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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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これまでの記事で書き落としたことのまとめ,2022年11月12日


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注意

 これらの物語の重要な展開を明かします。特に、『グリーン・レクイエム』と『緑幻想』にご注意ください。

小説

『グリーン・レクイエム』
『緑幻想』

漫画

『ドラゴンボール』
『NARUTO』
『るろうに剣心』
『左ききのエレン』(少年ジャンププラス)
『銀魂』
『キミのお金はどこに消えるのか』

特撮オリジナルビデオ
『ウルトラセブン』

特撮テレビドラマ

『ウルトラセブン』(平成版)
『ウルトラマンガイア』
『ウルトラマンマックス』

テレビアニメ

『ドラゴンボール』
『ドラゴンボールZ』

はじめに

 「弱きを助け強きをくじく」物語の中で、「弱い者を労りたい」面と、「強い者を称えたい」面の議論が難しくなることがあります。弱者を助けなければならない、といって主人公の強さが横暴や悪にならないためには、むしろ主人公の強さは正当なものとして扱いたいために「努力」などの美徳に結び付けたい、といった主張は様々な物語にみられますが、かなりこじれることもあります。

「動く植物」の善的側面

 ここでは、「動く植物」の弱さと強さに善的側面を負わせることの限界から議論します。
 『グリーン・レクイエム』では、植物のように光合成するだけでなく、動く能力を持ち、なおかつ痛みを感じる神経があるため、人間や動物による捕食を恐れたり反撃しようとしたりする宇宙人がいます。
 地球の植物すら「意思」を目覚めさせて操りかねない中で、「他の生物を食べること自体が悪い」という主張に「人間はどうにも出来ない」という展開で、『グリーン・レクイエム』は終わっています。
 しかし『緑幻想』では、地球の植物の代表のような存在に出会い、憤る宇宙人の1人に、「植物は動物を愛しているから、食べられても怒らない」という主張で、宇宙人達は納得し切れないところもあるようでした。
 また、「植物の起源である微生物のシアノバクテリアによる光合成こそ、真核生物の進化をもたらしたものの、当時の原核生物の多くを滅ぼした、人間以前の最大の環境破壊なので、植物は申し訳なく思っているのではないか」ともあります。

動物と植物の細胞の構造の強弱

 けれども、私が動物と植物の特徴や構造を幾つかの書籍で見る限り、それは植物の「弱いところ」と「強いところ」を、人間の基準の善悪で割り振ることによるファンタジーにも思えました。
 まず、何故植物に痛みがないのか、少なくとも神経がないのか、と考えますと、光合成以前に、動くために細胞が分業されておらず、個体の概念が曖昧だからではないか、とも考えられます。個体の概念は『緑幻想』にも言及がありますが。
 『ゾウの時間 ネズミの時間』などによると、微生物の毛には、タワシのような表面を覆う繊毛と、全体に対して大きな鞭のような鞭毛があります。レイノルズ数という物理的な値から、小さな微生物ほど、長さの3乗に比例する慣性より、長さの1乗に比例する粘性が大きく、表面の繊毛を使い泳ぎやすいようです。比較的大きな微生物ほど、鞭のような鞭毛による慣性で泳ぎやすく、全体に対して巨大な毛を使います。
 つまり、大きな生物ほど、泳ぐためには全体に対して大きな器官を発達させる必要があり、細胞や組織の役割に異なる分担をさせやすいのでしょう。
 そして、一部が損傷すると全体への損害も激しいため、神経による警報を発達させたのだと見られます。
 一方植物はあまり動かないために、細胞の1つ1つがほとんど同じ役割を果たしやすく、分業しにくく、一部が全体と同じ構造になりやすい、言わば幾何学的、フラクタルなので、一部の損傷は全体に影響しにくく、むしろ痛みが邪魔なのでしょう。
 むしろ植物は一部を切り離すことにより、種などを、風や水や動物を利用して運んで、緩やかに「動いて」きたとみられます。
 人間の社会組織で言えば、動物の細胞は「分業しているので独立しにくいが、一部の組織が損害を受けると全体に響くのでストライキなどの助けを求めやすい」、植物の細胞は、「分業していないので、一部が損をしてもストライキはしにくいが、独立しやすい」とみられます。
 植物は動物に一部を食べられても怒らない、甘い存在というより、自分の仲間の細胞や組織が、代わりがいるため切り捨てている、むしろその分断を利用する冷徹な生物とも言えるかもしれません。
 資源のうち、定期的に消費するのがフロー、貯めておくのがストックだとされますが、植物はストックとフローの構造が近いのでしょう。
 中央集権の神経を持つのが動物で、地方分権の細胞を持つのが植物だと言えます。
 植物には、警報を出す能力や知性がある、知性の定義が曖昧だ、という書籍もあるようですが、それにしても人間の目に見えるほどの動きをする必要はなく、むしろ無駄なのでしょう。
 この時点で、植物に善的側面を一方的に背負わせるのに限界があります。

『グリーン・レクイエム』の場合

 『グリーン・レクイエム』の宇宙人の場合は、光合成をしながら動くのだから、食べないにもかかわらず神経があるのは、植物の強いところと動物の強いところを持ち、なおかつ食べられる被害者だから、優れている、という主張にも限界があります。
 光合成する植物は、動かなくても良いから動かないというより、動けない事情が2つあります。
 まず、光合成だけで動くとなると、エネルギーが足りません。『グリーン・レクイエム』の宇宙人は、「母星より地球の太陽光が弱いので活動出来ない」と説明していますが、惑星で生物が発生出来るかのハビタブル・ゾーンという概念で考えますと、地球より太陽光が強い惑星では、そもそも生命が発生出来るか怪しいと言えます。
 そして、植物が動いていると、むしろ損害があります。根から光合成によらない栄養を吸収出来ないのです。
 植物は光合成によって得られない、リンやカリウムや窒素化合物などの栄養を、土から得ていますが、それは根の細かな構造によって増えた表面積の部分から細かく化学的に吸収しているのであり、動物のように岩などを噛み砕くわけではありません。
 むしろ植物は、動かなくてもそういった光合成以外の栄養を「食べ放題」なので動かない、というよりその食べ方の都合から動けないのです。

植物とサンゴ

 
 動かない動物では、サンゴやホヤなどの、海水から流れてくる有機物の微粒子を吸収する種類がいますが、それらの生物は動物でも植物のように、同じユニットを繋ぐ構造なので、一部の損害が全体に影響しない、地方分権の活動をしています。この生物も、有機物という違いはありますが、何らかの粒子を「食べ放題」なのです。

 どこかのnoteクリエイターが、植物とサンゴについてファンタジーのような小説を書いていたような気もしますが。

植物は鉱物を喰らっているのではないか

 『緑幻想』では、人型の植物宇宙人が土壌元素を人間の協力で飲んでいるようでしたが、そもそもそれが出来ないからこそ、本来の植物は「動けない」のです。そもそも、何故植物宇宙人が土壌元素を根からの吸収なしに取り込めたのか、という問題を避けていると言えます。
 動物は窒素化合物などを直接吸収出来ず、植物の合成したたんぱく質から奪うのですが、植物はその材料を使える代わりに、化学的な吸収のために動く能力を犠牲にしているのです。
 動く植物というのは、光合成が「出来る」、多くの動物のような運動が「出来る」から地球の植物よりも動物よりも優れている、動物の「他の生物から奪う」、植物の「動かないし痛みもない」という部分を捨てたように見えますが、「太陽の光合成のエネルギーで出来ないほどの運動をする」という意味では無駄遣いをして、「鉱物粒子からの元素を食べ放題な代わりに縛られて動けない」という善し悪しを捨てているとも言えます。

 光合成のための葉などは、太陽光を受け止めるための構造が、動くためには邪魔かもしれませんし、他の生物から奪わずに土壌元素を用いるために根を張り動けないことの善し悪しの観点が、植物宇宙人には欠けています。
 動物に食べられることで種や実を広げる地球の植物の戦略も、「おもねっている」と責める宇宙人がいましたし、「それは地球の生態であり、責めるのは不当です」という反論もありましたが、その植物の戦略は「弱者が強者に屈している辛い現実」ではなく、「動けない代わりに痛みもない、弱いところと強いところの動物と異なる植物が、動物も含めた環境、風なども含めて利用して緩やかに場所を変えている組み合わせの問題」とも言えます。植物は特に「被害者」でもなく、そもそも「被害」と認識すらしていない可能性が高いと言えます。

植物と鉱物の序列

2022年11月12日閲覧

 また、『聖なる場所と記憶』で、アカシック・レコードという、仏教の虚空蔵という概念やシュタイナーの思想に通じるものが、植物の序列を扱っています。
 これによれば、鉱物、植物、動物、人間という順番に降りるそうですが、植物を動物が喰らい、人間が知恵により動物なども含めて環境破壊で苦しめているという構図があるとみられます。
 『聖なる場所と記憶』で引用されている、戦国時代の日本人宣教師の不干斎ハビアンによる書籍『妙貞問答』にもそのような分類があります。
 アカシック・レコードの登場する『ウルトラセブン』平成版では、やはり動く人型の「植物生命体」が、相手を攻撃しない優しい存在として、環境破壊や争いを起こす人間に取って代わるように描かれています。
 しかし、『セブン』平成版では、そもそも人間を滅ぼそうとする非日常の存在が多く、その中には、植物生命体をも滅ぼしかねない例があります。
 それは、「明日かもしれないし、1億年後かもしれない」火山活動による硫黄ガスの噴出で人間ばかりかほとんどの地球生命が滅ぶというガッツ星人の予言により、硫黄細菌と共存する硫黄人間だけが生き残るという回でした。その火山活動はいつ起きるのか分からないままでしたが、冷静になれば、それで植物生命体も滅ぶかもしれません。

鉱物も生命なのか

 さらに、『ウルトラマンガイア』などにおいて、地球を生命とするガイア仮説では、そもそも生命の定義も難しく、火山や海なども含めて地球全体を生命とするそうですが、アカシック・レコードのように、鉱物も生命とみなせるのではないでしょうか。
 『ウルトラマンマックス』には、鉱物の要素を持つ生物としてグランゴンがいます。
 すると、植物生命体は根を張ってはいませんが、何らかの形で、光合成によらない元素として土壌元素を得ている、つまり鉱物を喰らっているのではないでしょうか。生命の定義として、エントロピーの排出は微妙なところですが、鉱物も結晶が生命の一種とみなせないか、という主張があります。
 地球の環境を植物の光合成が破壊したともされますが、そもそも鉱物が主体のガイアの表面を、植物が食い荒らしているという考えもあながち間違ってはいないかもしれません。
 さらに、地球もエントロピーの低い太陽光を吸収して、水などの物質循環でエントロピーを外に追い出しています。
 地球も鉱物や水の生命だとすれば、「だからこそ尊い、守るべきもの」であると同時に、「エントロピーを排出する、他の存在に破壊を押し付ける存在」なのかもしれません。
 『セブン』平成版に「地球の意思」があるとすれば、いつか火山活動で、鉱物生命を食い荒らしている植物すら滅ぼす、という解釈も成り立ちます。

クトゥルーと生命と人間の倫理

 かなり錯綜しましたが、私が言いたいのは、植物に動物のような「食べずに生きられない」という「弱いところ」がなく、「食べられても怒らない」という「尊いところ」を割り振る思考に限界があり、「植物は鉱物を食らっているので動かなくても良い、というより動けない」とも言える「弱いところ」と「強いところ」の裏表を見る必要があるということです。
 平成ウルトラシリーズの解説をする『地球はウルトラマンの星』では、ラヴクラフトのクトゥルー神話をモチーフとして扱い、ラヴクラフトの「人間の倫理は宇宙の中では狭いものでしかない」という発言を引用していますが、植物と動物に善悪を割り振る思想も、生物の世界では主観的なものかもしれません。
 アカシック・レコードからは、「植物は最高の善性を持つ被害者ではなく、鉱物を喰らっている」という教訓が得られるかもしれません。

「強いところ」と「弱いところ」

 主人公の味方に「弱いところ」として「被害者だから助けなければならない」、「強いところ」は「努力や精神などの尊いところだから誉めなければならない」という論理で肯定を重ねる要素は、様々な物語にありますが、「強いところ」と「弱いところ」は山と谷のように不可分であり、それを主人公達に都合良く割り振れるか、と疑問が生じるところもあります。

「替えのきかない有能」の「強弱」の「ところ」

 『左ききのエレン』で、「会社員に必要なのは、若い社員に多い、替えのきく無能を自分と同じレベルにまで引き上げられる替えのきく有能であり、少数の天才で成り立つ組織は欠陥品だ」という主張がありました。
 つまり、「周りが追いつけないほど優れた天才」は、「天から授かったような才能を周りに伝えられない、自分に出来ることを分かりやすく説明出来ない」からこそ、「周りが真似出来ない」という「強いところ」と「周りを指導出来ない」「弱いところ」があるのでしょう。
 『ドラゴンボール』は、途中から主人公達が地球人などの社会で圧倒的に強くなり過ぎて、その説明を怠り、「分からない方が劣っている」という主張が多いのですが、魔人ブウに元気玉を放つときに、突然大勢の一般人に助けてもらうときに説明出来ず、ベジータや孫悟空が焦っていました。しかしそれは、『左ききのエレン』で言えば、彼らが「替えのきかない有能」であるために、「替えのきく無能」を引き上げられない、とも言えます。それまで主人公達が軽視してきた、「弱いところ」が露呈したのです。
 『左ききのエレン』でも、元気玉のときの悟空の「オラに元気を分けてくれ」という言葉を引用する、トップクラスの芸術家の佐久間がいましたが、彼は言わば「仲間からしか協力してもらえない悟空」とも言えます。
 『ドクターX』の外科医の大門も、「優秀な医師は駄目な医師を助けている場合ではない」という「替えのきかない有能」だと言えます。
 『ゾウの時間 ネズミの時間』では、「アメリカは日本に比べて優秀な人間とそうでない人間の差が激しい。小さな島では中くらいの動物が多く、大きな大陸では動物の大きさのばらつきが激しい島の規則に似ている」とあります。
 さきほどの細胞の論理で言えば、「替えのきく有能」の少ないアメリカは、大陸であるために役割分担や分業の要素が強く、言わば動物の細胞のように不規則的で、「替えのきく」要素が強い日本は、役割分担があまりなく、植物の細胞のように能力のそろった人間が多いのでしょう。
 植物に善性を全て背負わせるのは無理だとも書きましたが、逆に人間社会において、アメリカのような、動物細胞のような差異の激しい構造に全ての善的側面を『ドクターX』の大門のように背負わせるのも限界があります。
 人間の善悪が生物だけでなく、人間社会の構造にも当てはまらないところがあるとすれば、やはりクトゥルー神話が参考になるかもしれません。

日本の相対と絶対の貧困

2022年11月12日閲覧

 日本では絶対的貧困が少ない代わりに、相対的貧困は増えているようですが、「海外の労働者はもっと安い賃金で働いている」といった論理には限界があります。
 言わば、日本は高い山の中の谷が激しく落ち込んでおり、日本全体の賃金が高くても、絶対的貧困は少なくても、相対的貧困は増えているので、「高い山の中の谷」である日本国民の大半と、「低い山の頂上近く」の海外の労働者を比べるのには限界があります。
 『キミのお金はどこに消えるのか』では、日本人男性と結婚した中国人女性が「中国の貧しい人はもっと貧乏なのだから、日本で貧しい人はその人のせいでしょう」と言ったところ、「20年前より中国が経済発展して、今の日本が遅れているのは日本人の怠惰のせいですか?」と夫に尋ねられ、「確かに日本人も頑張っていますね」と答えていますが、おそらく絶対的貧困と相対的貧困の「ところ」の問題がこじれているのでしょう。

『るろうに剣心』と『銀魂』の貧困の種類

 少年漫画で言えば、『るろうに剣心』は明治の日本に架空の人物がいるものの、歴史が変わるわけではないので、農村などの絶対的貧困が多く、『銀魂』は幕末から宇宙人が介入した20年後を描くために、現代やメタフィクションの要素があるために、相対的貧困を描くのでしょう。
 『NARUTO』も主人公のナルトは、カップ麺が好きなので、おそらく文明としては相対的な貧しさに近いかもしれません。
 『銀魂』の銀時は、携帯電話こそ購入が難しいものの、雑誌やゲームなどに詳しく、『るろうに剣心』では考えられないほど「絶対的」には豊かで、「相対的」には貧しいのです。
 歯磨きのときに、『火垂るの墓』の時代を『銀魂』で持ち出した銀時の発言もありましたが、戦時中の日本の、おそらく絶対的貧困と、『銀魂』の相対的貧困は質が異なります。
 食べ過ぎで肥満になることも描く『銀魂』は、現代アメリカなどで文明が発達すると、貧困層ほどジャンクフードで太る「食の砂漠」を克明に描いています。そのとき、「太った」主要人物の中で、将軍に剣術を指南する「名門」の柳生九兵衛だけが、鍛えているので本当は太っていなかったというのは、裕福な人間ほど節制しているので太りにくいという「食の砂漠」の、そして現代日本やアメリカの相対的貧困の複雑さの象徴とも言えます。

海外と日本の貧困

 『キミのお金はどこに消えるのか』では、現代日本に多い、「環境破壊や労働問題の解決のためには経済成長しない方が良い」という主張に、「中国は経済成長したことで下水や排気ガスなどの環境問題をある程度改善した」と反論しています。
 「脱成長」を主張する『人新世の資本論』では、「日本は経済の恩恵を受けながら、環境への負荷を貧しい国に押し付ける上層である」とあります。
 しかし、日本で相対的貧困が増えている中で、外国の絶対的貧困とも関係する環境問題に注目しにくいのは、環境問題と絶対的貧困が現代日本では「見えにくい現実」で、相対的貧困が「見えやすい現実」であり、前者が「理想論」かのように扱われるのが議論を難しくしているのでしょう。
 それどころか、「海外の絶対的貧困」にだけ注目すると、「現代日本の労働者は賃金がもっと低くても良い。海外にはもっと辛い人がいる」という論理で、相対的貧困という「見えやすいはずの現実」すらも悪化させてしまうかもしれません。環境問題を改善するためにも、日本は相対的貧困を解決すべきだ、という論理が見えにくいのでしょう。
 『ウルトラマンマックス』では、怪獣の出現などを、人間の環境破壊への警鐘や調整作用とすることが多いのですが、「文明がなければ弱い人間から死んで行く」現実の描写もあります。
 あくまで怪獣は「不平等な天罰」にしかならないのでしょう。そして、日本は相対的貧困と絶対的貧困の区別を付けなければ、「弱いところである自国の貧困層を守る文明」も崩れる可能性があります。

まとめ


 物事や人間や社会の「強いところ」と「弱いところ」に善悪を割り振る思考に限界がある、ということから、植物とサンゴ、アメリカと日本、明治や戦時中と現代の日本などの、苦しみの定義などを考察しました。

参考にした物語

小説

新井素子(著),日下三蔵(編),2019,『新井素子SF&ファンタジーコレクション1』,柏書房(『グリーン・レクイエム』,『緑幻想』)

特撮オリジナルビデオ

神澤信一ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -2002(発売日),『ウルトラセブン』,VAP(発売元)

特撮テレビドラマ

神澤信一(監督),右田昌万(脚本),1994(放映期間),『ウルトラセブン』,日本テレビ系列(放映局)
根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -1999(放映期間),『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)
村上秀晃ほか(監督),金子次郎ほか(脚本),2005-2006,『ウルトラマンマックス』,TBS系列(放映局)

テレビドラマ

田村直己ほか(監督),中園ミホほか(脚本),2012,『ドクターX』,テレビ朝日系列

漫画

かっぴー(原作),nifuni(漫画),2017-(未完),『左ききのエレン』,集英社
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
和月伸宏,1994-1999(出版社),『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』,集英社(出版)
岸本斉史,1999-2015,(発行期間),『NARUTO』,集英社(出版社)
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)
井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA

テレビアニメ

清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列

参考文献

本川達雄,1992,『ゾウの時間 ネズミの時間』,中公新書
本川達雄,2017,『ウニはすごいバッタもすごい デザインの生物学』,中公新書
高橋英一,1989,『動物と植物はどこがちがうか』,研成社
鎌田東二,1996,『聖なる場所の記憶』,講談社
ローレンス・E・ジョセフ(著),高柳雄一(訳),1993,『ガイア 蘇る地球生命論』,TBSブリタニカ
切通理作,2000,『地球はウルトラマンの星』,ソニー・マガジンズ
エヴァン、D.G.フレイザー(著)アンドリュー・リマス(著),藤井美佐子(訳),『食糧の帝国』,2013,太田出版
室田武,1983,『君は、エントロピーを見たか?』,創拓社
斎藤幸平,2020,『人新世の「資本論」』,集英社新書
海老沢有道/訳,1964,『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子』,平凡社
ジェームズ・ラヴロック,2006,『ガイアの復讐』,中央公論新社
ジェームズ・ラヴロック,2003,『ガイア 地球は生きている』,産調出版
藤田孝典,2017,『貧困クライシス 国民総「最底辺」社会』,毎日新聞出版
石井光太,2014,『世界「比較貧困学」入門 日本はほんとうに恵まれているのか』,PHP新書
ステファノ・マンクーゾ/著,アレッサンドラ・ヴィオラ/著,久保耕司/訳,2015,『植物は〈知性〉をもっている 20の感覚で思考する生命システム』,NHK出版 
 
 

 

 

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