第5回 「祭りのまえ」から「祭りのあと」まで
私が団地に住んでいた子どもの頃、夏祭りはひとつの大きな楽しみだった。やぐらが組まれ、屋台が立ち並ぶと、団地の広場は普段とはまったく異なる雰囲気を見せる。雑踏のなかを仲良しの友達と一緒に、浴衣を着てぷらぷらと歩き回ったものだ。お小遣いを握りしめ、リンゴ飴を買おうか、わたあめを買おうか、それともヨーヨー釣りをしようかと、真剣に悩む。やがて日が暮れて盆踊りが始まり、あたりに太鼓の音が響きわたる。東京音頭や炭坑節、ドラえもん音頭など、まだ小さい頃は見よう見まねでなんとなく踊っていた記憶があるが、成長するにつれ踊ることが気恥ずかしくなって、賑わうやぐらを遠巻きに見ていたような気がする。それでも、大人になってもなお、祭りの日というのは、なんだか浮き足だってしまうものだ。
コロナ禍で各地の祭りは中止や延期になっていたが、私が滞在していた団地もそれは同じだった。約3年ぶりの夏祭りの開催ということで、自治会も商店街振興会もかなり気合いをいれて準備していた。多くの人びとにとって祭りとはその当日が来るのを待って参加し楽しむイベントだが、そこに向けてはさまざまな事前の準備があり、終了後にもまたそれを元通りにしなければならない。日常から非日常へ、そしてまた日常へと、人びとの営みは移り変わる。人類学や民俗学が個々の詳細を明らかにしてきた日本各地の祭りは、当日に行われる儀礼や人びとの行動を追うことでその流れとメカニズムを知ることが中心である。とはいえそこにある歴史的背景や社会的文脈を知るためには「祭りのまえ」から「祭りのあと」までを追うことが必要になってくる。別の言い方をすれば、そこに関わる人びとにとっては、祭りの当日だけでなく前後期間を含めたそのすべてが「祭り」なのだ。その意味で、世の中の多くの祭りは数ヶ月前から、あるいは1年前から「始まって」いたりもする。
団地の掲示物はいつも各棟の1階や商店街掲示板などに貼られており、「団地まつり盆踊りの練習会」と書かれたビラもまた、敷地内のあちこちに貼られていた。練習会がどのように行われるのか、どんな人たちが来るのかという興味もあり、私も参加してみることにした。集会場に行ってみると参加者は25名ほど、そのうち私のような新参者は5-6名で、他は日頃から練習し踊ってきたであろうベテランの方々で構成されていた。母親に連れられてきた小学校低学年くらいの男の子を除けば他はすべて女性がであったのも興味深い。おそらく60〜70代の方が大半を占めていた場で、小さな子どもたちは皆から可愛がられていた。皆さんと一緒に踊りの練習をし、そこで交わされるやりとりを見ながら、もっと多くの人びとを呼び集める工夫をすることによって、この盆踊り練習会は貴重な多世代の交流の場として機能するのではないかと思った。
盆踊りの練習は数分間の休憩を何度も挟みながら行われ、その間には他の参加者との会話も生まれた。アクティブな装いで参加していた70代女性は、今回はじめてこの練習会に来たという団地住人だった。現在海外に暮らす孫が夏休みを利用してやってくるので、この団地の祭りにも誘ったのだという。そして孫がせっかく来るのであれば、まずは自分が盆踊りを練習し、彼に教えてあげたいと思った、と嬉しそうに話していた。この女性が語るように、すでに子どもが巣立って夫婦や単身で暮らす高齢者が比較的多いこの団地において、夏祭りというのは子どもや孫たちがやってくるひとつのよい機会になりうるのかもしれない。実際に祭りの当日は若者や小さな子どもたちであふれており、その大半は団地の外から来ていた様子だった。必ずしもコミュニティ内部に若者や子どもがいなくても、祭りのようななんらかのイベントを開催することによって外部から呼び集めることができる。そしてその機会が、そこに暮らす高齢者を元気づけることができるのかもしれない。
そして団地祭り当日、早朝から自治会役員の方々は揃いのTシャツにキャップを身につけて、盆踊り会場となる公園で準備に励んでいた。団地の各街区から参加している人びとも加わって、男性陣はテントの設営等の力仕事を、女性陣はやぐらの飾り付けをするべく、二手に分かれる。そこに来ていたほぼ全員が60代以上だが、皆さん声を掛けあいながらてきぱきと働く。私が手伝ったのは、やぐらに紅白のたすきを巻いていく作業と、横断幕を取り付ける作業だ。朝とはいえ既に炎天下の状況はなかなか厳しく、とはいえ木陰に逃げ込んでいては作業が進まない。こうした仕事を年配の方々が担うのはかなり大変なことだと思った。ふと男性陣の様子を見ると、作業着姿の人たちが中心になってテント張りなどの力仕事を担っていたが、やはり年齢層は高めで、祭りなどのイベント事には若い人びとの体力が必要なことを痛感する。実際に、以前はやぐらを組む作業も自分たちでやっていたものの既にそれは難しくなり、今回は業者に依頼したという。
この作業の帰り道、私と同じ街区に住む70代女性の方とあれこれ話しながら帰路についた。今回のような祭りの準備が大変になっているだけではなく、そもそも自治会全体が高齢化しており、役員や委員の維持が困難だという話である。その方の住む住戸の階段の上下10戸のうち、約半分しか自治会に入会しておらず、入会している世帯も、老老介護をしていたり、単身で認知症になっていたりと自治会の当番を回すのは厳しいという。結局のところ主に活動できる世帯は自分とその上の階の2世帯だけだという話だった。他にも比較的若い住民もいるのだが、そういった世帯ははそもそも自治会に入会しない。こうした状況のなかで、自分が自治会活動に参加するのはやむを得ないことだという。祭りなどのイベントも、小さい子どもがいたときは一緒に参加すればよかったが、子どもがいなくなるとそれも面倒に感じてしまう。つまりこの数十年をとおしてライフステージが変化してきた団地住民にとって、祭りの位置づけは大きく変わってきたのだった。
そしてみなさんの努力の甲斐あって、今年の団地祭りはかなりの盛況のうちに幕を閉じた。近隣住民が続々と集まり、模擬店や屋台、商店街の出店にも長蛇の列ができていた。盆踊りを踊ったり、レジャーシートを敷いて宴会をしたり、人びとは思い思いに祭りの夜を過ごした。普段はほとんど人のいない公園にところせましと人びとが詰めかけている光景は圧巻で、祭りというイベントの持つ力をつくづく感じた。
2日間の祭りが終わってその翌朝、会場の片付けと清掃のために、自治会役員と街区の担当者たちは再び集まった。私も参加し、公園内をくまなく歩いてはゴミを拾い続けた。このときもやはり高齢の女性たちが中心となっており、もっと若い人たちが参加できればよいのにと思う。今回、祭りの前後、準備から片付けにいたるまで、その一部を垣間見せていただいたのだが、高齢化する団地住民がその多くを担っており、今後の展開について深く考えさせられた。祭りの担い手不足や継承の問題については、いわゆる「伝統的な祭り」や「地方」の抱える問題として語られることが多いが、都市部の団地の祭りも、その例外ではないのだ。私が今回参加した団地祭りの未来も、これから一体どうなっていくのだろうか。「祭りのあと」の余韻とともに、そのことをしばらく考えていた。
(比嘉夏子)