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『よふかしのうた』~報復的よふかし~
フォロワーさんが紹介してくれた本の感想を書くよ。その1
居場所としての夜
『よふかしのうた』は主人公のコウが夜ふかしをすることから物語が始まる。
コウは学校で上手くいかずに不登校になっていた。
そんなコウに対して、夜は新たな居場所として機能する。
主人公のコウは中学2年生であり、外泊することもお酒に頼ることも、煙草に頼ることも許されない。
本来的には家庭や学校が居場所であるべきなのだが、コウにはそれがない。
機能不全を起こしている家庭や学校を抱える未成年にとって、インターネットや夜が残された居場所としての選択肢なのだ。
「よふかし」の報復性
作中でも語られている、「人が夜ふかしをするのは今日という日に満足していないからだ」という言葉は、「よふかし」の報復性を示唆するキーワードだと思う。
実際に、私も学校や会社で満足できていないときは「よふかし」をしてしまう。
私の場合は夜の公園に散歩に行き、物思いに耽ってみたり本を読んでみたりしている。
ただ、「よふかし」はそれだけではない。
ベッドでSNSを見続けてしまうのも、動画を見続けてしまうのも、夜に長電話をしてしまうのも、ゲームを遊んでしまうのも
全て「よふかし」なのだ。
そしてこれは、昼間に自分の好きなことや楽しみたいことが満足に行えなかった報復性の表れなのだ。
私達は何に満足するのか
単に「よふかし」するだけでは、満足できない。
先ほど「よふかし」の例としてSNSや動画、電話やゲームを挙げた。
これらの共通点は、直接的間接的の違いはあれど「他人の介在」だろう。
SNSでは他人のミニブログが、動画では他人の記録や思い出が、電話は他人とのコミュニケーションが、ゲームでは他人を模したキャラクターが居る。(オンラインならそれこそ仲間やライバルが)
そうだ、結局我々は寂しくなってしまうのだ。
どんなに人が嫌いになろうと、どんなにつらいことがあろうと、他人を求めてしまう。
それが我々、「人間」なのだろう。
他人との繋がり
『よふかしのうた』のサブテーマは恐らく「恋愛」「異種族交流」だろう。
人間と人間が恋をするように、吸血鬼と人間が恋をする。
ただし、異種族での恋愛には枷が付き纏う。
これがドラマを生み出していく。
『よふかしのうた』において、人間の恋愛は現実のそれと比べて純粋かつ一途であることが見て取れる。
それと対比するように、吸血鬼の恋愛は「食事」「遊び」として表現されている。
その差こそが、人間-吸血鬼間での文化の違いであり、恋愛に対してどこか人間的な価値観を持つ七草ナズナが特異な吸血鬼であることの説明にもなっている。
他人との繋がりの最終系は恋愛だろう。
精神の交わりと肉体の交わりが存在する関係性そのものが、人間にできる最大限の交流であり、好意の表現なのだ。
それ故に『よふかしのうた』における事件の発端はすべて恋愛絡みであったのだと思う。
私達の「よふかし」
私達はずっと「よふかし」してしまうのだろう。
少なくとも私の記事に辿り着いてくれた読者の方々は。
『よふかしのうた』は私達の情動の根幹とも言える部分に焦点を当てて、夜に寝られない私を解き明かしてくれた。
アニメ1期以降の話は、ネタバレを避けるために言及しなかったのだが、この後も先に述べたような「恋愛」「異種族交流」のようなドラマが続いていく。
コウとナズナの行く末についても、ぜひコミックで楽しんでほしい。
また、執筆時点でアニメ2期の制作が決定している。
アニメ1期はまだ始まりの物語であったので、2期でどこまで映像化されるのか楽しみだ。
私はアニメから入り、続きが見たい!と思っていたもののコミックを買わずにいた。
そんな私の背中を押してくれた、さとりちゃんに感謝を込めて。
2024.07.25 二階堂 瑠海
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