ヤンゴン、ダウンタウンの向こう岸の街へ_vol.5
お米を配り終えた後は、バンブービレッジの中にお邪魔させてもらいました。
家はもちろんバンブーハウスで、水道も電気もないのでしょう。衛生面もかなり悪いと思いますが、それでも悲壮な印象を受けなかったのは、周囲に広がる農村の風景があったからでしょうか。
あるいは、訪れたのが乾期で、空が青く晴れ晴れとしたお天気の日だったからかもしれません。
この家や村の作りだと、雨季になったら泥の中で暮らすようなものだろうな、と容易に想像出来ました。
ダラの子供達に圧倒されていた3歳の息子も、ビレッジの中を歩いて回る時には、細い小道を「ママ、線路みたいだよ!」と言ったり、「ママ走って走って!」と一緒に走りたがったり、すっかり元気を取り戻していました。
私がその間ずっと考えていたのは、寄付や援助で暮らしているというバンブービレッジの子供達の事です。
ここには、働き盛りの年代の人がいない。そして、時々寄付を持ってくる人がやってくる。仕事をして、その報酬としてお金をもらう、という大人の姿が見えないところに育つ子供達が大きくなったら、どうなるのかな。
ミャンマー人は、とてもよく寄付をする国民性です。収入の10%くらいは余裕で寄付しますし、困った人には恵んであげるのが当たり前、とほとんどの人が考えているように見えます。
ノブレスオブリージュの概念が、一般の人の中にも自然とあって、持っている人が持っていない人に分け与えるのは、ミャンマーでは当然の事なのです。
それは、とても素晴らしいことで、私が尊敬するミャンマー人の精神性の一部であります。
一方、その弊害もあると感じていて、与えらえる側はずっとそこに甘んじてしまうのではないか、とも考えています。
子供達が、そこに甘んじないためには、教育とロールモデルになる大人の姿が必要なのかもしれません。
だからと言って、ダラにお米の寄付をしに行ったのが意味がない事だとは思わないのです。
なぜなら、私もたくさん子供達にもらったから。子供達は、自分が与えているとは気づかないでしょうが、彼らの生命力、彼らが作るのどかな風景に、私もパワーをもらいました。
また彼らに会いたいな。その時は、息子も子供達と一緒に駆け回れるといいな、とダウンタウンへと戻るフェリーの船上で思ったのでした。
完。