これまでの記事で書き落としたことのまとめ,2024年4月4日
https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b
この記事の注意点などを記しました。
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@hg1543io5
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注意
これらの重要な情報を明かします。特に、PG12指定の映画『シン・仮面ライダー』及びそと漫画版にご注意ください。
特撮テレビドラマ
『ウルトラマン』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンR/B』
特撮オリジナルビデオ
『ウルトラマングレート』
特撮映画
『シン・ウルトラマン』
『シン・仮面ライダー』
漫画
『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』
『逆資本論』
『真実のカウンセリング』
『真の安らぎはこの世になく シン・仮面ライダー』
『デビィ・ザ・コルシファは負けず嫌い』
『歳と魔法はキス次第』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『左ききのエレン』(少年ジャンププラス)
『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』
小説
『迷走皇帝』
『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(web,書籍)
『怪人二十面相・伝』
『怪人二十面相・伝PARTⅡ』
テレビアニメ
『ドラゴンボール超』
『クレヨンしんちゃん』
テレビドラマ
『ドクターX』
『JIN-仁-』(1,2)
『相棒』
はじめに
現在漫画版が本編の時系列に近付いている『シン・仮面ライダー』などの、重要な要素に注目します。
『シン・仮面ライダー』の無言の肯定
『シン・仮面ライダー』の本郷には、「無言の肯定」の要素が幾つかみられます。
それは、明確な言葉で答えると誰かを傷付ける可能性のある発言のときです。
一文字と戦うとき、本郷は一文字がショッカーの洗脳に抗い、あえて本郷に強くなる機会を与えていたのを考えて、戦うのを迷っていました。
しかし、仲間のルリ子が側にいるため、一文字に「優しさと弱さは紙一重だぞ。あんたが手抜きして殺されたらあのお嬢さんはどうなる?」と言われ、無言で戦いを決めたようです。
まだ手を抜いていたとはいえ、戦う決心をしたのは、相手と戦うことであり、それ故に明確に言葉で肯定はしなかったのでしょう。
その前に、イチローが父親の緑川弘を「痴れ者」と呼び、その技術による「最高傑作」のバッタオーグである本郷に「失望した」と言ったのにも無言なのは、緑川弘が人間をもの扱いしているような発言を肯定したくなかったとも取れます。もっとも、イチローが知っていたかはまだ漫画版などで明かされませんが、緑川弘本人もバッタオーグを「最高傑作」と呼んではいました。
また、イチローの計画を阻止するために、バイクのサイクロン号を犠牲にして装置を破壊したときに、イチローが「妹の入れ知恵か」と、ルリ子について質問したときも無言でした。
クモオーグによる爆弾に耐えたときに「さすが緑川の最高傑作、無傷とは想定外でしたよ、バッタオーグ」と言われて、呼び名だけ否定したのも、「近接戦闘能力」、「打撃力」を褒められてもそれには無言だったのも、戦いそのものを避けたいのでしょう。
本郷は先に「変身」した一文字に、「悪いが、(ここで変身出来ない)今のあんたじゃ俺には勝てない」と言われたときには、あくまで自分が不利なので「だろうな」と肯定しています。
ただ、ハチオーグも本郷に、ある程度フェアプレーの精神で戦ってはおり、本郷とルリ子が一文字とハチオーグの何をもって「ショッカーの洗脳に抗っている」、「筋を通している」と比較したかは曖昧です。
「イエス」でも「ノー」でも悪く取れるとき
否定でも肯定でも誰かや相手を傷付けるので無言で答えるというのが、『シン・仮面ライダー』の本郷の「コミュ障」なりの話し方なのかもしれませんが、ここで連想するのが、『歳と魔法はキス次第』です。
周りに忘れ去られるほど異常な影の薄さで悩む少年の透が、唯一見つけてくれる少女の春永つむぎに告白しようと願っており、影の薄さで偶然見つけた魔女のザラが、見つけられて呪いで能力を制限されたので、それを解くために透の願いを叶えようとします。
また、ザラは呪いで制限された魔力を一時的に回復させるために透とキスをしますが、それが「嫌か」と尋ねられた透は、「嫌じゃないけど、嫌じゃないのが駄目だって言うか...」と、肯定も否定も難しくなっています。
ザラは高校生ほどの年齢に調整すると、周りの基準で「すごい美人」、「女王」と呼ばれる容姿のようなので、それでキスしてもらうのが、「嫌」と言っても、「嫌じゃない」と言っても悪いという感情があるのでしょう。
それは、能力の優秀さなどの差異こそあれ、「コミュ障」の本郷にも通じる、「相手や周りを批判する、害するような質問に否定も肯定もしにくいときに、無言で肯定する」だと言えます。
日本人特有の「イエス」の使い方
また、『迷走皇帝』では、イスラム教のような要素を持つ異世界の「カリフ」、つまり皇帝から記憶喪失になった少年が、最初は看護師に「王様みたい」だと態度で叱責され、少しずつ変化したらしいものの、医師に対しても、「あなた方が記憶を治せないようなので失望しています」と率直に話し、「あなた方日本人はイエスとノーのどちらの意味でもイエスと言うんでしょう?」と表現しています。
本当の意味でのノーを言いにくいとすれば、それは『シン・仮面ライダー』の本郷が無言でしかイエスと言わないときがあるのに近いかもしれません。
『シン・仮面ライダー』のルリ子の「失敗」の定義
https://x.com/hg1543io5/status/1674717073162002433?s=46
2024年4月4日閲覧
『シン・仮面ライダー』のルリ子は、『クレヨンしんちゃん』とのコラボ作『しん・仮面ライダーだゾ』では、「私は失敗しない」と言っています。
しかし、本編で言っている「私は用意周到なの」はともかく、こちらの台詞は、『しん・仮面ライダーだゾ』では短い戦いなので達成出来ているかもしれませんが、本編ではそうでもありません。というより、ルリ子は本編では戦いのたびに失敗しているという解釈も出来ます。
そこから、ヒーロー作品における「失敗」の定義を探る余地もあります。
まず、本編のルリ子はいきなりクモオーグに捕らえられ目を潰されかける、クモオーグの発信機に気付かずに父親であり味方の科学者の緑川弘を殺される、コウモリオーグのときに無関係な「実験サンプル」にされた人間は救えない、サソリオーグとの戦いの過程で政府の人間が多数犠牲になる、ハチオーグの洗脳の範囲が広かったことに気付かず連行される、兄であるイチローのチョウオーグを力ずくで止めるパリハライズは「無理」だった、K.Kオーグに背後から刺されるなどの明らかな「失敗」があります。
失敗を明確に認めたのは最後ぐらいです。
というより、ルリ子の言う「ヒーロー」の勝利や成功が、敵による犠牲や被害が出たあとに敵を倒すことに集中していて、あらかじめ防ぐ発想に乏しいようです。
このような「ヒーロー」は幾つかの物語にいます。
『怪人二十面相・伝』では、探偵の明智小五郎が、江戸川乱歩の原作より狡猾で、「人間の歴史に正義などというものはなく、権力の歴史しかない」と言うことがあります。そして二十面相による窃盗を予測しながらあえて盗ませて、あとからそれを警察や被害者に報告しています。
「医者が尊敬されるのは治すからであり予防するからではない。予防したら仕事にならない。我々も事件を防ぐのではなく解決すれば良い」とさえ言っています。
これが、『シン・仮面ライダー』のルリ子にも通じる、被害の予防より起きたあとの収拾に集中する姿勢だと言えます。
ただし、明智の死後に妻が二十面相に、「夫は陰惨な事件にもかかわりましたから、あなたとの勝負は息抜きのようなものでした」と話し、あくまで道楽のような財産しか盗まずに殺人まではしない二十面相が相手だからこそ悪ぶっていたのかもしれませんが。
『ドラゴンボール』原作の孫悟空も、未来からの知らせで人造人間が暴れると分かりながら、「未来の平和は戦って勝ち取るんだ」とあらかじめその製造を止めないところがありました。ただし、この時点で完成していた可能性もあり、人造人間を簡単に倒すと強くなれなくなり、あとの敵に苦戦する可能性もありますが。
『ウルトラマンネクサス』の凪も、この記事で書きましたが、敵の怪物のスペースビーストの気配を探知するなどの「資質」を持つものの、それだけで解決出来ない問題として、人間の生存者の存在に気付かないなどがあります。周りに出来ないことが出来るときは確かにあるけれども、その「ヒーロー」らしさだけでは、被害を未然に防ぐのとは別の、人命救助などを出来ないときがありました。
「不幸中の幸い」を達成するだけの「ヒーロー」
『ドラゴンボール』、『ネクサス』、『二十面相・伝』、『シン・仮面ライダー』など、「格好良い」ヒーローが、敵などによる不幸の中の幸いを作り出すことは出来ても、そもそも不幸そのものをなくすなどの地味かつ抜本的な対策を取れない傾向があります。
これは、『クレヨンしんちゃん』とコラボしたことのある『ドクターX』の「失敗しない」という台詞にも通じます。
『ドクターX』の主人公の外科医の言う「失敗しない」とは、たいてい1回に1人の外科手術の成功をすれば済むのであり、人間なら誰でも起きる老化などの抜本的な解決は出来ないのです。つまり、そもそも解決すべきハードルが低い「ヒーロー」だと言えます。
その点では、『JIN-仁-』ドラマ版の主人公の仁は江戸時代のコレラ感染症や火災など、多人数のもので、なおかつ現代でも完全な解決の難しい課題に取り組むため、「私は失敗しない」とは言いません。完全に成功させるのがきわめて難しく、そもそも1人の成功するかの問題でもありませんから。火災のときに「助けられない患者は大勢います」と言い切っていますし。
その意味で、『ドクターX』などは、解決出来る小規模な課題の「成功」、それも主人公個人の解決にばかり注目している「ヒーロー」でしかないかもしれません。
『JIN』の仁にとっての「ヒーロー」の龍馬も、救えなかった、殺さざるを得なかった人間も描写されていました。
『ウルトラマンR/B』のウルトラマンオーブダークは、怪獣を自ら呼び出して倒す自作自演をして、「私は人々に希望を与えている」、「ヒーローだ」と主張していましたが、その「希望」とはやはり「不幸中の幸い」でしかなく、初めから不幸を与えなければ良いという論理が見えていません。その意味で、「不幸がなければそれを止めるヒーローは必要ない」とも言えます。
「ヒーロー」に救えないのを相手のせいにする論理
2024年4月4日閲覧
『ネクサス』の凪などは、自分が人間の生存者の気配などを探知出来ないことの問題を指摘されても、時期によっては、「そんなものは分かるわけがない」、「無理難題を言うそちらの方がおかしい」と言うかもしれません。
たとえば『相棒』の「警察嫌い」でありながら警察官になった青木年男は、自分に出来ることは自慢するものの、出来ないことは「そんなものは出来なくて当たり前で、頼む方がおかしい」というような論調になっています。
そして、周りより上位のはずの凪のような人物が、自分に出来ないことを「当たり前」と言うだけでなく、それの被害者や、助けたい人間の方にこそ問題があるという「自己責任」論に結び付けるのが、『シン・ウルトラマン』のメフィラスにあります。
人類に身を守る能力を与える代わりに「上位概念」になり、穏やかな関係を保とうとする外星人(宇宙人)のメフィラスは、自分の技術の実験に利用した浅見が人間のネットでさらし者になるのを「ここまで下劣な人間がいるとは。人間の原始的な行動を予測出来ず申し訳ありません」と、ネットの情報を強制的に削除しました。
これは、「人間より優れた上位概念でも、いやだからこそ人間の勝手な行動までは予測出来なかった」という論理で、自分に出来ないことがある事実を、自分に都合の良い意見に結び付けていると言えます。
先ほどの、「周りより優れた人間」も、自分に救えない被害者や、自分が傷付ける相手について、そちらの方が勝手な行動をしているから、劣っている方に問題があるという論理で、自分に出来ないことがある事実を、やはり自分に都合の良い解釈をさせるところはありそうです。
『ニチアサオタク悪役転生』カクヨム原作の、本来ゲームの「主人公」のゼノンに転生した人間が、その筋書き通りの戦いで死者を出したことを最初は気にしていませんでした。そして「悪役」のユーゴに転生した人間は、それを気にしています。繋がりも見えるかもしれません。
『ネクサス』で言えば、凪が単独で救えなかった生存者の子供も勝手な行動で人目のあまりないところにいましたし、『二十面相・伝』の明智が放置した被害者も道楽で芸術品などを集めるぜいたくな人間が多いですし、『ドクターX』の主人公は「患者が嫌い」らしく、また、自分の周りの「駄目な医者」を助けて指導する精神がないようでした。
そうして、自分に救えない相手のせいにするなどで、周りの劣る人間を引き上げたり、戦いを未然に防いだりする平凡な対策が見えていない可能性もあります。
『相棒』で「魚の獲り方は教えない」主人公
『相棒』の青木年男は、自分に出来ることは自慢し、出来ないことは「そんなものを要求する方がおかしい」という論理を使うことがあります。そうして周りより自分が優れているという主張を通し続けるわけですが、青木と対立する主人公の右京にもその傾向が皆無ではありません。
つまるところ右京はほぼ毎回伊丹などの捜査一課の人間が「噛ませ犬」のように失敗するのを補っているのですが、ときどき早めに報告すれば済むことを言わないときもありますし、その場で分かりやすく「推理」を述べても、「どうすれば右京のように推理出来るのか」という指導は特にしていません。
よくあるたとえで言えば、右京は自分より劣る警察官に「魚」という捜査情報は与えても、「魚の獲り方」は教えていないのです。
だからこそ右京には後継者がおらず、米沢のように警察学校で教えることも出来ず、すでに定年退職してもおかしくないのがその気配もないのでしょう。
『左ききのエレン』少年ジャンププラス版の表現を使えば、右京は後継者を育てられない「替えのきかない有能」であり、その「少数の天才」によって成り立つ「欠陥品の組織」のまま警察を維持していると言えます。
2024年4月4日閲覧
『ギフト無限ガチャ』で主人公達がすべきこと
『ギフト無限ガチャ』では、様々な種族のうち、弱小で差別されるヒューマンの種族を救うため、ヒューマンの中でも貧農の次男であるライトが、ヒューマンの一部だけが持つギフトの一種「無限ガチャ」で、例外的に強いヒューマンであり絶対的忠誠を誓う部下を召喚し、自分も強くしてもらいます。
そうして差別を打開するために強い権力などを手にしようとするのですが、ほとんどのヒューマンを弱いまま守ろうとしています。
ライト達には、協力者の王女のリリス以外のヒューマンを強くする精神がほとんどなく、ライトに敬語を使わない部下のゴールドや、部下で通常のヒューマンのように弱いモヒカンの冒険者が少し指導した程度です。
ライトの部下、特に女性は、ライトを唯一無二の支配者にしたいのか、ライト以外のヒューマンを軽んじる気配があります。彼女達が本当にすべきなのは、ライト以外のヒューマンをライトと同じく強くすることや、ライト以外にも、気付かないだけで優秀なギフトで活躍出来るヒューマンがいるか探すことです。
現在ライト以外のヒューマンが強くなれないのは、本作世界ではモンスターなどを殺すかそれに協力して「横殴り」で経験値を分けてもらわないと強くなれず、最初にライトの強化に利用した中程度のレベルのモンスターは、ライトの部下のアオユキが仲間にしたのでライトがもう殺せない、敵にしかならない特殊なモンスターは強過ぎて弱いヒューマンでは横殴りも出来ないためになっています。
しかし、ライトの部下のメイなどは、貴重なギフトと同じ「鑑定」というスキルで、ライトのギフトの真価を見抜けるので、本来ならば、ライト以外にも優秀なヒューマンのギフトが埋もれている可能性もあるのです。ライトの望みを叶えたいにもかかわらず他のヒューマンを強く出来る可能性を提案しない部下、自分が唯一無二でなくても良いと考えているライト自身がそれぞれ、「魚は与えても魚の獲り方は教えない」に該当すると言えます。
また、ヒューマンが弱いから差別されるという展開のはずが、ライトの部下のメイドなどは、ヒューマンを働かせるときに結局はその弱さに不便さを感じて酷使しようとしたことがあります。ならば強くする指導を考えるべきなのが見えていないようです。
圧倒的な強者でも相手の自由意思からしか得られない利益
2024年4月4日閲覧
『歳と魔法はキス次第』などを見ますと、圧倒的な強者でも、弱者の自由意思だけはどうにも出来ないので、それで苦心することがあるようです。
『歳と魔法はキス次第』では、魔法使いは正体を人間に知られると呪いで弱体化し、キスにより魔力を一時的に回復させるしかなく、呪いを解くためにはその人間の願いを叶えるしないとされます。
しかし、大金を与えることも出来るはずの魔法使いのザラでも、目撃した透の「好きな人に告白する」という「心からの願い」には苦戦しています。それは、「相手の自由意思だけは強さでどうにも出来ない」と言えます。
『ドラゴンボール超』では、全ての生命や宇宙を消し去れる神の全王でも、「友達がほしい」という願いを、人間の中では強いけれども全王には抵抗出来ない孫悟空がかなえます。そして並行世界を消し去った全王にも、悟空は孤独になった全王を自分の世界に連れて来て助けました。それは「友達だから」でしょう。
圧倒的な強者でも、弱者を消さずに、「友達」のように対等かつ自由な意思を持つ相手でいるからこそ得られる利益があるのでしょう。
『ウルトラマングレート』では、全宇宙の生命を吸収しようとするゴーデスに、人間の科学者であり、かつてゴーデスの細胞に感染して操られていたスタンレーが協力します。
しかし、ウルトラマングレートと一体化したシンドーが、友人のスタンレーをかつて火星でゴーデスから助けられなかったこと、それでも今度こそ「助けたい」という発言をしたとき、スタンレーは、「火星で聞きたかった台詞だな!」と返しており、「友達」という概念を完全には否定していなかったようです。
そしてスタンレーを完全に吸収したゴーデスは、人間の環境破壊を止めるためだとして、ウルトラマングレートと戦い、グレート自身も大気汚染で苦しんでいるとある程度心配していました。するとシンドーは、ゴーデスの心配をするようになったのか、「全生命を吸収して、友達もいないのに生きて行けるのか?」と問いかけ、ゴーデスを動揺させました。
それはスタンレーの「友達」を全否定してはいない精神が影響したとも取れますし、全生命を操ってしまえば友達はいなくなる、つまり自由意思がなければ友達ではないと言えます。また、ゴーデスがグレートの心配をするような形でゴーデスの心配をしてくれる相手も、吸収してしまえばいなくなります。
全王にしてもゴーデスにしても、周りの全てを消したり操ったりすれば、自由意思で自分に何かの喜びを与えてくれる相手がいなくなることを恐れたようです。
それが、圧倒的な強者でも相手の自由意思だけはどうにも出来ない、「上位概念に出来ないこと」だとも言えます。
だからこそ、『歳と魔法はキス次第』の最終回のサブタイトルが、「歳と魔法はキミ次第」なのでしょう。
最近連載が完結した『デビィ・ザ・コルシファは負けず嫌い』でも、人間より圧倒的に強い悪魔が、人間に「対等なルール」のゲームで勝とうとして負けるのを繰り返し、「上位概念に出来ないこと」を露呈させたとも言えます。
独裁では自然環境も守れず、する側も得られないものがある
『シン・仮面ライダー』のハチオーグは、全ての人間を操ることで自然も破壊しない社会を作ろうとしたらしいのですが、それは少なくとも経済から間違いだと、『逆資本論』から想定されます。
独裁の全てが共産主義とは限りませんが、少なくとも経済を政府が統制する共産主義では、かえって資源の無駄遣いを止められなくなると、『逆資本論』にはあります。また、「脱成長」で重視される「コモンズ」という共有資源は、周りに配慮せずに資源を独占する「コモンズの悲劇」が起きるとされます。
人間の自由意思による資本主義などの経済が、かえって環境破壊を防ぐ逆説があるようです。
また、ハチオーグは前日談の漫画版で、まだ子供だった頃の保育園で、正体を知らない園児の前で「支配」や「独裁」の肯定を主張したものの、同じ子供のルリ子がバイクの玩具を組み立て周りに褒めてもらったのに苛立っていたようです。これも「周りが心から誉めてくれる」意味で、相手を支配する独裁では得られない利益という意味でしょう。
「あなたが周りを支配しない方があなたのためでもある」という、逆説的なパターナリズムも、世の中にはあるのかもしれません。
だからこそルリ子も本編で、ハチオーグについて、「彼女のためにも消えてもらうしかない」と言ったのかもしれませんし。
2024年4月4日閲覧
『ギフト無限ガチャ』でも、ライトは、有望な若者のように重視しているヒューマンのミヤとエリオが、自分に服従はせずに何か自分の予想を超える善行などをすれば、それにより、支配するだけでは得られない利益を見出し、独裁から成長するかもしれません。
『シン・仮面ライダー』と漫画版
『シン・仮面ライダー』のクモオーグは、バッタオーグ=本郷が「人を殺す幸せなど僕にはない」と言ったのを、「分かり合えないのが残念です」と言ったのですが、漫画版で、クモオーグは、のちにチョウオーグとなるイチローに「分かり合えないのが残念だよ」と言われたと判明しました。
また、クモオーグはイチローに、「プラーナは充分に補給出来ましたか?」と言い、これはのちにイチローが従える一文字隼人も本郷に話しています。また、その台詞を隼人の父親も聞いていたようです。
このように、本編に繋がる台詞が少しずつ漫画版で示されていくのに興味もあります。
クモオーグの「化け物」と『シン・ウルトラマン』
『シン・仮面ライダー』漫画版で、イチローからクモオーグを、一文字隼人の父親が救うことになるようです。
また、クモオーグが複数対の腕を生やすなどを、何故か居合わせられた一文字の母親は「化け物」と表現しているので、父親ほどクモオーグへの気遣いはしていないようです。
これは、『シン・ウルトラマン』で、禍威獣対策の職務に就く船縁が「虫は嫌」と発言し、この作品に『ウルトラマン』のバルタン星人のような虫型の外星人などが登場せず、逆に外星人のザラブが「人間が害虫と呼ぶ生物を殺すのと私が人間を滅ぼすのは同じ事案に過ぎない」と表現したのに近いかもしれません。
ここに、『シン・ウルトラマン』から『シン・仮面ライダー』への皮肉な主張の継承があるのかもしれません。
また、一文字隼人の仮面ライダーは、『しん・仮面ライダーだゾ』では雲オーグを倒しているのですが、これもどう繋がるか分かりません。
クモオーグの「気分」
『シン・仮面ライダー』のクモオーグがルリ子の眼を潰そうとしたのは、その眼に特殊な機能があるため、戦略的にやむを得なかった可能性はありますが、その割に二度目に捕らえたときに直ぐにしていないので、やはり気分の問題かもしれません。
漫画版で一文字の両親を捕らえたことや、「イチロー君には罪が足りない」と言ったように、あえて悪いと分かっていることをしたいのかもしれません。
『真実のカウンセリング』で、何を根拠に「怠惰が最大の罪」だと主張しているのか
2024年4月4日閲覧
『真実のカウンセリング』では、「怠惰が人類の最大の罪」だと主張していますが、その根拠が見えません。
つまるところこれが、「弱者が怠惰なのが悪い」という「ビジネスエリート右翼」に繋がる発想なのかもしれません。
確かに、弱者の怠惰が招く罪というものはあります。
たとえば『相棒』で神戸が初登場した回では、精神障害の代わりに特定の分野で優秀なサヴァン症候群の男性が、死体の絵を描いたのが証拠になるか議論になりました。普段彼は実際の動物の絵しか描かないためです。
しかしそれは、彼が死体を背景としてネズミの絵を描いていただけで、「実際の動物の絵」ではあったのです。彼が帰ったときに動揺していたのは、死体をそう認識しておらず、単に犯人に追いかけられたためだったようです。
これも、推理した右京は直接言及していませんが、「他人の危険には鈍感で自分の危険には敏感」という「弱者の悪さ」、「臆病さ」、「怠惰」などを描き、精神障害者を聖人君子にはしない描き方だったのかもしれません。
しかしそれはそれで、『真実のカウンセリング』とは別に『マンガで分かる心療内科』で、エジソンを医学的弱者としてはあまり悪く描かなかったように、「弱者でも悪いときがある」と言えます。それならば、医学的弱者こそ「悪」のときもあることになります。
『真実のカウンセリング』では経済的に成功出来ないようである人間ばかり「怠惰」と呼んでいますが、『マンガで分かる心療内科』で悪く描かない配慮をしているかもしれない医学的弱者もそうである可能性はないのでしょうか。
やはり、『真実のカウンセリング』などの「弱者に厳しい」主張は、政治や経済の弱者ばかり責める偏りがみられます。
また、『相棒』のこのときでも、最大の悪人は当然殺人犯であり、死体を放置した目撃者は「怠惰」ではあっても殺人犯ほどひどくはないはずです。
何を根拠に『真実のカウンセリング』で「怠惰が最大の罪」だと言ったのか気になります。
参考にした物語
特撮テレビドラマ
樋口祐三ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966-1967,『ウルトラマン』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018年7月7日-12月22日(放映期間),『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)
特撮オリジナルビデオ
會川昇ほか(原案),鈴木清(プロデューサー),テリー・ラーセン(脚本),アンドリュー・プラウズ(監督),1990,『ウルトラマンG(グレート)』,バンダイビジュアル
特撮映画
樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝
石ノ森章太郎(原作),庵野秀明(監督・脚本),2023,『シン・仮面ライダー』,東映
漫画
井上純一(著),アル・シャード(監修),2021,『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』,KADOKAWA
井上純一,2023,『逆資本論』,星海社
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2020-(発行期間,未完),『真実のカウンセリング』,少年画報社(出版社)
山田胡瓜,藤村緋二,石ノ森章太郎,庵野秀明,八手三郎,2023-,『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』,集英社
平方昌弘,2020-(未完),『デビィ・ザ・コルシファは負けず嫌い』,集英社
船野真帆,2021-2022,『歳と魔法はキス次第』,講談社
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
かっぴー(原作),nifuni(漫画),2017-(未完),『左ききのエレン』,集英社
作画/大前貴史,原作/明鏡シスイ,キャラクター原案/tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,講談社
小説
梅原克哉,1990,『迷走皇帝』,エニックス文庫
明鏡シスイ,『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,小説家になろう(掲載サイト)
https://ncode.syosetu.com/n9584gd/
2024年4月4日閲覧
烏丸英,2023-(未完),『ニチアサ好きのオタクが悪役生徒に転生した結果、破滅フラグが崩壊していく件について』,カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/16817330651963156715
2024年4月4日閲覧
明鏡シスイ,tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,ホビージャパン
北村想,2008,『怪人二十面相・伝』,小学館
北村想,2008,『怪人二十面相・伝PARTⅡ』小学館
テレビアニメ
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
臼井儀人(原作),ムトウユージ(監督),川辺美奈子ほか(脚本),1992-(未完),『クレヨンしんちゃん』,テレビ朝日
テレビドラマ
田村直己ほか(監督),中園ミホほか(脚本),2012,『ドクターX』,テレビ朝日系列
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2009,『JIN-仁-』,TBS系列(放映局)
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2011, 『JIN-仁- 完結編』,TBS系列(放映局)
橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)
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