#3 結ばれ決められた道が進めなく◯◯の考え方が「考動」できる理由
朝方のかたはおはようございます!
ほかのかたはこんにちは、こんばんは。
突然ですが、
大人になるにつれて「世間」といった成長の競争して進め!と感じた。ことはありませんか?
世間というのは、言葉の通り「特定の分野の世界を結ぶ間」です。なので、そのあいだでの道で歩くあいだに競争してくれって頼まれるのは、おかしいと思いませんか?思いますよね。
その、どちらかというと、やりたいことに近い分野に就いたあとでは、競争心をもつのは大事だと思います。
でも、その分野の先陣を行く人からすれば、子どものころに競争心を育てることができなかった大人はどうなっているのか?前記事でも述べた「嫉妬心を持つ量の格差」というものが、特に行動を起こす原動力になるかどうか、です。
世間→「特定の分野を結ぶ間の道」
それぞれの世に対する認識を治す必要があります。
「世治し」です。
この決められた道を淡々と進む。心や感情による原動力に従って進むほうが向いている人が多いと思うんです。
なのに、アメリカに負けた戦後の教育は、こころや感情論といった「リーダー論」は採用されず、「敗戦国で私たちは悪いものだから、欲しがりません勝つまでは」と教育されてきたんです。
給料をどんどん下げて、そのぶん株主配当を上げて。
日本国民をを貧乏にさせ、海外の株主と政治家は裕福になり。
そのうえ日本国民は欲しがりません勝つまでは、ですよ。
情報でさえ、なか抜きされていますからねえ。