加速化する世界のなかで
「将来の夢はなんですか?」
私達は生きていると何度もこの質問をされる。
特に、10代の頃は驚くほど何度もこの質問に対して、なんとなく聞いたような言葉を並べて、ぎこちない返答で応えることになる。
だけど、この質問は、決して悪いわけではないけれど。現代において、ちょっとずつ、見当はずれな質問になってきている。
多くの場合、この「将来の夢」という表現は、「なりたい職業」をさす場合が多いからだ。
いまから20年後、私達の知らない職業は、余裕で50%を超える。
今現在の私達が知らない職業が、半分以上を占めるということだ。
今から20年前、ブロガーやアフィリエイターやYouTuberというものを誰も知らなかったのと同じで、まったく新しいものが形や表現を変え、常時、新しいものが生まれ続ける。
それがどんどんと加速し、今の子供たちが社会人になる20年後、半分以上の職業が聞いたこともない職業だということになる。
つまり、いままでは「手に職を」と、よく言われたものだけど
これからはめまぐるしくその職が変化していく。
その中で大切なのは「職」ではなく、「原理原則」になってくる。
「手に職を」と職にコアがあった時代は、ひたすらに強い者が強かった。
声のでかいほうや、力の強いほう、とにかくマッチョな思考が強く、「とにかく足で稼げ!」「とにかく働け!」「もっと努力しろ!」とピラミッドを作るかのようにマッチョ思考が力を握っていた。
だけど、インターネットという時代が始まってから
マッチョ思考だけじゃどうしようもないことに皆が気付きだす。
(本来元々そうなんだけども)
大切なことは、のぼりエスカレーターに乗ることなのだと。
「人生はどの山に登るかで大半が決まる」
- 孫正義 -
自分の能力も大切だけど、何より大切なのが、どのエスカレーターに乗るかだ。
下りエスカレーターに乗ってしまえば、猛ダッシュを続けなければならないし、自分が止まってしまえば下がっていく。どれだけ能力が高くても、走り続けても進まなければ「自分はダメなんじゃないか?」と思い始めて疲弊していく。
本当は全然ダメなんかじゃない。
乗るエスカレーターがダメなのだ。
のぼりエスカレーターに乗ってる人は、その人自身が進んでいようと、止まっていようと、登り続けてくれるわけだ。
いくら松下幸之助が今の時代に現われても、『電球のソケットを売る』とか言いだしたら、勝つことは簡単ではない。
有能なマッチョになることよりも大切なのは、のぼりエスカレーターに乗ることなのだ。
インターネットは“繋がる”をキーワードに
主に、物販やコミュニティや情報を再定義した。
でも、次のAI革命は、何を再定義するかというと
「すべて」を再定義するものになる。
私達が生きてきた中で間違いなく一番大きなビッグバンだ。
いままでの考えや、やり方を捨て、新しく再構築するのだ。
だから過去の栄光というものが、時代的にどんどんと重荷になっていく。
これからの時代は、”身軽”がキーワードになってくるからだ。
モノや仕事が所有からシェアへ移行してきているのも同じ理由だ。
過去の成功体験も、所有物も、背負えば背負うほど動きが遅くなる。
すべてをおろし、できる限り身軽になることだ。
これからは”身軽”がもっとも強い装備品だ。
乗り込むエスカレーターはいくつあってもいいし、何度乗り換えてもいい。
身軽に時代に合わせて動けたらいい。
「将来の夢は何ですか?」
そう考えると、この将来と言う言葉は
どんな存在でありたいのか?
どんな生き方をしたいのか?
ということになってくる
死ぬ間際に、どんなことを言いながらこの世を去っていくのか?
という部分にすべてが表れるのかもしれない。
「あぁ、いい人生だった」と言いながら去っていくのか?
「あぁ、やりきった」と言いながら去っていくのか?
そんな最後の言葉だ。
そして、どんな将来を生きるかは、「いま」に集約される。
いま、どのエスカレーターに乗り込むか、いつでも、どのエスカレーターにでも乗り込める身軽な自分でいるのか?
そんなことを思いながら、未来を楽しむといい。
めしょん