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『ウルトラマンコスモス』と『ウルトラマンネクサス』から、「無知」と「残忍さ」を掘り下げる


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 なお、ここでの上の図は、エクセルで作りました。




 『ウルトラマンネクサス』をマルクスの『資本論』と組み合わせて、経済について幾つかの主張をまとめました。


 しかし、経済と対立するものとして、環境問題がしばしば問われます。
 『ネクサス』の次作『ウルトラマンマックス』では人間の環境破壊に憤るらしい怪獣や宇宙人が多く、ダークバルタンのときに「人間は経済優先で環境を破壊した」と登場人物が話したり、経済評論家がゲロンガの出現に臆した様子を見せたり、終盤の地底人デロスが「環境を破壊するなら経済活動をやめろ」と人類に要求したりしています。

 しかし、経済と環境の問題を、今後は両立させなければならず、その着地点を探す必要性も私は感じ取っています。
 そこで、『ネクサス』の前作『ウルトラマンコスモス』での「環境問題」を取り扱ううちに、一見すると展開や怪獣の扱いが逆でありながら、意外な形で『コスモス』と『ネクサス』に繋がる部分があるとみなしたため、ここに書きます。


 今回は、「無知」と「残忍化」を挙げます。

 『ウルトラマンコスモス』と『ウルトラマンネクサス』の重要な部分を明かします。ここから先を読む方はご注意ください。


はじめに

 まず、『コスモス』では大人しい怪獣が多く、人間の環境破壊やカオスヘッダーという未知のウイルスなどの影響で凶暴化する場面が多いため、人間が保護します。
 一方『ネクサス』の「怪獣」と呼べるのは、宇宙から来た「異生獣」であるスペースビーストという未知の生命体であり、人間を捕食して細胞から増殖して進化し、人間の恐怖も吸収する残虐な存在であり、人間は徹底して戦います(あまり「怪獣」と呼ばれませんが)。

 これだけでも、物語の展開が逆に映ります。また、「人間の恐怖やエネルギーを吸収する」のが私はマルクスの『資本論』の資本を連想し、『ネクサス』が経済の象徴で『コスモス』が環境を扱うとすれば、議題も対立すると言えるかもしれません。
 しかし、これらを深く掘り下げると、両者の共通項、そして経済と環境の折り合いにも繋がる部分があります。


情報を「無知」と「残忍化」で整理する


 まず、『ネクサス』においては、人間を捕食して恐怖を吸収するのがスペースビーストの目的であるため、特務機関「TLT(ティルト)」により人口密集地に「ポテンシャルバリア」という見えない壁が張られ、人口の少ない地域が切り捨てられる傾向がありました。また、その被害を情報操作や記憶の封印で隠しています。
 しかし、そういった地域では素行の悪い人間の描写も目立ち、バスの運転を妨害する客、車の運転中に大音量で音楽を鳴らしてビーストの接近に気付かない人間、ゴミを不法投棄する人間、犬を遺棄する人間の描写もありました。
 それらは、おそらく人目に付かないために起こる犯罪や不道徳な行いです。

 そのためTLTが素行の良い人間を優先して守った結果、人口の少ない地域はビーストに襲われやすくなり、それを「事故」とみなしてさらに人口の流出が起きて治安が悪化する循環が起きていた可能性があります。
 ただし、人目に付く場所で全ての種類の犯罪が減る保証もありませんが。
 いずれにせよ、そこにはビーストの情報を知らないことと、知識の流れの停滞により治安が悪化することの循環があります。

 これを私は、マルクスの『資本論』における「無知と残忍化」だと推測しました。
 それを犯罪などについて議論しているところもあります(池上彰 2009年:pp.252-254)。
 これは失業者などについて使われますが、それが労働者の労働時間の拡張や賃金低下にも繋がり、現代の非正規雇用を言い当てているという指摘もあります。

連鎖する「無知」と「残忍化」


 さらに重要なのは、ビーストに襲われる地域を冷徹に管理して、一見すると知識を独占しているようであるTLTや現場のナイトレイダーもまた、自分達の中に敵に利用されている存在がいると知らなかったり、切迫した状況で敵の行動を把握し切れず苛立ったりして、「無知」と「残忍化」を起こしていることです。
 具体的には、組織が主人公の新入隊員の孤門(最終回以外ウルトラマンには変身しません)を監視していながら、その恋人が既に敵に殺されて操られていたことに気付かず、収容してから新聞記事で知るなど後手に回るところがありました。
 また、孤門も憎しみに駆られてビーストの幻覚に惑わされて当たり構わず銃撃し、止めに入ったウルトラマンの姫矢を巻き込みかけました。
 孤門の私生活まで監視する組織の人間は、明確に敵である溝呂木に孤門が暴行を受けても、助けることも反撃することもせず、別の空間に飛ばされて手遅れになってから近寄るという「冷たい」とも「間が抜けている」とも取れる行動をしたときがありました。
 副隊長の凪は「技術とか経験を超えた、戦場での資質のようなものがある」と隊長の和倉に評価されましたが、その根拠は、「機械で分からなかったビーストの気配を感じ取った」ということでした。しかし凪は、ビーストが暴れる地域で孤門が目撃した生存者や、ビーストの体内に囚われた生きた人間の存在までは「気配」でも分からず、それをあとで反省する姿勢にも欠けています。「そんなことは分かるわけがない」、「知るか」で片付けてしまう可能性もあります。
 姫矢が変身したウルトラマンも、別の空間で戦うつもりがナイトレイダーに攻撃が当たりかけて関係を悪化させた面がありましたが、そもそものちに姫矢やウルトラマン自身が気付いていたかさえ劇中で曖昧であり、敵視していた凪も仲立ちしようとした孤門も、「奴の攻撃が妨害した」、「あれは事故です」と基地で言いつつも、現場で本人にそういった些細な点の説明をせずにこじらせていたようです。

 つまり、『ネクサス』の対立は、自分の知らない部分を、誰にでも避けられない「残忍さ」で補おうとして、悪循環や連鎖を引き起こすのです。「弱さ」と「悪さ」が混ざり合うために収拾が難しいとも取れます。
 「無知」と「残忍化」は、一種の連鎖反応が起きてしまうのでしょう。

『コスモス』の防衛軍

 さて、ここまで『ネクサス』を長く説明しましたが、一見すると「怪獣」などに関して逆の方向性である『コスモス』にも、「無知」と「残忍化」はあります。
 『ネクサス』を仲介すると、さらに深く入り込めます。
 まず、『コスモス』でレギュラーの、ウルトラマンと協力し合う組織は「防衛チーム」というより民間の怪獣保護を行うSRCに所属するチームEYESです。
チームEYESが保護する怪獣は、人間の設備やカオスヘッダーという未知のウイルスによる例が多くなっています。そもそも「怪獣」の境目が難しく、コスモスが倒した怪獣もいますが。
 人間の中でそれと特に対立するのは、怪獣を殲滅することにこだわる傾向のある防衛軍です。
 防衛軍は怪獣に早く攻撃する傾向が強く、何度か戦闘機を撃墜され、また環境汚染などで怪獣を暴れさせた場合、兵器を暴走させた例も幾つかあります。
 ただし、チームEYESを援護した例もありますし、EYESに関連したテックブースターという設備が怪獣「ボルギルス」を暴れさせて、関係者が防衛軍に助けを求めたときもありました。
 しかし、それも踏まえますと、防衛軍の問題もある意味では、「無知」と「残忍化」です。
 環境汚染は科学知識の欠如とも言えますし、自分達が反撃されて死傷者や設備の損害を出しているにもかかわらず攻撃をやめないのは、「命知らず」、「勇み足」、「怖いもの知らず」というのが客観的な表現だと言えます。
 ある意味、『ネクサス』でビーストの恐怖を知らずに人口の少ない地域におり、治安を悪化させる人間の「怖いもの知らず」に『コスモス』の防衛軍が対応している部分があります。
 そして、ときにはEYESにも「残忍さ」や「無知」が連鎖するときがあります。

コスモスの技とカオスヘッダーと怪獣

 チームEYESやコスモスでさえ無知だったのがテックブースターのときですし、加えて重要なのは、ゴルメデやエリガルのときです。
 まず、カオスヘッダーと怪獣に対するコスモスの行動や能力を整理します。
 カオスヘッダーはウイルスであり、まず基本的に大人しいリドリアスなどの怪獣を凶暴化させて、人間達の迷いや対立をあおるところがあります。
 また、ゴルメデなどに対しては生命エネルギーを吸収して、コピーした姿で戦います。
 さらに、カオスジラークなどを通じて人間の感情をコピーしてからは、人間の情報により自らを実体化させたイブリースやメビュートになりました。
 外見でやや分かりにくいのですが、ここでコスモスの技の区別が重要になります。
 コスモスは凶暴化した怪獣については、青いルナモードのフルムーンレクトという光線の興奮抑制作用で鎮めます。
 カオスヘッダーが取り憑いた場合は、ルナモードのルナエキストラクトや、赤いコロナモードのコロナエキストラクトでウイルスを分離させます。
 しかし、それぞれにリスクがあります。
 フルムーンレクトは怪獣の暴れるのを止める作用こそありますが、ゴルメデのときにはカオスヘッダーに対する抵抗力を奪ってしまったようです。エリガルに人間が麻酔弾を撃ったときもそのようでした。
 また、紛らわしいのですが、本物のエリガルが取り憑かれた個体のあとに現れた、実体カオスヘッダー「メビュート」が擬態した方の「カオスエリガル」を本物のエリガルだとみなしてフルムーンレクトを使ったときには効かず、コスモスにエネルギーを浪費させてしまいました。
 ルナエキストラクトは、カオスヘッダーイブリースがルナモードの情報を得たためか、それ以降の本物のエリガルには効かず、それより強力なコロナエキストラクトは、分離こそしたもののエリガルに負荷をかけて死に追い込みました。だからこそ次の「カオスエリガル」を本物と思い込んだときにコスモスは使わなかったのです。
 かなり複雑ですが、カオスヘッダーは人間の情報を得た「カオスジラーク」、そこから学んで実体化した「カオスヘッダーイブリース」、そこからルナエキストラクトに耐性を付けて本物のエリガルに取り憑いたのであろう個体、それにコロナエキストラクトを使わせないように仕向けるため新しく実体化した「カオスヘッダーメビュート」がなりすました「カオスエリガル」の状態で戦ったと言えます。
 これらを整理しますと、やはり「無知」と「残忍化」の問題があります。


必要な「残忍さ」と、知識の限界

 まずフルムーンレクトは、怪獣の「無知」と「残忍さ」の後者のみを抑えます。

 防衛軍も「無知」かつ「残忍」ですが、怪獣にしても人間の設備などの不快な対象を見境なく本能的に破壊する傾向があります。実際には怪獣を攻撃するつもりがない工事やエネルギーの壁などでもです。そこまで考えますと、怪獣を不快にさせる人間の責任とも言い切れず、「それを人間が怪獣に合わせなければならないのか」という反論の余地もあります。
 そこで、コスモスはその場での対策として、フルムーンレクトなどで「無知」な怪獣から「残忍さ」を一時的に奪い、その間に人間に輸送などで解決してもらうのです。
 しかし、あくまでフルムーンレクトは「無知」な相手の「残忍さ」にしか効かず、知能の高いカオスヘッダーそのもの、そしてカオスジラークなどに利用された人間の感情そのものには効きません。
 また、これは私もあるときふと気付いたのですが、ゲシュートや戀鬼などの、カオスヘッダー以外に人間の感情に関わる相手にもコスモスのフルムーンレクトは、使われていないか効いていません。コスモスも、人間の知能と結び付いた感情は特別扱いしてしまう体質を持つ可能性があります。

 ちなみに人間の脳による能力を向上させる代わりに感情を奪うラグストーンが怒りの感情で暴れたときにはルナモードの技が効いていますが、観る限りフルムーンレクトでもルナエキストラクトでもなく、また感情を人間に戻したに過ぎませんでしたから、単純な比較は出来ません。
 つまり、フルムーンレクトは「知っていながら残忍な相手」には効かないわけです。
 それをカオスヘッダーに付け込まれ、ゴルメデの抵抗力を奪ったり、自分自身がカオスヘッダーと戦うためのエネルギーを浪費したりしてしまったのです。
 言い換えれば、ゴルメデや自分に「必要な残忍さ」まで消耗させたのがフルムーンレクトのリスクです。

 私はここまで「残忍さ」と悪そうに書きましたが、必要な部分もあります。マルクスの『資本論』の表現は、その意味でも客観的だと言えます。「残忍さ」はある程度必要だからこそ人間は持ち続け、加減出来なくなるときがあるのです。
 一方で、ウイルスを分離するルナエキストラクトやコロナエキストラクトは、怪獣に負担をかける「残忍さ」があります。
 ウルトラシリーズでは幅広い事例がありますが、敵と一体化した人間などを分離させるのには、負担がかかります。

 「残忍さ」を弱めても強めても、「無知」は何らかの悪い事態を招きますが、誰も知識が無限でない、というより現実が知識を上回れる以上、その調整はきわめて難しい綱渡りだと言えます。


ムサシと孤門の「無知」と「残忍さ」の揺れ動き

 『コスモス』のエリガルなどを巡るコスモス=ムサシのここまで説明した迷いは、「コロナエキストラクトで怪獣に残忍な救出を行うと負荷をかけてしまう。といってフルムーンレクトで怪獣の残忍さを抑えると必要な抵抗力やウルトラマン自身のカオスヘッダーと戦うエネルギーを奪ってしまう。どうすれば良いのか分からない無知な部分が自分達にある」という悩みですが、『ネクサス』の孤門にも、一見異なるようでいて似た悩みがあります。
 恋人を殺された怒りでビーストのノスフェルを銃撃した孤門は、その体内に生存者がいたことに気付かず(些細な連絡の行き違いでした)、重傷を負わせました。
 さらに、再生したノスフェルが「おそらく人間を捕食済み」の状態で現れたときに、孤門は「同じようなことが起きるかもしれない」と恐れて撃てず、仲間を危機に追い込みました。
 それを叱責されても反論する気力すら起きず、仲間達も「ノスフェルが再び同じことをしたとして、それは分かるのか、分離させられるのか」という議論を準備でも戦いのあとでもしていません。
 ここでも「無知」と「残忍化」を孤門以外が起こし、孤門は「無知」と「残忍化」のあと、必要かもしれない「残忍さ」まで失っています。


対応関係の整理

 「無知」と「残忍さ」の関係から考えますと、『コスモス』と『ネクサス』のキャラクターや概念を対応させることはある程度可能です。
 まず、「怖いもの知らず」の防衛軍と、人口の少ない地域の住民です。

 次に、残忍さだけを抑えたのは、フルムーンレクトと、孤門がノスフェルを撃てなかったことです。

 また、無知が残忍さを深めるのは、コロナエキストラクトと、人間を巻き込んでナイトレイダーが戦うことです。
 ある意味で要である、スペースビーストと『コスモス』の怪獣の対応関係は今の私には議論が難しいのですが。

『資本論』と環境問題

 さて、ここまでは『コスモス』と『ネクサス』の共通点を、経済学、というより人間関係で説明した部分が多く、環境問題とは離れている印象もあるかもしれません。
 しかし、近年マルクスの『資本論』には環境問題への意識も込められているという指摘も見かけます(注1)。
自然は公共の財産であるのが資本主義により失われていき(注2)、地下資源を掘り出すなどに繋がるという論理のようです(注3)。
 なお、公共は英語で「コモン」であり、孤門の名字を連想しました。彼は序盤で「際立って優秀ではないが、センスはある」と松永に評価されています。英語で「コモンセンス」は「常識」を意味します。
 それは今後の考察で踏まえます。

注1.斎藤幸平 2021年:pp.100-103
注2.斎藤幸平 2021年:pp.113-118
注3.池上彰 2009年:pp.265-270


少なくとも「無知」と「残忍化」を知ること

 ここまで挙げてきたのは、『ネクサス』と『コスモス』の「無知」と「残忍化」ですが、それだけでは解決策にならず、また環境問題の解決にも繋がらないという反論もあると思われます。
 しかし、少なくとも「無知」と「残忍化」で一見質の異なる『コスモス』と『ネクサス』の展開やキャラクターを整理すれば、議論が深くなるのではないか、その足掛かりにはなるのではないかと、ここに記します。
 『コスモス』も『ネクサス』も、徐々に状況を知り、新しい何らかの「優しさ」を覚えている部分はありますから、きっかけにはなると思われます。


まとめ


 「無知」と「残忍化」は、一見対照的な『コスモス』と『ネクサス』でも、防衛軍やコロナエキストラクトについて扱われており、そこから経済学の現象を取り上げられる可能性があります。

文献

池上彰,2009,『高校生から分かる「資本論」』,ホーム社
池上彰,佐藤優,2015,『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』,朝日新聞出版
斎藤幸平,2021,『NHK 100分de名著 カール・マルクス『資本論』』,NHK出版
カール・マルクス(著),今村仁司ほか(訳),2005,『資本論 第1巻 上』,筑摩書房
カール・マルクス(著),今村仁司ほか(訳),2005,『資本論 第1巻 下』,筑摩書房

佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社
細江達郎,2012,『知っておきたい最新犯罪心理学』,ナツメ社,p.148
的場昭弘,2008,『超訳 『資本論』』,祥伝社

参考にした物語
特撮テレビドラマ
大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001-2002,『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004-2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村上秀晃ほか(監督),金子次郎ほか(脚本),2005-2006,『ウルトラマンマックス』,TBS系列(放映局)


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