痴漢に遭ったときの話をしよう
痴漢に遭ったことが人生のうちで何度かある。
私自身は、いわゆる性的対象からは外れている女性だ。街を歩いていても声をかけてくる男性といえば、前後不覚になった酔っ払いか、エステのキャッチくらい。若かったころも、子どもを2人持ったいまでも、あまりかわらない。
小さいころからずっと太っていて「モテ」からは遠い場所にいた私が、一瞬だけ普通の女性に近づいた時期があった。20代の終わりにダイエットにはまって、60キロ台だった体重が40キロ台になったことがあったのだ。
痩せたら、おしゃれが楽しくなった。
体にフィットするすっきりとしたワンピースを着て、
ヒールのついた細身のブーツを履いて、
きれいにお化粧をして、背筋をのばして、たくさん歩いた。
嬉しかったし、誇らしかった。視界に映るものが輝いて見えた。
そうしたら、会社帰りの夜道で、痴漢に遭った。後ろから抱きつかれ、転ばされて、スカートをまくられ股間をさわられたのだ。
一瞬のことで何が起こったかわからなかったが、「ぎゃー!」と喉が裂けるほどの大声を出したら。男は逃げて行った。男は20代か、あるいは30代前半くらいか。若く見えたが、顔を確認することもできないくらい、一瞬で夜道に消えてしまった。
震えながら警察に電話をし、恐怖の中で走って帰宅して、当時遠距離恋愛中だった彼氏に電話をした。顛末を話すと「夜遅くにぼやぼや歩いてるからだよ。遅くまで仕事をしてるほうが悪い」と、まったくもう! みたいな調子で、かるく叱られておわった。
しばらくたって恐怖が癒えたあと、痴漢に対する怒りがこみあげてきた。いろんな言葉がわきあがってきたけれど、そのときの自分の感情を最も端的に表していたのは「タダでさわりやがって!!」というゲスな言葉だった。
これをまわりの友達に言うと、みんなが笑った。そりゃあそうだろう。わたしだって、笑う。そんな怖い目にあっておきながら、タダもクソもないだろうに、と、ハイボールをぐいぐい飲みながら、酒の肴にして笑っただろう。
のちに「性的搾取」という言葉を知り、
あのときの自分が言いたかったことはコレだ!と
びっちりと癒着していた、目のうろこがポトリと落ちた。
私は、何の利害関係もないただの通りすがりの人物にきわめて一方的かつ暴力的に「性的搾取」されたことに、はらわたが煮えくり返るような怒りを感じていたのだ。当時の自分の語彙力では表現できない、怒りを。
「タダでさわりやがって!!」という私の魂の叫びを酒の肴にした友達のコメントは、だいたいこんなところだった。
友人A 「じゃあお金払えばよかったってこと?」
私 「そういうわけじゃないけど、せめて金くらい置いてけってのは正直ある」
友人B 「女に見られたって証明だからいいじゃないか」
私 「うーん、そういうことじゃなくてさ」
友人C 「きれいになったってことだよ」
私 「いやだからそういうことを言いたいわけじゃなく」
友人D 「これ以上言わせるなよ、自慢に聞こえるぞ」
私 「いやだから・・・(沈黙)」
いまならちゃんと言える。
なんの合意形成もなく、一方的に搾取されたことが悔しい。
私という人間の人権を、なかったものにされたことが悔しい。
卑怯な方法で、恐怖を味わわされたことが悔しい。
性的対象になったとたん、搾取の対象になったことが悔しい。
それを「喜ばしいこと」くらいに受け止める、世間の認識が悔しい。
特に私の場合「性的対象になったとたん、搾取の対象になった」という点には複雑な思いがある。非モテであることは長らくコンプレックスだったが、ようやくモテ側の入り口が見えたとたんにコレか、という暗澹たる想いのほか、「以前の非モテな自分はやはり性的な魅力がなかったのだ」という事実をまざまざとつきつけられた惨めさ。それを、こんなことで思い知りたくなかったという悲しさ。
いろんな感情がカオスになったまま、この痴漢被害経験は、心の中で15年以上も乾いた鼻くそみたいにへばりついていた。残業して帰ることの、何がいけなかったのだろう。ダイエットしておしゃれして歩くことの、何がいけなかったのだろう。私の何が、いけなかったのか。
15年経ち、SNSで口々に性被害者が語りはじめて、ようやくあのときの自分に「タダでさわりやがって!!」以外の言葉を与えてあげられた。
願わくばこんどは、私のこの経験が別の誰かの、心の中の鼻くそをひっぺがすきっかけになればいいと思う。