医者のキャリアと学歴
先日、一般総合病院での役職、キャリアのお話をさせて頂きました。
今日は、医者の学歴と出世についてお話ししようと思います。
医者の学歴について
医者は一般的には高学歴に見られ、実際にネット情報では偏差値で言うと低くても60くらいはあるようです。けれども、その中でやはり旧帝大や都市圏近郊の国公立大学は高学歴と見做されるし、私立でも慶應、順天堂、慈恵、日医、自治あたりは高学歴に見られます。中でも、東大や慶応は別格扱いされている印象があります。これは単純な大学偏差値のみならず、医局の強さも大いに影響していると思います。一方で、私の出身の某私大なんかは、某掲示板では底辺私立とゴミクソ扱いされてます。
医者の出世とは
“医者の出世”と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?教授?院長?部長?確かに出世ですが、目標によってキャリアプランは大きく変わってきます。つまり、著しく臨床能力が優れていても、そのキャリアプランによっては望んでいる目標に達せなかったり、逆に、ある役職を目指した場合に、効率的な道筋があったり…
私は医者キャリアとしては、まだ道半ばですが、出世と学歴の関係について、感じたことを記していこうと思います。
種々の病院とキャリア
大学病院
大学病院での出世とは、すなわち教授になり、場合によってはさらにその上の病院長や学長とかが、分かりやすい最高点になります。
この場合、結論から言うと学歴が重要になってきます。やはり東京大学や慶応大学は当然それらの大学の教授になるには、その大学の出身が絶対的に優勢だと思います。
その他の、私立大学も、そのカラーにもよりますが、私の出身の底辺私大では、医局は有力大学のコネクションが強く、〇〇科は某有力国立大系とか、××科は某有力私立大系とか、そんな感じでした。つまり私の大学病院は、それら有力大学の関連病院であり、重要ポストはその大学の人事の影響を受けています。具体的には、ある時期に元締め有力大学から、次期教授と目される人材が赴任してくるのです。
では、そこで働いていた自大学卒業の人間はどうなるか…臨床能力、研究能力が共に優れており、現教授の推薦があれば、主任教授になれる例もありますが、それは学生の耳にも届く院内でも有名なsuper doctorで、基本的には稀です。普通に真っ当にやってきた人は、定年間近になって、主任教授ではなく、〇〇教授という、階層斜め下くらいの役職を与えられ、そのまま定年を迎えることが多いと思います。
私も若い頃は、『あんなに人格があって、派手さはないけど、堅実に手術して結果を出して、論文も“なるほど、その視点は面白い!”なんて感じる発表をされて、新しい技術も真面目に勉強されて、我々部下の面倒見のよい〇〇先生も、この大学出身だとこうなのか…』と、ある意味憐れんで、寂しく思ったことがあります。
一方で、いくつかの大学では、学歴以上に特に臨床能力を重視している印象はあります。こういう大学は、後述するセンター系high volume centerの病院で名を上げた後、迎え入れられるケースが多いかと思います。その診療科をその先生のカラーにしていき、さらに名を上げていくことが期待されており、実際にそれで名が上がると、業界内でも有力大学以上の影響力が出て、医局員も増え、症例数も増え、良い循環に入るのだと思います。
急性期一般市中病院
主に地域の中核をなす総合病院で、都立、県立や区立、私立などの公立であることが多いです。一般市中病院での出世も、部長となり、その後、副院長、院長へと進むことが最高点になるかと思います。
これも学歴が必要になるケースが多いかと思います。そもそも、一般市中病院も、特定大学と強いコネクションがある…つまりその医局の関連病院として扱われているケースが多いです。その有力大学内で、真っ当にキャリアを積んできたけれども、タイミング等々の問題で、教授には届かなかった人のポストであったり、あるいは若いうちからその関連病院に出向し、医局人事の移動をかいくぐって、そのままそこで出世していくケースが想定されます。
いずれにしても、元々はその関連病院の医局に属していることが必要条件で、その病院の役職にポストとしての魅力があるならば、やはり元締めの大学の出身者が多くなるのは自然です。
亜急性期-慢性期一般病院
ここで院長職になっていくのは、近隣大学の元教授レベルの人が多い印象です。元々、その近隣大学の主たる外勤先としての機能もあり、外勤をしていた教授クラスの人がそのまま大学定年後、院長等の役職になっていく形です。病院として、その先生の専門領域は多少強くなりますが、臨床能力よりも、近隣大学病院とのコネクションを維持する役割も期待されている印象です。
センター系の病院、所謂high volume center
その領域が異常に強い病院です。病院名からわかるケースもありますが、病院名だけでは一般病院と判別できない病院もあります。また、前述の様にいくつかの大学病院の特定診療科は、このようなセンター系の病院で結果を出した人間を教授に招き、そこがhigh volume center化して、国内トップクラスの症例数をこなしているところもあります。
ある診療科において、病院規模に見合わないレベルで異常な症例数を稼いでいるところが、そのポイントです。そういう病院では、その“売り”を維持すべく医局つながりよりも、能力とやる気を重視して採用している印象があり、学歴以上に臨床能力とバイタリティが重視されている印象があります。3年目でその診療科を専攻したいと考えている人間は一定数入りますし、その豊富な症例数と技術が故、国内留学という形で、赴任する人もいます。
開業医
これは学歴はあまり関係ないですね。自分が開業しようと思えばいいので。もちろん患者さんによっては、インターネット等々でそのDrの出身大学を調べて、受診することはあると思いますし、私が勤務している急性期一般病院でも、超高学歴の上司の診察を希望し、底辺私大卒の私をゴミクソ扱いしてくださる患者様もおられます。。。
しかし、私の同級生でも開業し、一国一城の主としてやっていけている人もいれば、ある超有名大学出身で、見識も深く、その専門領域で散々助けてもらっている上級医も、過去に開業して、廃業したなんて話を聞いたことがあります。
学歴と臨床能力の関係
では、学歴と臨床能力は関連するかですが、これは難しいです。まずそれを考察するだけのサンプル数が私にはない事と、そもそも臨床能力をどう測るかが難しいことが理由です。
その中で、私見を述べてみます。例えば私は今のところ外科なので、臨床能力の指標の一つとして手術技術は挙げられるでしょう。しかし、例えば東京大学出身の先生でも、手術がとても上手な先生もいれば、そうではない先生もいるし、私の底辺私大でも手術が上手な先生もいれば、私の様に外科医として生きていくことに限界を感じている人間もいます。
もちろん、臨床能力は手術技術だけではなく、診断や検査の組み立て方、患者説明の仕方、病棟管理の仕方、外来管理の仕方、体力やフットワーク、責任感等々、いくらでも挙げられます。恐らく、下のような六角グラフの様なもので測るのが最も“臨床能力”を反映していると思います。
例外はあれど、医者であれば、いずれの項目も及第点は超えていますが、いくつかの項目は、学歴と相関がある可能性は否めないかと思います。しかし、このグラフをどう伸ばすかは出身大学よりも本人の元々の気質と、医師として育った環境の方が大きく影響していると思います。
では、なぜ臨床能力と比例するとは言い切れない学歴が出世に影響するのか。
一言で言うと、臨床能力だけではない“力”があるからです。
有力大学の医局に属している人は、同じ診療科の人間ならば、何となくは名前を聞いたことがある人が多いです。その中の人をトップに招けば、自ずと自施設の知名度も上がります。これは学会や病院機能を測る上で大きなメリットになります。
また、そういった有力大学の関連病院であることで、診療科の維持にも寄与します。このご時世、外科なんかを選択する変わった性癖を持った人間は減りつつあります。絶滅危惧種で自大や自施設だけでは科の維持すら困難になっているところが多いでしょう。有力大学関連病院になることで、その維持の一端も任せることができます。
有力大学側にもメリットがあり、底辺私大とはいえ、“主任教授”の肩書や、地域の中核をなす総合病院の“院長”の肩書が得られます…?…メリットかなぁ…知らんけど。
少なくとも、有力大学医局は、医局員に用意すべきポストを与えることができ、いくつかの私大や急性期一般病院は、その診療科の維持をするというwin-winの関係になれるのです。
以前、大学病院に勤務していた時、とある学会で症例報告を発表した際に、こんなことがありました。ある症例について、その病態解釈にざっくり二通りの解釈がありました。頻度としてはAの解釈が一般的ですが、私は外来主治医としてBと診断し、手術をしました。手術の方針としてはAでもBでも変わりはないのですが、そのBという解釈が稀であり、報告をさせてもらいました。もちろんBと解釈した所見、データを提示しているのですが、まぁ予想通りAを否定した根拠や理由を根掘り葉掘り…時に強い口調で質問を受けたり、それでも、『どうせAでしょ』なんて言われたことがあったのですが、共同演者というか指導者である、その学会理事の有力大学卒の私の教授が、『いや、Bでいいと思うよ。』と言った瞬間、私に向けられていたすべての敵意が和らいだのを感じたことがあり、“教授”の強さを目の当たりにしました。
底辺私大卒の人間は?
じゃあ最後に私のような底辺私大卒の人間がどう生きていくかです。結論から言うと、生きたいように生きればいいと思います。笑
ただ、その診療科医師として医療界に名前を残すのはかなりハードルが高くなります。“教授”や“院長”は病院が存続する限り名前が残り、ともすれば学会の評議員から名誉会員となり、その診療科の功労者になります。けれども私の場合は、どの病院でも、“過去に赴任したことがある一医者”に過ぎず、ただのその他大勢の専門医の一人で、それはこの先も変わりません。
もし、一線で働き続け、三度の飯より手術が好きで、24時間365日手術室に籠っていたい、休日なんていらない!結婚?子育て?趣味?何それ?そんなことより手術!!っていう嗜好ならば、そのバイタリティを活かしてhigh volume centerで切りまくって結果を出せば、名前は付いてくるでしょう。私が医療界で最も名前が残る方法はこれが最も現実的でしょう。
私は大学に帰ったとしても、教授はとても可愛がってくれてますが、自大出身では教授にはなれません。
そもそも、私は個人的には、そう言ったポストや肩書に興味はありませんでした。仲の良い先輩、同期、後輩と手術に入り、『あーでもない、こーでもない』って議論しながら急性期術後管理をして、目の前の患者がよくなってくれれば、それが楽しくて、外科医になったけれど、外科医として一発ぶち上げようなんて全く考えていなかった。ちゃんと先の事を考えていなかったことは否定できない。
病院の移動もあり、いつの間にか、仲のいい先輩、同期、後輩とは離れ、年やキャリアが近い人間がおらず、寂しい毎日で…
大学も、教授はいらっしゃるけど、いつの間にか知らない先生の方が多くなっていて、医局に遊びになんて行けなくなっていて、仲良かった先輩、同期、後輩もそれぞれ散り散りになって、昔の様に同じ病院で働けることは難しそうで…
じゃあ、このまま頑張って今の病院で外科医として働き続けても、俺は診療科長になれる手術技術も学歴もないし、そもそも、そんな重役は望んでいないし、定年で放り出されたら、住宅ローン払えないし、子供が私の様に私立の医学部に進んだら、学費もヤバいし…でも、自分が親に学費を払ってもらった以上、子供が望んだら払わなきゃいけないし…
そう考えると、そろそろセカンドキャリアを考えなければいけないし、それはすなわちメスを置くことを意味するのかなと考える今日この頃です。
長文、お読みいただきありがとうございます。
次回は、今回書いていて、改めて難しいと思った“臨床能力”について掘り下げてみようかと思います。