見出し画像

いい医者?悪い医者?

前回、“臨床能力”を考察し、臨床能力が高い医者は“いい医者”かは相関はあれど、一致はしないと考えた。

今回は、“いい医者”って何かを考えてみようと思う。

結論から言う。極論だが、“いい医者”というのは、自分にとって“都合のいい医者”だ。その都合は、“自分にとって”のその立場によって変わってくる。だから当然、その医者に求める内容も変わってくる。

なので、種々な立場から見た“いい医者”というのを考察していく。


同一診療科の医者から見た“いい医者”とは


同一診療科の医者から見た“いい医者”は、ベースである医学のところがしっかりしていることが必要条件だと思います。正しく診察、検査がなされ、妥当性のある指示や治療がplanningされ、上手くはなくても安全に配慮した手技がなされている。当然ですが、これが必要です。逆にこれが出来ていれば、その科の医者を名乗れますし、出来ていないと、“ヤバい奴”つまり悪い医者として噂が立ちます。
そういう意味では、同一診療科の医者から見た医者の良し悪しは、ある程度臨床能力との相関があると思います。ただ、その臨床能力は余程の場合を除いて、一緒に仕事をしていないと分からないことが多いです。一緒に手術に入って、手術のうまさが分かるし、実際の患者診療やプレゼンテーションを聞いて、医学に準じた判断や知識でプロセスを組んでいるのか分かる。それで、“あ、この人はすごく能力が高い人だ”って気が付く。

その上で“いい医者”と評価されるには、その診療科にとって都合がよくなればいい。もちろん、手術が抜群に上手いとか、能力的なこともそう。教育的で色々教えてくれたり、やらせてくれて、その上でしっかり責任を持ってくれる上司は、部下から見ていい医者。休日も率先して救急対応受けて、適切な報連相を行う、フットワークが軽い部下は、上司から見ていい医者。自分が苦手な上司と、うまく折り合って、絶妙のタイミングでいつも間にいてくれる同期はいい医者。臨床能力も評価されるし、人間性とか立ち回りも、それなりのweightを占める。

他科の医者から見た“いい医者”とは


一方で、他科の人間から高評価を得るにはどうすればよいか?
他科からは、自診療科の自分の能力というのは、判断できないことが多い。なので、必要条件である自分の専門診療科の医学的ベース部分がしっかりあるならば、特別秀でた能力よりも、フットワークの軽さやコミュニケーション能力、責任感の方がよっぽど評価される。
こちらから他科へコンサルテーションをした時は、そうは思っていなくても“はい、喜んで”と快諾してくれて、すぐに対応・回答してくれる、コンサルテーションをした病態に対して、責任を持って対応してもらえる。手術が特別上手いよりも、責任を持って手術から術後の管理まで完遂してくれる。そういう人間性の方が評価されます。

私が勤務経験のある病院のある診療科の部長先生…非常に高学歴で、恐らく能力も高いのだと思うけれど、コンサルテーションをしても、一向に診察してくれる気配がない。夕方、確認で電話をすると、明らかに苛立った様子で翌日にしてくれと言われる。翌日電話すると、今日の担当は自分じゃないと返される。私にとっては“いい医者”ではないなと感じる。
逆にコンサルテーションを受ける場合は、その文面で何となく感じるものはあります。私の診療科の疾患概念をある程度理解された上で記載しているものかどうか、つまりコンサルト内容や必要な患者情報が記載されているかどうかで、何かしら調べられた上で記載されていると能力が高そうだな、あるいは丁寧だなという印象を受けますし、逆に何を診て欲しいのか分からない様なコンサルテーションもあります。ひどい場合は、手書きの紹介状で症状らしきものだけ書いてありそうだが、ほとんど読めない走り書きで書いてあるものとか…完全な丸投げ状態。

いずれにせよ、臨床能力よりもさらにコミュニケーション能力やフットワーク含めた相手に対する対応、人間性が最も評価されるポイントになるかと思います。

コメディカルから見た“いい医者”とは


これも他科医師からの評価に似ます。最も評価される箇所は、指示が丁寧に分かりやすく入っているとか、callに対して、素早く不機嫌にならずに対応してくれるとか、そう言うコミュニケーション能力やフットワークです。

無論、手術室看護師や救急外来看護師など、複数の診療科医師と接するスタッフは、色々な情報を持っており、例えば手術手技の鮮やかさや予定時間内に手術が終わるか、救急対応の手際の良さは、思うところがあるでしょう。しかし、それは前回挙げた臨床能力のほんの一部に過ぎません。毎回トラブルを起こしてしまうレベルまでいってしまうと、最低限の臨床能力の欠如と言わざる得ませんが、普通に仕事をこなしている上で、接しにくさや気難しい性格でコメディカルから特別高評価が得られなくとも、臨床能力が高いと思う先生は多くいます。
駆け出しの頃に『いろは』を教えてくれたお世話になった先輩で、この人は論理的でプレゼンも分かりやすいし、こなしている仕事量も化け物クラスで、臨床能力めっちゃ高い!と感じていた先生でも、責任感があり過ぎて患者のことに神経質になり過ぎるようで、コメディカルへの要求も大きく、言っている内容は正しくとも口調が強くなり過ぎるようで、コメディカルから『私、あの人ダメだわ』と言われているのを聞いて意外と思ったことがある。

患者から見た“いい医者”とは


これは患者自身の不安を拭い去って、要求に応えてくれる医者が“いい医者”。しかし、これが難しい。
僕ら医者がやれることというのは、医学に全くの素人の患者から、医学的な問題を抽出し、医学をもって解決を図ること。だから、不安を拭い去るには、まずその問題が医学的な問題である必要があり、かつ医学的に解決可能である必要がある。
そしてそこに患者自身の要求も入る。これも難しい。その要求が時は、時に過剰医療を求めることもあれば、非医学的なこともある。

研修医の頃、激務の小児科当直をしていた時、夜中にある小学生低学年くらいの男の子が眠そうな表情で母親に連れられてきた。朝から熱があるとの事。聞くと、日中に近所のクリニックを受診して、喉周りの細菌感染と診断されて抗生剤を出された様子。確かに38℃後半。ごめんねと謝りながら、寝ているその子を起こして診察する。たしかに細菌感染っぽい所見。上級医に状態を伝えると、すでに抗生剤は出されており、これでこのまま数日経過を見てもらうのでよいだろうとの判断。それを伝えると、母親は怒り出し、『抗生剤を2回飲んだが熱が下がるどころか、今回最高値になっている。本当に細菌感染なのか、抗生剤は効いていないのではないか』そして、『川崎病や悪性リンパ腫ではないか』と。。。あそこまで強い剣幕で食い下がられたのは医者になってから初めて…というか、以降も幸いそれほどの経験はなく、強く記憶に残っている。私の名札を見て、研修医じゃなくて専門医の診察はないのかと怒り、上級医に事情を説明し、対応をお願いした。私から見た限り上級医の対応は完璧だった。診察所見から診断根拠をしっかり説明し、その他の疾患に関しては、積極的に疑う初見は他になく、救急外来という場でさらなる精査の適応はないこと、そういった医学的に真っ当な話を小児科らしい穏やかな口調で話してた。時折、研修医の私を見下すような発言で、口を挟んでくることに対しても、私がした診察内容は真っ当であり、その所見は正確だったとfollowまでしてくれていた。けれでも、その母親には届かなかった。『他に今できる検査はないのか』と食い下がり、結局、『何かあったら責任とれるのか』と言いながら帰っていった。子供が可哀想だと思った。多分、熱が下がらずに、ネットで色々調べたんだろう。あの時以上の小児科的知識はないが、対応として医学的には間違えていないと思う。けれども、あの母親にとって、“いい医者”ではなかっただろう。まぁ、望んでもいないが…
一方で、ある悪性疾患の患者さん。再発例で、chemoもダメになり、医学的にもう手はない状態だった。本人も家族も強い方で、そんな状態も理解はしており、上司と共に所謂BSCを文字通りbestを尽くしていた。状態が悪くなりつつあるなと感じていたある日、その人から言われた。『いつ逝くか分かんねーから、先生たちには迷惑かけちゃうかもしれないけどさ、俺が逝ったら、先生たちのどっちかが看取ってくれよ』と。それからほどなくして、私が最期を見届けさせて頂いた。医学的には、その人の病気に勝てなかった。けれども、その人にとって、“いい医者”でいられたかなと思ってる。

医学は、その基本は自然科学であって、すべてが解明、克服できているものではないので、やはり限界はある。致命的な病態に陥ることもあれば、永久人工肛門や下肢切断などの、多くの方が素直に受容できない状態も起こる。自然科学としての医学を追及することは勿論だが、それだけでは非科学的な要求も含まれる患者要求を満たしきることはできない。

つまり患者対応には感情論や社会事情などの非医学的な問題を考慮しなければならない側面もあり、それらは、時に医学と背反する価値観を持っている。一方で評価されることが、他方からは歓迎されないこともある。その匙加減を見極める能力も患者にとって“いい医者”になるためには必要だろう。

過去に、こんな風刺を見たことがある。
風邪つまり抗生剤の効かないウィルス性の上気道感染の診断で抗生剤を処方した時…
日本人:抗生剤まで出して頂き、ありがとうございます。
アメリカ人:風邪ということですが、この抗生剤は何のために処方されたのですか?
ドイツ人:風邪なのに抗生剤を処方?ヤブ医者だ。
本来無用である抗生剤を処方して、一方では感謝され、他方からはヤブ医者扱いをされる。
未だに古くからの病院で、アルバイトの外来をすると、『かぜ 処方セット』なるものがあり、去痰剤、整腸剤、解熱剤と共に抗生剤が含まれているのを見ることがある。おそらくは、風邪ならば、そのまま経過を見ても治るが、飲水励行だけで帰すより、『じゃあ、喉の腫れ抑える薬と、風邪に効く漢方だしておきますね』くらい言っておいた方が満足度は高いと感じることは多々ある。

“いい医者”と言われると悪い気分はしない。けれども、誰から、どのタイミングで言われるかで意味合いが大きく変わってくるのが、面白いところでもある。

でも。。。一番難しいのは、家族にとって“いい医者”であることかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?