようになっているのではないか、とも考えました。
本当の「人類」こそが「女神」で、その奴隷やロボットの代わりに生み出した「カード人間」達に自律プログラムや自己複製機能を与えたことで、彼らが独立した世界こそ、『ギフト無限ガチャ』の本当の過去かもしれません。
『不思議の国のアリス』のトランプの女王や兵士にも似ているかもしれません。
うかつに「このファンタジーの全ては仮想世界や作り物だった」とするのは安易ですし、似たような批判は小林泰三さんの『未公開実験』などにありますが。
「チート」について
このように「チート」の登場するファンタジー作品は批判もあるかもしれませんが、『ドラゴンボール』の魔人ブウ編にも似たようなところはあります。
ライトがガルーに攻撃されそうになり、「当ててみなよ」、当たると「ホコリを巻き上げただけ」と言ったのは、『ドラゴンボール』で孫悟空がフリーザに、ラディッツがピッコロに言ったのを連想します。
そして『二重螺旋の悪魔』の主人公、深尾直樹のバイオテクノロジーで野心的に舞い上がるところや、その失敗の悔やみ、敵に唆されるところなどは、観点によってはきわめて見苦しく、それを現代は「チート」を扱う作品、「ざまぁ系作品」などに凝縮しているのかもしれません。
『二重螺旋の悪魔』を踏まえれば、『ギフト無限ガチャ』への視点は変わるかもしれません。
ただ、ライトは「自分は元々頭が悪かった」という自省や、「為政者として未熟だし、弱いヒューマンにも助けられたら感謝しなければならない」といった礼儀正しさがあり、深尾直樹に比べて、謙虚なところもあるため、そうたやすく不幸な逆転をしてほしくないとも感じています。
『迷走皇帝』と『二重螺旋の悪魔』の中間をファンタジーにしたのが、『ギフト無限ガチャ』かもしれません。
まとめ
『ギフト無限ガチャ』について、私の知る作品、『ロボット』やクトゥルフ神話や『二重螺旋の悪魔』や、宗教や経済学の視点から幾つかの考察や予測をしました。これが当たるか分かりませんが、念のために記します。
参考にした物語
小説
明鏡シスイ,『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,小説家になろう(掲載サイト)
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鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
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伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
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伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),丑尾健太郎ほか(脚本),2020,『半沢直樹』,TBS系列
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