2023年・メタル関連ベストアルバム

大手メディアの年間ベストリストとしては、メジャー領域に関してはRevolverが、アンダーグラウンドとメジャーの境界あたりではDecibelが良いまとめになっていると思います。

参考:現代メタルガイドブック著者インタビュー



The Armed:Perfect Saviors

 アルバムごとに編成を大きく変えつつ活動し続けるコレクティヴ。2021年の前作『Ultrapop』にはConvergeやQueens of the Stone Ageのメンバーが参加、その2バンドを足してハイパーポップ(※)的な音像で弾けさせる感じの作風が大きな話題を呼び、インディロック寄りの大手メディアでも年間ベストアルバムに選ばれていた。本作の作風もその延長線上にあるのだが、Cocteau TwinsやDeftones、2010年代以降のCynicに通ずる煌びやかにシリアスな風合いが前面に出ていて、それが近年のシーンの雰囲気にも絶妙に合っている(yeuleなどと並べてもしっくりくる)。そうした音楽性を支えるのがJane’s Addictionのメンバーやジュリアン・ベイカー(boygenius)、マーク・ジュリアナ(現代ジャズを代表する超絶ドラマー)というのも面白い。心地良く興味深い音楽としても人脈の結節点としても優れた作品だ。


(※)ハイパーポップという呼称は当事者からあまり好まれず、アーティストの具体名を添えた「PC Musicの系譜」とかバブルガムベースといった言い回しのほうが適切なことが多い。本稿で「いわゆるハイパーポップ」「ハイパーポップ的な」などと述べているところでは、そうした背景やニュアンスが伴うことを鑑みていただければ幸いだ。


Avenade:Our Raging God Unknown to Us

 後期KyussをDeftones経由でIsisに繋げたような音楽性で、ストーナーロックの根明で翳りある佇まいとポストメタル系の淡白なエモが混じる感じが、アルバム全体に流れる喪失・追悼・回復といったテーマと絶妙に合っている。Earth〜Sunn O)))的なドローン遣いも効果的で、その上で確かな個性もある。そして何より、全曲に印象的なメロディがあって、11曲65分の長尺を飽きずもたれずに聴き浸ることができる。“影響源が明確に見えるのに個性的”な音楽性のプレゼンテーションとして非常に優れた作品だと思う。


Body Void:Atrocity Machine

 2023年の時点で、この世で最もヘヴィな音楽のひとつだろう。2016年の1stフルは「クィアであることの精神的な苦しさというありふれた現実について書きたかった」「ヘヴィ・ミュージックを通してこのような作業をすることは検証としても慰めとしても重要だった」とのことだが、この4thフルでは、そうした原点も引き受けつつ、国家による暴力といったテーマ(3rdフルは地球規模の生態系災害)に向き合いながら、「ドゥームメタルを用いてドゥームメタルとは違うことをやる、その限界を押し広げる」といった試みがなされ、驚異的な成果をあげている。ウルトラヘヴィなギター&ベースリフと荒れ狂うエレクトロニクスの融合具合は完璧で、抽象的なフレーズをやたらキャッチーに感じさせる作編曲も素晴らしい。SwansやNeurosisの代表作に勝るとも劣らない傑作だ。


Calligram:Position | Momentum

 Bandcampではblackened crustとかpost-grindcoreといったタグがついているが、軸となっているスタイルは比較的オーソドックスなメロディック・ブラックメタルで、そこに巧みな捻りをガンガン入れてくる作風になっている。そしてそのクオリティが著しく高い。不協和音とかアヴァンギャルド(Deathspell Omegaなどの系譜)みたいな括りに入らないタイプのブラックメタルとしては最も面白いリフで埋め尽くされたアルバムのひとつではないか。サウンドプロダクションも演奏も極上で、突っ走るパート(上記タグ通りのD-Beatやグラインドコア的ブラストビートもうまく活用)も静かなパートも総じて良い。UK、フランス、イタリア、ブラジルといったメンバーのルーツが複雑に混ざり合っている感じの空気感も滋味深い。キャッチーさと奥深さの両立が素晴らしいアルバムだ。


COALTAR OF THE DEEPERS × Boris:hello there

 正式リリース日は来年の1/24だが、11月末に行われた同名のツアー(明日の叙景も含む3組での東名阪公演)で先行発売されていた。それぞれのバンドが自身の楽曲を選び、そのうちの1曲を相手にカバーしてもらい、残りはセルフカバー。個別に制作したEPを連名収録したスプリット作で、音のうえでは共演していないのだが、選曲の方向性が明確に揃っているために、優れた統一感のあるアルバムになっている。

 COTDとBorisは驚異的に音楽性の広いバンドで、作品ごとに異なるスタイルをとってきたこともあって全貌を把握するのは難しいのだが、この『Hello There』は7曲40分のコンパクトな構成でそれらを見事に網羅している。セルフカバーに関していうと、COTDの「Wipeout」「Waterbird」(いずれも2007年の『Yukari Telepath』収録)とBorisの「Luna」(2011年の『New Album』収録)および「Quicksilver」(2014年の『Noise』収録)は、各々のバンドが特にシューゲイザーやポストハードコアに接近した時期の作風で、2010年前後の邦楽ロック一般に近い空気感を捉えつつ、そちらのメジャー領域ではあまり評価されてこなかった要素(ハードコアやヴィジュアル系など)も余さず盛り込まれている。その上で、ブラックゲイズに接近した「Luna」や、日本の叙情ハードコアと初期Ulverを混ぜたような「Quicksilver」など、新たなアレンジにより今のシーンに接続する意志も示されている。また、COTDがカバーを繰り返してきたThe Cureの「Killing an arab」(「Killing Another」として収録)は、北欧の初期デスメタル(スウェーデンのハードコア風味とフィンランドのドゥーム風味)を巧みに統合しつつdiSEMBOWELMENTのような洞窟音響でまとめる強烈な仕上がりで、中東風の旋律がPan.Thy.Moniumを連想させるなど、近年のデスメタルリバイバル傾向に同期しつつその先を示すものにもなっているのが凄い。相手曲カバーも双方見事で、COTDによる「黒猫メロディ」は『Yukari Telepath』期の曲と並べても遜色がないのが面白いし、Borisによる「Serial Tear」も、自身のスラッジ/ドローンドゥーム要素を注ぎ込むことで2010年前後の邦楽ロック風味をアンダーグラウンドシーンに直結させている。ここまで意識的に文脈を網羅し、しかもすっきり聴かせることができている作品は稀だろう。COTDとBorisがスプリット共作したからこそ生み出せた傑作なのだと思う。

 スプリット形式だからこそ映える要素としてもう一つ興味深いのが、各々のバンドの演奏表現の違いだろう。HR/HM的に洗練されたクリアな技巧でMy Bloody Valentineの曲をやっているようなCOTDに対し、Borisは輪郭を引き締めすぎないハードコア的な勢いとドローン〜アンビエント的な“たわむ”感触を結びつけていて、両組のグルーヴ表現には根本的な違いがある。それが上記のような音楽的共通点のもとで提示されることにより、異なるジャンルの特性が演奏面から詳らかに示される。こうした音楽語彙の教本としても非常に有用な作品。ぜひ聴いてみてほしい。


†††(Crosses):Goodnight, God Bless, I Love U, Delete

 チノ・モレノ(Deftones)とショーン・ロペス(ポストハードコアバンドFarのギタリスト)のデュオ、アルバムとしては実に9年ぶりとなる2ndフル。チノは2000年代以降のメタル/ハードコア領域屈指の名ボーカリストで、淫靡な粘りと上品な切れ味を兼ね備えた歌唱表現はロックの枠を越えて大きな影響をもたらしてきた。Crossesの本作はそうした歌声を軸に据えたゴシックロック/ポップで、The CureやCocteau Twins、CoilやDepeche Modeといった80年代的な要素と、ArcaやThe Weekndのような2010年代以降の要素とが、『Mezzanine』期のMassive Attackあたりを介してうまくまとめられている。チノのゆったりしたフレージングの官能美はもちろん、そうした時間感覚をしっかり把握し寄り添う作編曲も素晴らしい。EL-P(Run the Jewels、ex. Company Flow)とロバート・スミス(The Cure)という贅沢すぎるゲストもばっちりハマっている。自分はリリース(10/13)直後に一周したときにはピンとこずに放置していたのだが、11月末になんとなく聴き返したら一気に惹き込まれ、それ以後は何十回も繰り返し聴き通している。お薦めの逸品だ。


Dead Times:Dead Times

 Dead TimesはLee Buford(The Body)とSteven Vallot(ソロ数作あり、The Bodyの2010年2ndフルにアートワークで参加)が2008年に結成したバンドで、最初期の限定リリースを除けばこれが初の公式音源になるようだ。Coilのようなゴシックインダストリアルをノイズロック経由でスラッジメタル化したような音楽性で、The Bodyの近作に通ずる強烈に歪んだエレクトロニクスと、メロディアスな楽曲(Lingua Ignotaをストレートかつコンパクトにした感じ)の絡みが全編素晴らしい。特に後者はThe Bodyにはあまり期待できない類の語り口で、もちろんそうした情緒的な展開を削ぎ落としたからこそ到達できる境地もあるわけだが、比べて聴くと蠱惑的なメロディの強さというものを痛感させられてしまう。その上で、安易な泣き落としには決して流れない、俗っぽさと神聖さがギリギリのところでせめぎあっているような仕上がりなのがまた見事。ENDONやmoreruなどとあわせ、この手のノイズ隣接メタル領域への入門編としても優れた作品だと思う。


Dødheimsgard:Black Medium Current

 Dødheimsgardはブラックメタルの前衛的な側面を代表するバンド(実質的にはVicotnikのソロプロジェクト)で、90年代ノルウェーシーン黎明期のプリミティヴなスタイルから出発し、変則的な電子音楽の系譜も取り込みながらこのジャンルの尖端部を切り拓いてきた(おおまかな活動歴はこちらの記事で概説)。本作は実に8年ぶりのアルバムで、“アヴァンギャルド・ブラックメタル”を極めた前作『A Umbra Omega』の入り組んだ構造を整理しつつ、90年代の名作EP『Satanic Art』や〈CODE〉(Vicotnikがメンバーとして関与)の初期2作に通じる美旋律を潤沢に取り込んでいる。このメロディがいずれも絶品で、一般的なブラックメタル形式における淡白な活かし方を引き継ぎつつ、歌曲の主役としての存在感を絶妙に示している。突き抜けた分かりやすさと奇怪な構造が当たり前のように並び立つ本作は、その双方がなければ到達し得ない境地を描いているように思う。

 この「奇怪な構造」について言うと、本作は“アヴァンギャルド”な部分においても確かな発展を遂げている。ブラックメタルならではの霞のような音色に程よい肉感を加えたアンサンブル(ドラムスは非常にうまいが、そちらよりもギターを軸として聴いたほうがリズムの流れを捉えやすい)には名作『666 International』とは質の異なる良さがあるし、Vicotnikが初めてメインボーカルを担当したことで全面開放された多重録音コーラスは、他では聴けない無二の妙味となっている。アルバムの構成も、変拍子の嵐を経て最後はMeshuggah式変則4拍子系(「Abyss Perihelion Transit」)に着地、あまりにも美しいレクイエム(ベース担当のL.E. Måløyが作ったピアノ曲)に至る流れが本当に素晴らしい。異様でおどろおどろしいのに気取った感じは一切なく、どんな角度から見ても直感的に美しいと思える魅力がある。無頼の限りを尽くした前衛音楽家が“歌”に回帰し、最高の成果を示した傑作だ。


Evilgloom:Addictions

 インタビューで挙げられている影響源はBring Me The HorizonやSlipknot、近年のメタルコアやヒップホップなのだが、燻んだサウンドの質感はむしろMinistryやGodfleshのような黎明期インダストリアルメタルに近く、そうした退廃的な質感をデスコアやトラップメタル以降の多彩なリズムアイデアでチューンアップしたような仕上がりなのが面白い。いかつく仄暗い雰囲気を軸としつつ要所でポップに弾ける構成も絶妙で、即効性の刺激と得体の知れない深みを巧みに両立している。渋いのに新しくしかも聴きやすい。得難いバランスを築き上げた逸品だ。


Gendo Ikari:Rokubungi

 グラインドコア系譜のバンドでタイトルの六分儀は碇ゲンドウの旧姓…という『エヴァンゲリオン』ネタをみるとどうしてもDiscordance Axis(歴史的名盤3rdフルのテーマは90年代エヴァ)を連想させられてしまうが、そうした要素は一部のコード感や雰囲気表現に留まり、総体としては非常に多彩な音楽性になっている。15曲(計25分)のスタイルはそれぞれ異なり、製作中は一つのアルバムにうまくまとまるのか危ぶまれたようだが、曲順構成の妙もあってか全体の流れまとまりは非常に良い。結果として、Yesの「Close to the Edge」(プログレッシヴロックを代表する名曲であり、録音テープの切り貼りから18分40秒の完璧な構成を実現)にも通ずる作品になっていると思われる。様々なエクストリームメタルをグラインドコアを軸に探求したような楽曲群は、BotchやThe Dillinger Escape Planといったメタリック・ハードコア、Gorgutsのような不協和音デスメタルを想起させる箇所も多いが、メンバーの優れた演奏表現力も相まって優れたオリジナリティを確立。特に、瞬発力と分厚い粘りを兼ね備えた強靭なグルーヴ表現は、この手の速いメタルではなかなか体験できないものだと思われる。グラインドコアバンドがアルバムを作る際に頼りがちなノイズ曲やアンビエント曲を一切入れずにこれほどの構成美を築き上げているのも素晴らしい。個人的には今年最も多く聴き通したアルバムだ。


Haralabos [Harry] Stafylakis:Calibrating Friction

 NYを拠点に活動する作曲家のソロ1stフル。基本的にはクラシック畑のミュージシャンのようだが、本作の比較対照としてバッハ、ベートーヴェン、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーに加え、Meshuggah、Opeth、Symphony X、Animals As Leadersを挙げているように、プログレッシヴなメタルのコード感やリズム構成を介して現代ジャズ領域にも接続する音楽性になっている。特に見事なのが精密な演奏技術を活かした音作りで、アコースティック楽器とメタル的質感の配合がとにかく素晴らしい。メタルとクラシックを混ぜる試みは80年代から様々に繰り返されてきたが(Deep Purpleのオーケストラ共演なども鑑みれば60年代末から)、ここまで自然に成し遂げた例は稀ではないかと思われる。Univers ZeroやPresentのような暗黒チェンバーロック〜いわゆるレコメン系を想起させる箇所も多く、それがdjent的なスタイルと滑らかに融合しているという観点からみても貴重な達成では。基本的にはプログレファン向けの音だが、非常に聴きやすく直観的に楽しめる音楽でもあるので、そちら方面への入門編としてもお薦めしたい。


hellix:Montage

 hellixは金子直樹(ベース兼ボーカル)のソロプロジェクト。本作1stフルの影響源はMetallicaやKing Crimson、VektorやWatchtower、Deathなどとのことで、確かにVektorやMartyr(Voivodの現ギタリストDaniel Mongrainのバンドで、中期DeathやCynicの影響下にある)に通ずるコード感が軸になってはいるのだが、その上で全く別の個性を確立できているのが凄い。特に顕著なのが「Dada Construction」の静謐なパート。KCの影響下にあるバンドはVoivodを筆頭に『太陽と戦慄』や『Red』を参照していることがほとんどなのだが、hellixのこの曲は「Lizard」終盤のような初期KCを想起させる。また、13 拍子の上で長いピアノソロが展開される「The Sufi」にも、初期KCのフリージャズ部分や初期筋肉少女帯の三柴理(当時の名義は江戸蔵)に通ずる妙味がある。こうした要素はVoivod影響下のプログレッシヴスラッシュ〜デスメタルにはありそうでないもので、そのような系譜ならではの不協和音の妙味を活かしつつ別の次元に押し上げることができているように思う。グルーヴメタル的な粘りをさりげなく活かすリズム表現も好ましい。近年注目度を増してきたSci-fiメタルの文脈においても重要な作品だと思う。


The HIRS Collective:We're Still Here

 ペンシルバニア州フィラデルフィアを拠点とするクィア・グラインドコア・コレクティヴ。これまでもファストコア〜初期グラインドコア系の優れた音源を多数リリースしてきたが、本作はその集大成としても新境地としても決定的な作品になったのではないか。パワーヴァイオレンスの速い部分を抽出してDiscordance Axis的なサイバーグラインド風味で引き締め、近年の過激なポップスの要素も巧みに滑り込ませてみせる楽曲はいずれも強力。そこに大きく貢献しているのが豪華なゲスト陣で、メタル周辺に限ってみても、Thou、Soul Glo、Escuela Grind、Melt-Banana、The Body、Full of Hellなど、越境的なコラボレーションを推し進めてきたアンダーグラウンドシーンの重要バンドが勢揃いしている。過去作にも参加してきたアーティストたち(シンガーソングライター名義で知られる人もだいたい絶叫している)もみな良いパフォーマンスをしている。交流範囲の拡張と作品クオリティの底上げを両立した見事なアルバムだ。


Jakub Zytecki:Remind Me

 プログレッシヴメタルコア/ジェント(Djent)の名バンドDispersEで注目され、脱メタル志向を顕にした2017年からはソロ活動がメインになっているギタリスト(経歴についてはこちらが詳しい)のソロ3rdフル。初期の影響源はジョン・ペトルーシ(Dream Theater)やスティーヴ・ルカサー(TOTO)、エリック・ジョンソンやアラン・ホールズワースだというが、2017年のインタビューでBonoboやTame Impala、TYCHOやFlumeをお気に入りに挙げているように、近年の志向は完全にインディロックやエレクトロニックミュージック寄りになっている。本作の音楽性もまさにこうした演奏スタイルと楽曲&音響形式を掛け合わせたもので、ジェント流の躍動感とダブステップ的なバウンス感覚を融合し、Bon IverやFlumeに連なるドリーミーな音響で彩った感じの仕上がりが素晴らしい。その上で興味深いのが、出自を反映したテクニカルなフレーズ遣いだろう。現代ジャズ領域でも超一流として通用する演奏表現技術を備えつつ、技巧のひけらかしを良しとしないポップセンスもあるために、一般的なポピュラー音楽では考えられないくらい速く複雑な伴奏を歌ものに程よく落とし込めている。例えば「Morph」は、Animals As LeadersとBon Iverを足したらPolyphiaに接近した感じだし、そのBon Iver要素の有効活用という点ではSleep Tokenにも通じる。こうした手法がメタル領域でも認知されるようになってきた近況をよく示す作品だ。


Jesus Piece:…So Unknown

 Jesus Pieceは現代のメタリック・ハードコアにおける最重要バンドの一つで、ボーカルのAaron Heardが同郷フィラデルフィアのNothing(ヘヴィなシューゲイザーの系譜では現行最重要バンドの一つ)でベースを担当していたことでも知られる。5年ぶりのアルバムとなる本作2ndフルは、Code Orangeにも通ずるニューメタル系譜の不協和音遣い(初期のKornやMeshuggahあたりが近いように思う)を比較的シンプルな構成のもと活かしきる作編曲が素晴らしい。カオティックなメタリック・ハードコアはその“カオティック”なイメージを強調するあまり煩雑な展開を作りがちなのだが、Jesus Pieceの曲構成は(ある程度入り組んではいるものの)非常に見通しがよく、ひりつくコード感を不必要に振り回されずに堪能できる。また、そうした曲構成のもとでは演奏ニュアンスの一つ一つが明快に引き立つわけで、スラッジコアを軸にデスメタルやビートダウンハードコアへ自在に行き来するグルーヴ表現がとてもよく映えている。サウンドプロダクションも含め全ての要素が超一流と言える傑作だ。

 Jesus Pieceは、ドラムスのLuis AponteがCharli XCXのライヴサポートを務めるなど、アンダーグラウンドシーンに属しながら越境的な存在感を放つバンドでもある。そう考えると本作のアートワークがアシッドグラフィックス的なのも興味深い。メタル系メディアの多くで年間ベストに選ばれているのも納得だし、そうした傾向がしっかり生じているのはとても好ましいことだと思う。


Kim Dracula:A Gradual Decline in Morale

 Kim Draculaという名義はDeftonesの曲名(『Saturday Night Wrist』収録)から。Cradle of FilthとFaith No More(時々Mr. Bungle)をメタルコア経由で融合し2020年代のポピュラー音楽に落とし込んだような仕上がりで、トラップメタルやデスコアも参照しつつ定型を脱しまくる作編曲が格好良い。何より見事なのがボーカルで、冒頭曲の超絶ホイッスルヴォイスをはじめとした飛び道具も正統派な歌い上げもばっちり決まっている(TikTokでのメタル曲カバーで注目されたというのも納得の力量)。マイク・パットンや京(DIR EN GREY)がチャラめのシンフォニックメタルで辣腕を振るっている感じの音楽が聴きたい方やWaltariのファンはぜひ。アルバムとしても完成度の高い作品だ。


kokeshi:冷刻

 2ndフル。バンド自身によれば「ブラッケンド/ダークハードコア」とのことだが、このアルバムの作風はDIR EN GREYをニューメタル経由で激情ハードコアに落とし込んだような感じで(インタビューによればTHE BACK HORNの影響も大きいとのこと)、多彩な音楽成分をとてもうまくまとめ上げている。フレーズやコードの進行感はブラックメタルよりもVildhjartaやSikThに近く、そうした黎明期プログレッシヴ・メタルコアの混沌とした爽やかさが、ネオクラストに通ずる悲観的な暗さと絶妙なバランスで融け合っている。ジャパニーズホラーから害意を抜いて内省を加えたような雰囲気(このあたりも実にDIR EN GREY的)は、陰鬱ながら不思議と心地よい鎮静感に満ちたもので、それが巧みなリフ展開(デスメタルやマスロックなど様々なジャンルの手法を援用)と組み合わされることにより、アンビエントな居心地(Tim Heckerからの影響も大きいようでライヴの前後にも流していた)と躍動感が違和感なく両立される。アンダーグラウンドな神秘性(「ライヴハウス」感とも言い換えられうる気配)を薄めずキャッチーに伝えることができている点においても超一級の作品だろう。


Kostnatění:Úpal

 一人多重録音プロジェクトKostnatění(チェコ語で“骨化”の意)を運営するD.L.はアメリカ出身だが、トルコの音楽にのめり込み、周辺国(中東から北〜西アフリカ諸国まで)もあわせた多彩な音楽語彙をブラックメタルのフォーマットに落とし込む活動を続けてきた。直線的なリズム構成はブラックメタルの定型からあまり離れていないが(アフロポップ的なポリリズムなどは出てこない)、フレーズ構築はどこまでも個性的。フレットレスギターを駆使し微分音を多用するというリフは、他の音楽では体験できないオリジナリティに満ちているし、それがMaster’s Hammer(2nd wave以降のブラックメタルに大きな影響を与えたチェコ出身のバンド)をどことなく想起させるのも興味深い。「Opál」のチャント的なボーカルにおけるオートチューン?遣いのうまさなど、rawなサウンドを緻密に作り込む音響表現も素晴らしい。アルバム全体の構成も見事。立ち位置としてはイレギュラーで、真似をするのが極めて難しいこともあって後続を生むことはなさそうな音楽性だが、それでも今年のメタルを代表する傑作のひとつだと思われる。


Liturgy:93696

 Liturgyのこれまでの歩みについてはこの記事終盤に、Hunter Hunt-Hendrix改めHaela Ravenna Hunt-Hendrixが本作で取り組んだジェンダー・アイデンティティの揺らぎ〜確立というテーマに関しては、こちらの優れたレビューが詳しい。後者に補足させていただくと、Meshuggah的な変則4拍子(本作では3連符版も多い)を基調とするガチガチに作り込まれたリズム構成と、ブラックメタル流の輪郭が崩れたギターを噛み合わせることで生まれる、溶解-固着または抽象-具象のせめぎ合いは、輪郭を崩し曖昧な方に向かうブラックメタルの系譜を引き継ぎつつそこに新たな輪郭を加えようとする意志をよく示しているように思う(いわゆるバースト・ビートもこうした按配をよく体現している)。そしてそれは、反デスメタルとして出発しアマチュアリズムを肯定した(90年代ノルウェー以降の)ブラックメタルが距離を置いてきた体育会系的な姿勢を、徹底的な練習(または規律)を経なければ演奏できない音楽性を通して再獲得する動きでもある。これは果たして先述のジェンダー的な問題意識に協調しうるものなのか、メタル的な“男性性”を揺り戻してしまうものか・それとも別物に換骨奪胎する試みと言えるのか、といったことには議論の余地があり(参考:SASAMI『Squeeze』のレビュー)、出発点にはなかった新たな混乱が生まれてもいるのだが、そこも含めとても興味深く意義深い作品になっている。

以上を踏まえてやはり言っておくべきなのが、このアルバムは濃密すぎて疲れるということだろう。15曲82分という長さはいいのだが、そのあいだずっとレッドゾーンに達したまま降りてこない、溶けないイカロスの翼で昇天し続けるような緩急構成は、おそらくは意図的なもので優れた説得力と必然性があるのも間違いないけれども、正面からしっかり向き合うと相当消耗させられる。そういうことも鑑みると、本作で結果的に表現されているのは、既存の規範からの解放というよりも、煩雑な儀式を完走することによる達成感、虚脱感とないまぜになった(ある意味ではその場かぎりの)満足感の方が近いのではないか。ただ、こういった複雑なニュアンスをアルバムというものの構造を用いて描き出せている作品は稀だし、高みを目指しつつあくまで人間くさい姿が示されていると考えれば好感も持てる。このアルバムの録音メンバーで敢行された来日公演も素晴らしく、以上のような印象に様々な角度から疑問と裏付けを与えてくれた。全体として、非常に完成度が高く優れた作品だと思う。


Marthe:Further in Evil

 イタリア出身のワン・ウーマン・バンド。メンバーのMarzia Silvaniはアンチファシストとフェミニストを標榜し、Bandcampにはriot grrrlのタグもあるのだが、その横にbathoryの名前が並んでいるのが凄い。VenomやBathoryの影響から出発した2nd wave以降のブラックメタルは、ノルウェー・インナーサークルを筆頭とする国家社会主義志向や犯罪の数々の印象が一般には強いと思われるが、そうしたシーンの音楽的な成果を注意深く参照しつつ、アティチュードの面では真っ向から対立する流れも生んでいる(参考:Red and Anarchist Black Metal)。ここでおそらく重要なのがブラックメタルの個人主義で、従来のメタルに色濃かった技術偏重姿勢を否定し表現力至上主義傾向を増していったブラックメタルでは、一人多重録音で制作する方式が受け入れられやすく、優れたアーティストを生み続けている。そして、このような個人主義は、アナーコパンク的な姿勢と相性が良く(ジャンルの最重要バンドであるCrassなどが行ってきたコミューン活動との対峙も含め)、その信条を裏付けるものでもある。本作の冒頭を飾る「I Ride Alone」という曲名は、以上のような在り方の交錯を意識的に引き受けるものでもあるのだろう。アルバム全体の音楽性としては、Bandcampでの作品解説で挙げられているBathory、Amebix、Tiamatをそのまま融合し、イタリアのホラー映画音楽(Goblinなど)を加えた上でDarkthrone的なフォーマットに落とし込んだようなスタイルで、ありそうでない配合と匙加減のうまさが好ましい。どちらかと言えばマニアックな音像だが、上記のような領域への入門編として優れた作品になっていると思う。


moreru:呪詛告白初恋そして世界

 昨年話題を呼んだ前作『山田花子』はパワーヴァイオレンス(Bandcampでemoviolenceとタグ付けされているようにエモ寄りの仕上がり)やグラインドコアの要素が多かったが、本作はブラックメタルやハイパーポップに通ずる意匠が増し、Deafheavenと初期GEZANを混ぜたような音像になっている。しかし、影響源プレイリストを見るぶんにはそうしたところを参照しているわけではないようで、あぶらだこ的な勢いの表現をブラストビートでチューンアップしてプログレッシヴなボカロ曲と混ぜたらLiturgyみたいになった、というふうな再発明の妙に満ちた作品なのだと思われる。バンド自身がパンクロックという言葉を用いているように、「夕暮れに伝えて」などではTHE BLUE HEARTSや銀杏BOYZに連なる感じ(punkではなく日本語で言うところのパンクロックと形容するほかないもの)が濃厚にあり、その血を吐くような親しみやすさが安達哲や押見修造のエクストリームな青春漫画を想起させたりもするのだが、そういった連想も聴く人によって様々に変わるのだろう。取り込んだ膨大な情報を消化しきれず悶えているさまを明晰に示す語り口は一般的なメタルにはないもので、それをメタルの手法を用いなければ到達できないやり方で表現してしまえているのが本当に素晴らしい。ぐちゃぐちゃに洗練されたポップミュージックの傑作だ。


100 gecs:10,000 gecs

 いわゆるハイパーポップを象徴する名作となった2019年の1stフル『1,000 gecs』から4年を経てリリースされた2ndフル。ディラン・ブレイディとローラ・レスは本作のために4000以上のデモ音源を制作、そこから曲を厳選して2021年秋には本作の発表をアナウンスしたが、仕上がりが気に入らなかったため最初からやり直し、今年3月に遂にリリース。そうした作り込みの成果もあってか完成度は極めて高く、それでいて窮屈な印象は全くない。

 前作と本作の最大の違いは、演奏と音響における身体性の表出だろう。前作では声の大部分にオートチューン(トランス女性であるローラにとってはアイデンティティを隠す手段としても機能していた)がかかっていたが、本作では殆ど用いていない曲も多い。また、ディランが8弦ギターを導入、それをBoss HM-2(90年代の北欧デスメタルで名を馳せたペダル)で歪ませることで、前作にはなかった強烈な肉感が生まれている。その最たるものが“Billy Knows Jamie”で、劣悪音質のブルータルデスメタルをハイパーポップの音割れ感覚で魔改造したような終盤部は、ポピュラー音楽としてもメタルとしても未踏の境地を切り拓いている。他曲も、ポップパンクをスカ経由でレゲエ方面に繋げたり、メタル成分の多い近年のポップス(Rina SawayamaやSasamiなど)をLimp BizkitとEDMで挟むようなグルーヴ構築など、既存のスタイルを換骨奪胎した身体性の拡張が見事。文脈批評としてもエンタメとしても素晴らしい作品だ。


本作に関してはこちらのレビューが素晴らしいので併せてぜひ。


Oromet:Oromet

 USサクラメント出身のフューネラルドゥームデュオによる1stフルアルバム。フューネラルドゥームというと、悲嘆に暮れながらさめざめと泣き続けるような雰囲気表現が主で、そこに明るい展開が加わることは少ない(加えるとむしろ空々しくなることが多い)のだが、Orometはそこに取り組み、最高の成果をあげている。3曲44分の長尺で流れる壮大な展開は人の悩み苦しみよりも大自然の超然とした佇まいを想起させるもので、そこにエピックドゥーム的な情感が嫌味なく溶け込んでいく。特に3曲目「Alpenglow」の4:34〜5:19におけるメジャー寄りのコード遣いは、フューネラルドゥームの系譜からすればイレギュラーなものだが、その展開や匙加減が本当に絶妙で、曲名どおりの壮大な風景=ご来光が目に浮かぶ。それを的確に描いたアートワークも含め、この手の音楽における奇跡的な瞬間が示されていると思う。そこに至る助走として機能する1・2曲目も非常に良く(特に1曲目終盤の長尺アンビエントなど)、The CaretakerとThe Blue Nileの間にあるようなサウンドスケープがどこまでも味わい深い。Bell Witchのような自然派フューネラルドゥームが好きな人はもちろん、普段はロックを聴かないような人にもぜひ触れてみてほしい傑作だ。


Polaris:Fatalism

 中心メンバーRyan Siewの逝去を経てリリースされた3rdフル。「これはRyanと一緒に書き上げた最後の曲集であり、悲劇に縁取られてはいるが、曲の意味とそれらに対する愛は変わっていない」とのことだが、アルバム全体が本当に特別な雰囲気に包まれている。そこに大きな貢献をしているのがサウンドプロダクションの素晴らしさで、ポストハードコアとメロディックデスメタル双方の滋味を精製融合したような薫り高い空気感が示されている(特にギターまわり)。リフ遣いや曲構成も同様で、メタルコアならではのわかりやすさと渋さとが理想的なバランスで両立されているように思う。曲順構成もとても良く、最終曲「All in Vain」イントロの15拍子(アルバムの中で幻惑的な拍子が出てくるのはこの曲だけ)も見事なアクセントになっている。今年のメタルコア屈指の傑作と言われるのも納得の逸品だ。


Pupil Slicer:Blossom

 2021年の名作として注目を浴びた1stフルはマスコア〜カオティックハードコア寄りの作風だったが、本作2ndフルはそうした捻りを一切損なわずにキャッチーなメタルコアに接近。その上で、Alcest的なポストブラックメタル風味や、Gorgutsにも通ずる不協和音デスメタル的コード感など、大幅に増した手札を独自のやり方で使いこなすことができている。個性的な声質と気迫を兼ね備えたボーカルを筆頭に演奏も素晴らしく、アルバム全体の構成も非常によく練られている。尖った質感が強いサウンドプロダクションは好みが分かれると思われるが、歌詞のテーマにはとてもよく合っている(個人的にはどちらかと言えば苦手だが、必然性のある表現力を生み出しているという点では優れていると思う)。間口の広さと表現力の拡張を見事に両立した傑作だ。


Queens of the Stone Age:In Times New Roman…

 国内盤CDのライナーノーツを担当した。1stフル以降は距離を置いていたストーナーロック的なサウンドに回帰しつつ、フレーズやリズムの組み方は大きく進化した作品で、個々のフレーズに注目するほどにアレンジの面白さに唸らされる。印象的なギターリフはいずれもシンプルながら変則的で、ロックンロールならではのモノトーンな進行感(テンション維持効果)と様々な文脈にまたがる越境的なニュアンスを兼ね備えている。そうしたフレーズの複層的な絡め方も抜群にうまく、歌メロの切り込み方により生じる独特のコード感も味わい深い。このような楽曲構造を具現化する演奏も絶品で、特にジョン・セオドアのドラムスは、Led Zeppelinのジョン・ボーナムにも匹敵する極上の力加減(とんでもなくパワフルなのにうるさくなりすぎない、うまい肩叩きにも通じる心地よさがある)を美しく整った骨格で実現したようなありがたみに満ちている。強靭な楽器アンサンブルに退廃的な柔らかさを加えるジョシュのボーカルも素晴らしい。「50回聴いても新しい発見がある」という通りの完璧なアルバムだ。

 個人的に最も好きなのは中盤のハイライト「Time & Place」。冒頭の単音リフ(8分音符3つぶん×3音を一周期とする)を4回繰り返したのち、そのグリッドを4拍子系に組み換えたMotorikビート的なドラムス(8分音符×16の長さを一周期とする)が入ってくる構成で、16と9が絡むポリリズムになっているのだが、バンドのアンサンブルが端正に磨き上げられていることもあってか、小難しいことを一切考えずにのれてしまう。ミニマルな要素を軸に据えた音楽の歴史全体を見渡しても傑出した作品だろう。Neu!やTelevisionが好きな人にもアピールする部分が多いと思われるし、様々なジャンルの音楽ファンに聴かれてほしい。


Ragana:Desolation's Flower

 アンチファシスト・ブラックメタルを標榜し、本作のタイトルトラックでは「クィアとトランスの祖先への感謝」を表現。Bandcampのタグにblackened doomまたはblackened screamoとあるとおりの音楽性なのだが、音そのものの質感としては、Wolves in the Throne Roomや初期Ulverのような自然派ブラックメタルをポストブラックではなくプリミティヴブラックに寄せて、その上でスロウコア的な語り口に落とし込んだような印象がある。寂寞とした孤独感に満たされつつ、それでいて隠者の美学を気取るのではなく、社会と向き合う意思を捨てきっていないからこそ滲み出る親しみやすさがある。緻密な文脈構築と直感的な表現力の両立が見事な作品だ。


Sanguisugabogg:Homicidal Ecstasy

 Sanguisugaboggはネット上ではどちらかと言えばネタ扱いされているバンドで、難読ロゴや馬鹿馬鹿しく陰惨な歌詞など、デスメタルの過激なイメージをユーモラスに打ち出していることもあってメタル内外の双方から白い目で見られている印象がある。しかし、作品やライヴパフォーマンスは非常に強力で、2021年の1stフル『Tortured Whole』が高く評価されたり、今年のUSツアーに帯同したKrueltyメンバーに技量を絶賛されるなど、マニアからは十二分に認められている存在でもある。今年リリースされた2ndフル『Homicidal Ecstasy』はそうしたバンドのポテンシャルが理想的に発揮された傑作で、作編曲・演奏・音響構築のすべてが素晴らしい。SanguisugaboggはCannibal CorpseやMorticianと比較されることが多いようだが、本作の楽曲に近いのはCryptopsyの『None So Vile』あたりで、そうした重低音シンフォニーを2000年代以降のブルータル/スラミングデスメタル経由で発展させ、それでいてフレーズ構成はシンプル&キャッチーに留める、という塩梅が実にいい。その上で、そうしたブルデス方面ではあまり出てこないコード感の導入も巧みで、「Narcissistic Incisions」のスローパートで聴けるdiSEMBOWELMENT直系のゴシック感覚は、アルバム全体の色彩や陰翳をぐっと豊かにしている(自分が本作を好きな理由の30%くらいはここにある)。ギター二人のうち一人がベース・キャビネットを使ってサブベース級の極低音を出す編成もアイデアの勝利という感じで、ドンシャリ系劣悪音質ブルデスによくあるタイプのcavernous(洞窟)音響を磨き上げ、近年のポピュラー音楽における重低音(メタルが得意とするのは中低域なので、対応できていないバンドも少なくない)基準に適応した感じのプロダクションに完璧にはまっている。曲順構成も申し分ない。本当に良いアルバムだと思う。


SeeK:故郷で死ぬ男

 結成20年目のリリースとなる1stフル。ブラッケンド・ハードコアという括りで語られることが多いようだが、そうしたスタイルが陥りがちな音遣い(ブラックメタルとクラストコアの特に印象的な部分のみを掛け合わせた感じ)とは一線を画すリフ作りがなされていて、どちらかと言えば渋い仕上がりなのに全編とても個性的な印象がある。Neurosisのようなポストメタル、Deathspell Omegaのような不協和音ブラックメタル、MitochondrionやAntediluvianのようなブラックメタルとブルータルデスメタルの間にあるバンドなど、比較対象はいろいろ思い浮かぶが、そうしたものと共通する響きを含みながらもサブジャンルの定型(そのまま引用すると不純物としての臭みがついてしまいやすい)を回避できているのは、徹底的に磨き抜かれた作編曲の賜物なのだろうし、CorruptedやKillieのような日本のハードコア成分が出汁として活きているからでもあるように思える。ボーカル・ギター・ドラムスのベースレス編成ならではの音作りも極上で、ロングスパンの時間感覚と瞬発力を兼ね備えたアルバムの居心地をいっそう引き立てている。聴けば聴くほど旨みが増していく素晴らしい作品だ。


Sightless Pit:Lockstep Bloodwar

 2020年の1stフルはLee Buford(The Body)とDylan Walker(Full of Hell)にKristin Hayter(ex. Lingua Ignota)が加わったトリオで制作され大きな話題を呼んだが、本作2ndフルではKristinが離脱し、曲ごとに異なるゲストを加えるプロジェクト形態へ移行している。1stフルは変則的な展開を走り抜ける攻撃的なエレクトロニクスで統一されていた感があったのに対し、本作はアンビエント寄りのサウンドスケープのもとで多彩なビートに挑戦。それを助けるゲスト陣は、Midwife、YoshimiO(ボアダムス)とGangsta Boo、Lane Shi Otayonii、FrukwanとIndustrial Hazard、claire rousay、Crownovhornz、Foie Grasといった面々で、メタル領域ではあまり知られていないものの重要人物ばかり。LeeとDylanがそれぞれ推し進めてきた越境的コラボレーションの中でも特に興味深いものであり、各人のディスコグラフィーにおいても屈指の逸品だと思われる。Model/ActrizやLiturgyへの関与で注目度を増してきたプロデューサーSeth Manchesterも、静かで不穏な音響表現に大きな貢献をしている。コンピレーションとしても完成度の高いアルバムとしても非常に優れた作品だ。


Sleep Token:Take Me Back to Eden

 2016年にロンドンで結成された匿名の覆面集団で、2017年のインタビューを最後に一切取材を受けず、Discordの考察サーバーを起点にじわじわファンベースを拡大。今年の頭に連続リリースされた本作3rdフルの収録曲で一気に注目度が高まり、今月16日開催のウェンブリー・アリーナ(公称キャパ12,500人)は一般発売後10分で完売、昨年末は20万人程度だったSpotifyの月間リスナー数は現時点で280万人超に達している。こうした人気はどちらかと言えばメタル界隈とは関係ないところで育ってきたもののようだが、LeprousやMeshuggahに連なるサウンドは確実にメタルの系譜にあるし、欧州のメタル専門メディアが早い段階で目をつけプッシュしてきたこともあってか、メタル領域においても重要バンドとしてのポジションをほとんど確立した感がある。まだ聴いたことがないのであれば、このタイミングでチェックしておいたほうがいいだろう。

 Sleep Tokenの音楽においては、上記のようなプログメタル〜djentを軸に、Bon Iverのようなインディロック、ジェイムス・ブレイクあたりを介してオーセンティックなR&Bに至るラグジュアリーな歌ものなどが縦横無尽に取り込まれている。それを可能にするのが主幹Vesselのボーカルで、メタルコア的なスクリームとリッチな歌い上げを高い水準で両立する歌唱表現力は、メタルならではのリリシズムと他ジャンルのリリシズムの融合に大きく貢献している。ゴシックメタル的なバリトンにR&B的な節回しを加えるスタイルはありそうでないものだし、Tim HeckerのようなゴシックアンビエントとXXXTentacionのようなエモラップの間にある感じの音楽性をメタリックに仕上げられるのも、このような声の魅力があればこそだろう。こうしたジャンル越境的な音楽性はアクセスポイントの多さ(楽曲展開が多彩なために複数箇所をTikTok用に切り抜けることなども)につながり、近年のポピュラー音楽におけるメタル要素の伝播・普及を追い風により広い層に受け入れられていく。メタルとポップミュージックの橋渡しとして極めて優れた作品だ。


Spirit Possion:Of The Sign…

 2020年の1stフルは、VenomやVonのような1st waveブラックメタルにコズミックデスメタルなど多彩な要素を溶け込ませたような音楽性(Negative Planeをシンプルかつキャッチーにした感じ)だったが、本作2ndフルでは、ギター兼ボーカルのSteve Peacockが所属するUltharに通ずる不協和音デスメタル的な要素が増量。伝統的な音楽形式を奇怪なフレーズ遣いでミュータント化する試みが驚異的な成果をあげている。そうした作風に大きく貢献しているのがSteveのギターで、指弾きでスラッシュメタルの激速刻みを難なくこなしつつまろやかな質感を生む超絶技巧は、ジェフ・ベックがエクストリームメタルをやっているような趣さえある。そこに程よい距離感で寄り添うAshley Spunginのドラムスも見事。「Practitioners of Power」のMeshuggah式変則4拍子など楽曲構成もいちいち興味深く、ブラックスラッシュならではのevilで無鉄砲な佇まいが知的な作り込みによりさらに強化されている。Possessed系譜の最高進化形ともみなせる素晴らしいアルバムだ。


Sutekh Hexen・Funerary Call:P: R: I: S: M

 ブラックメタルを軸としつつアンビエント〜ドローンやパワーエレクトロニクスを探求するSutekh Hexenと、インダストリアルやダークアンビエント領域の音楽家であるFunerary Callのコラボレーションアルバム。遠景で微かに漂うトレモロギターやスクリーム、メロディアスなフレーズ遣いは確かにブラックメタル系譜のものではあるが、打楽器のビートは控えめで、基本的にはダークアンビエント寄りの音像になっている。そしてその仕上がりがアルバム全編を通して素晴らしい。もともとブラックメタルはアンビエントと相性が良く、DarkspaceやBlut Aus Nordを筆頭に優れた作品が多数生み出されてきた歴史があるのだが、本作はそうした系譜のなかでも屈指の傑作ではないか。不穏で艶やかなメロディからは情感が少なからず滲み出ているが、それが朦朧としたアンビエント音響に包まれることにより感情の重みのようなものが抽象化され、湿ってはいるが感傷に浸ってはいないというふうな独特の居心地が生まれる。アルバム全体の構成も見事で、ダレず急かされずに浸りきることができる。非常に聴きやすく、この手の音楽領域への入門としても良い作品だと思われる。


SWARRRM:焦がせ

 2021年の前作は安全地帯とUlver『Nattens Madrigal』をDiscordance Axis経由で融合したような歌謡グラインドコアの逸品だったが、本作はそうした滋味を引き継ぎつつ今まで以上に多彩な音楽領域に接近。グラインドコアの直線的なグルーヴ特性と相性が悪いリズム構成も多いのだが(ミドルテンポのところは特に)、そこで立ち現れるぎこちなさは鮮烈な個性になっていて、特にポストパンク的な曲調においては、そうしたジャンルならではの特性を再発明するような凄みと面白さを生んでいる。シリアスな気迫と開かれた快活さがコロイド溶液のように(溶けずに)混ざり同居しているさまは異形で御しにくいものではあるが、ポップなものも積極的に取り込みつつ洗練からは距離をおく姿勢、グラインドコア精神の発露と考えればしっくりくる。こうした在り方そのものを楽曲やアルバムの構造で示せている音楽は稀だし、そのような(ある種の無様さも伴う)姿を曝け出すことができるのが本当に格好良い。Xysmaのようなグラインドロックが取り組んできたことを数段先の境地に推し進めた作品だ。


Thantifaxath:Hive Mind Narcosis

 9年ぶりのリリースとなった2ndフルアルバム。Thantifaxathはカナダの匿名バンドで、ブラックメタルを軸としつつそちら方面の定型を逸脱する不協和音遣いが高く評価されてきた。よく比較されるDeathspell OmegaやKralliceなどと最も異なるのは、ハードコア的な瞬発力を硬めの輪郭で活かしているところだろう。『Paracletus』以降のDsOはいわゆるカオティックハードコアに接近しながらもブラックメタル流のぼやけた輪郭を保っているのだが、Thantifaxathのアンサンブルはメタリック・ハードコアに近く、そこにブラックメタルのブラストビート(グラインドコアのそれとは質感や間合いが異なる)を組み込むかたちで突進力をブーストしている。そうした演奏感覚を引き立てるのが優れた変拍子構成で、短いスパンで脱臼的なビートチェンジを組み込む(どことなくあぶらだこにも通ずる)展開を一糸乱れず走りきることにより強烈なグルーヴを生んでいる。ここで興味深いのが独特のユーモア感覚で、楽曲だけみるとシリアスかつアヴァンギャルドな印象があるものの、それが上記のように逞しく爆裂する演奏と洗練されたプロダクションとともに披露されるからか、妙に爽快で外連味あふれる印象が現れる。黒衣に身を包みフォーマルにキメながらもベールの内側ではほくそ笑んでいる、みたいな気配がそれとなく伝わる佇まいがとても良い。不協和音デス/ブラックメタルの一つの到達点であり、妖しく楽しい音楽としても聴かれてほしいアルバムだ。


Tideless:Eye of Water

 2ndフル。おどろおどろしいアルバムカバーは、インタビューによれば『The Strange Color of Your Body’s Tears』(2013年のイタリア・ジャッロ映画)のワンシーンを描いたものとのことで、本作の音楽文脈には確かにそういった要素もあるものの、どちらかと言えば明るくポップな音の印象からはかけ離れている。Bandcampで「deathgaze」「shoegazing death metal」と繰り返しタグ付けしているように、このバンドの音楽性はシューゲイザーと初期デスメタルをそのまま融合するもので、その結節点が両ジャンルの生々しく洗練されていない部分だというのがありそうでない個性になっている。前作(一番安いマイクを使って録音されたという)とは違いプロフェッショナルなプロダクションで制作されたにも関わらずrawな質感が損なわれていないのが素晴らしい。大雑把に言えばAlcestとDream Unendingの間にあるような音楽性だが、diSEMBOWELMENTやThe Chasmを影響源に挙げていることも鑑みれば、同じようなルーツを辿ったうえで似て非なるところに到達したとみるべきなのだろう。初期デスメタル流の崩れたアンサンブルがシューゲイザー的な質感と自然に一体化しているのも凄いし、何より曲がどれも素晴らしい(24分超の「Lush.Serene.Dissolved」は特に見事)。地下シーンの奥底とポピュラー音楽領域を艶やかに繋げてみせる作品だ。


Tomb Mold:The Enduring Spirit

 今年を代表する傑作メタルアルバム。PitchforkのBest New Musicに選出され8.6点を獲得(ここのレビューはインディロックの文脈争いに偏りがちで微妙なものも多いが本作に関しては妥当だった)、年間ベスト50ではメタル関連で唯一選出され、ロック関連のベストにも選ばれていることもあってか、メタル専門でないメディアからも注目される傾向ができているように思う。作品の内容としては、昨年あたりから初期デスメタル(OSDM)リバイバルの一環として注目されるようになってきたプログデス路線で、OSDM再評価の流れを(Blood Incantationを除けば)十分に追ってこなかった大手メディアがなぜ本作ばかりに注目するのかは腑に落ちなくもあるのだが、Deafheaven(ポストブラックメタル)と同じような枠(今まで不思議と確立されてこなかった“ポストデスメタル”的なターム)で評価されているのだと考えれば分からなくもない。実際、それだけの間口の広さや親しみ深さのある音でもある。

 Tomb Moldが2019年の3rdフル(コズミックデスメタルに接近した傑作)から成し遂げた大幅な路線転換には、各メンバーの別バンドでの活動が少なからず関わっている。Dream Unendingにおけるゴシックロックやニューエイジの再解釈も、Daydream Plusにおけるジャズ/フュージョンの探求(このバンドではおそらくヴェイパーウェイヴ的な意匠も溶け込んでいる)なども。そして、そうした要素の数々は、プログデスの原点かつ特異点として大きな存在感を示すCynicが既に取り組み、音楽的な接点を整備してきたものだった。Tomb Moldはそうした文脈的な繋がりを明確に意識し、2023年の今でなければできない形で再構築している。名曲「Will of Whispers」はそうした試みにおける最高の達成だし、他の曲では黎明期ブルータルデスメタル(CynicやDeathの人脈が関与しているバンドも多い)の要素が巧みに混ぜ合わされ、従来のOSDMリバイバルとの結節点を残していたりもする。このような背景はサブジャンルのマニアでなければ気付きにくいものだが、本作はそうしたことを一切知らなくても問題なく楽しめる(もちろん、知っていればさらに楽しめる)。メタルの枠を超えた評価を受けている理由はそうした在り方にこそあるのだろう。異形の構造をポップに聴かせる逸品だ。


Unprocessed:…And Everything in Between

 今年最も衝撃的な作品の一つだろう。Unprocessedはドイツのプログレッシヴメタル/メタルコアバンドで、2019年の3rdフルあたりから激烈な演奏技術が注目を集めてきた。2022年の4thフルはテクニカルなキメよりもポップな雰囲気を前面に出したオルタナティヴメタル路線になっていて、既存のファンからも賛否が分かれていたのだが、そこを経て完成した本作5thフルは、3rdフルと4thフルの美点のみを抽出し完璧に融合した作風に。結果として、Animals As LeadersからPolyphiaに至る現代メタルギターの精髄とメタルコアならではの作編曲技法を最高級に(というよりも、かつてなかったレベルで)両立するアルバムになっている。「Thrash」における激速スラップ継続+ブレイクダウンなどは凄すぎて唖然とさせられるし、とんでもなく入り組んだフレーズなのに運指練習のような味気なさがない、膨大な音数を一切無駄撃ちしないリフ構成もたまらない。Polyphiaのギタリスト2人が客演した「Die on the Cross of the Martyr」を真ん中に据えた曲順も絶妙で、38分半の過不足ないボリュームに磨き上げられた構成が好ましい。テクニカルさとキャッチーさの両面においてロックミュージックの限界を押し広げる傑作だ。


Year of the Knife:No Love Lost

 デスメタリックなエッジを取り込んだハードコアは近年の大きな潮流になっていて、Knocked LooseやJesus Piece、KrueltyやXibalbaのような優れたバンドが素晴らしい作品をリリースしてきたが、Years of the Knifeの本作はその中でも屈指の傑作と言えるだろう。極上の半音進行リフを必要十分なビートチェンジのもとで活かす作編曲、豊かな響きと留めハネの両立が理想的な演奏表現、完璧なサウンドプロダクションなど、全ての要素が超一級。何より格好良いのが曲構成の潔さで、初期デスメタル(CarcassやSuffocationあたり)の音遣い感覚とハードコアならではのリズムアイデアを20分に集約したような濃密な内容ながら、それが過不足なく丁度よくまとまっている。わかりやすいのが最終曲の終わり方。初期Morbid Angelを想起させる荘厳でうさん臭いシンセが入った後はそのまま長い残響音に移るのだが、普通はその後に何かしらキメを入れたくなりそうなところを、このバンドは一切入れずに締める。この曲に限らず贅肉の落とし方が抜群にうまく、“ハードコア”な姿勢が非常に良いかたちで顕れている。強靭な楽器陣の上で引っ掛かりを作るボーカルも最高で、柔らかいゴムに棘が刺さりまくったバットをフルスイングするような歌声は、歌詞の譜割や韻が巧みなこともあってか妙にクセになる魅力がある。メタルやハードコアに限らず、ロック系統の音楽における理想的なサウンドを堪能できる逸品だ。

 なお、Years of the Knifeの面々は今年の6/28にツアーバンの大事故で重傷を負い、ボーカルのMadi Watkinsは頭部外傷の後遺症のために現在もリハビリを続けている。本作の収益はすべてその治療費に寄付されるとのこと。素晴らしい作品なのでぜひ聴いてみてほしい。


Zulu:A New Tomorrow

 活動4年目のリリースとなった1stフル。激重パワーヴァイオレンスと甘美なソウル〜レゲエを交互に繰り出す構成で(このあたりはやはりBad Brainsを連想させる)、極端な起伏を均しい温度感で聴かせる語り口が素晴らしい。そうしたことが可能になるのは、パワーヴァイオレンス部分もソウルやファンク的な洗練のされ方をしているからで、そうしたジャンルの重要な妙味である整体感覚(美しく解きほぐされたアンサンブルのおかげで凝りがほぐされるような心地よさが得られる)が爆音パートでも得られるのがこのバンドの強みになっているように思う。その点、ブラックパンクの注目株として比較されがちなSoul Gloよりもブラックミュージックに近いところにいるバンドで、ニーナ・シモンやカーティス・メイフィールドのサンプルはルーツ提示と音響表現の両面でよい効果を示している。リーダーのAnaiah Leiはインタビューで「a band that’s 100% for and about Black folks」と述べており、リベラル傾向のあるハードコア界隈の内側からさらに白人中心の現状を批判する姿勢を隠さないわけだが、そうした人がメタル(白人や男性中心の気風はハードコアよりも数段濃い)方面の技法を援用するというねじれはとても切実で興味深いことにも思える。複雑な事柄を理屈抜きに強烈なサウンドで伝える作品だ。

いいなと思ったら応援しよう!