僕は
所属している映像研究会のたこ焼きパーティー(俗にいうタコパなる集会)の帰り。コンビニに寄る。甘い朝ごはんと、絶対に必要のない夜食。クレジットカードを機械に噛ませる。ヘッドホンには囲碁将棋の情熱スリーポイントが流れている。最近は時間の使い方が悪くて、まだ10月の回を聞いている。コンビニを出るとまたさっきの冷気と真っ暗な空。地下鉄のシャッターは閉まっている。赤信号。待つ。立ち止まると、なぜか無性に横沢俊一郎の曲を聴きたくなった。折角はめた手袋を取り、スマートフォンをアンロック。そのまま凍ってしまいそうな右手は小刻みに震えながらSoundCloudを開ける。データ使用量の警告なんか関係ない。
初めて聴いたわけじゃないのに、脈絡もないのに、恋人がいたこともないのに、今は十分幸せなのに、涙が出てきた。悔しい。悔しさを早足で紛らせながら、でも、この瞬間がずっと続いてほしいと思った。これが、自分が前々から欲しがっていた、人生においての決定的な「傷」への道標とするならば。
どうしたらいいのか分からないけど、この釈然としない寂しさから逃げない。今この地面が崩れ落ちてしまうかもしれないから、これからもずっと助け続けてくれと願うことしかできない。傷つくために、ちゃんと傷付くために、愛してみたり愛されたりしたいです。
僕は久しぶりに、失うことが怖くなった。