『マグロちゃんは食べられたい!』の最終回についてゆる~く考える
※この文章にはマンガ『マグロちゃんは食べられたい!』の重大なネタバレがガッツリ含まれています。
『マグロちゃんは食べられたい!』を最終話まで読んでいない方は先に本編を全部読んで下さい。
また、単行本で描き下ろされたエピソードについても触れるので本誌やニコニコ漫画で作品を追っていた方も注意して下さい。
はじめに
先日、ニコニコ漫画での『マグロちゃんは食べられたい!』の追っかけ連載が最終回を迎えました。
https://seiga.nicovideo.jp/comic/57513
衝撃を受けたというか何というか、ものすごい内容でした。頭がぐちゃぐちゃになりました。
あとで知りましたが「伝説の最終回」とか言われているみたいですね。
ニコニコ漫画についたコメントを見るとどうも単行本2巻に最終回の前日譚が掲載されているのことだったので、既に持っていた単行本を読んでみました。
その勢いのまま単行本1巻も読み返したりしていると、結果として更にモヤモヤしてきました。
そんなわけで自分の心の中を整理するために今これを書いています。
つまるところ、この駄文は『マグロちゃんは食べられたい!』の最終回を読んで錯乱しているオタクが自分の精神を安定させるために書いた、妄想等も多分に含んだ戯言です。
それが許容できる方のみ先へお進みください。
みさきはまぐろを食べたのか?
この作品において一番気になる点ですね。
確実に食べているでしょう。終わり。
…この後の文章も「みさきはまぐろを食べた」という大前提の下で進めていくつもりなのでもう少し丁寧に考えます。
その方が自分自身の気持ちも整理できるだろうし。
インターネット上での意見も踏まえた上で根拠として挙げられるのは
・電車パートの2番目と最後のコマでみさきしかいない。
・電車パートでふきだしにツノがあるのはまぐろだけである。これはみさきのセリフが全て実際になされた対話ではないことを示している。
・2巻カバーのソデ部分のイラスト。
・最終回が本誌に掲載された時のきらら公式Twitterでの告知にあった「ごちそうさまでした」。
らへんですかね。
特に決定的なのが3つめです。
正直上の2つだけなら「理由は不明だが、まぐろは何らかの事情で姿を消しただけ」「最終ページの『アンタと一緒』もよくある心情的な表現」という解釈が成り立たなくもないですが、その可能性を完全に潰していると言えます。
…などと偉そうに言いましたが、これは実は以下のツイートを見て気付いたことです。
私としては完全にこのツイートに同意ですね。
それはそれとして、2つ目について実は1個だけ例外があります。
クロの現況について考えているコマがそれで、このコマの黒いふきだしはよく見るとみさきに向かってツノが伸びています。
ただの作画ミスとも取れますが、私としてはこれもまぐろがいなくなっていることの証左だと思います。
というのも、このコマに続くコマではまぐろが微笑んだ上で「みさきさんらしいなと思って」と述べています。
最初に読んだとき、この流れがどういうことなのかよく分かりませんでした。
みさきの発言が全てまぐろとの「会話」であり、実際には声にしていないものと仮定すると、まぐろ目線ではみさきの行動に特におかしな点がないため、微笑むような要素もまたないからです。
で、読み返してみて発見したのが先述の通り直前のこのコマのみ みさき のふきだしにツノがあることです。
これを素直に解釈すれば、みさきは独り言を実際に口に出して呟いたことになります。
そうであればまぐろが微笑んだ理由に説明が付きます。
まとめると、1つだけある みさき のふきだしのツノは、
・みさき は(まぐろが実際にはその場にいないにもかかわらず)つい独り言を声に出してしまった。
・それに対してまぐろが見せた微笑みは、その行動が(一応の会話相手であるまぐろ目線でも)不自然なものであるということ。
を示していると考えます。
これはまぐろがその場にいないことを補強してると言えます。
…まあそれでも何が「みさきさんらしい」のかはよく分からないんですが。
さて、ここら辺の事情を総合すると、最終コマの「アンタと一緒」が既にまぐろがみさきの血肉となっていること、つまり食べたことを表現しているのは確実と言えます。
その理由についても気になりますが、いったん別のことを考えてみたいと思います。
電車パートでのまぐろは何なのか?
シンプルに考えれば、まぐろと一緒になったことで生じたイマジナリーフレンド的な存在と言えるでしょう。
更に言えば、まぐろが言う「みさきさんの血肉になれば24時間365日一緒にいられる」が叶った姿です(なんで叶ったのかとかは考えません)。
ここに関連して、ニコニコ漫画のコメントで「マグロが人になる訳がないから全て妄想」みたいな意見がありました。
おそらく冗談半分なので真面目に受け取る必要もないのかもしれませんが、折角なので補足しておくとその可能性は極めて低いと言えます。
なぜなら、まぐろたちは みさき や なぎさ などといった主要キャラ以外にも人間として視認されているからです(学校の描写全般、おつかい回、クロの初登場回等を参照)。
流石にこれだけの多人数が共同の妄想に憑りつかれるというのは無理があります。
みさきはなぜまぐろを食べたのか? ― メタ的な観点から
メタ的に言えば作者のはも先生が人間と人外、または捕食者と被食者の共存として、それぞれの立場による3通りの結末を描きたかったからでしょう。
ざっくり言えば、完全に捕食者側に寄った結末がさしみとクロ、被食者側に寄った結末がみさきとまぐろ、お互いに歩み寄った中間の立場からの結末がなぎさとカジキちゃんになります。
ここから先、この3種の違いについてダラダラと書きますが、わざわざ言われなくても分かっている人も多いと思うので読むのが面倒な人は是非飛ばしてください。
さしみとクロの結末:捕食者側に寄った共存の形
単行本2巻に描き下ろされた温泉回では、この2人の間で極めて重要な会話が為されています。
簡単にまとめるとさしみはクロに対して「クロの生きる意味を否定することになったとしても、クロを絶対に食べない」という旨の宣言をしました。
クロはやたらと人間に養われたがっているので判断が難しいのですが、「捕食者と被食者」という枠で括って見るならば、さしみの言葉は被食者としての役割を完全に否定しています。
もっと極端に言えば、さしみの選択した「共存」は被食者の思いを半ば無視した上で行われています。
まあ、実際にはそんな一方的なものではないのは本編(特にさしみの家でのクロの生活が描かれた回)を読めばちゃんと分かるんですが、温泉回における結論を導き出すまでの会話だけを見ればそうとも取れるよね、という話です。
なぎさとカジキの結末:お互いに歩み寄った共存の形
カジキちゃんは最終的に人間の姿でなぎさと暮らすことになっているので一見さしみたちと同様人間側に寄った結末に見えますが、実は全然違います。
カジキちゃんの家出を経て2人はお互いの気持ちを伝え合い、その上で一緒に暮らすことを選択しているからです。
なぎさ自身も語っている通り、本当に大事なのはなぎさとカジキちゃん2人の気持ちなのであり、そこを疎かにすることなく向き合った結果がこの2人の結末です。
さしみの半ば相手を否定するような「共存」とは決定的に異なるのがこのお互いの気持ちに向き合ったという部分です。
だからこそ、この2人の結末はお互いに歩み寄った中間の結末なのだと考えられます。
…と、ここまで書いておいてなんですが、この2種の区別に関しては自信があるとは言えません。
なぜなら、さしみとクロも単に紙幅が足りなかっただけで、時間とページに余裕があればなぎさとカジキちゃんと同じような対話が描かれた可能性もあるからです。
先述の通り、その片鱗は本編内で描かれていますし。
ただまあ、ここを分けた方が分かりやすい気がするのでとりあえずこういう風に分けておきます。
みさきとまぐろの結末:被食者に寄った共存の形
この文章はみさきがまぐろを食べた、という前提の下で書いているのでそこは改めて問題にはしません。
それはそれとして、連載当初から2人の共存の形は食い違っていました。
みさきは「人間として」2人で暮らすことを、まぐろは「マグロとして」みさきに食べてもらうことを「共存」としています。
最終的な選択を見れば みさき が まぐろ の考えに乗っているのが明らかなため、この2人は被食者に寄った結末と言えます。
かなり雑ですが、この2人に関しては次の項でより詳しく述べるので今はこれくらいにしておきます。
ただ、誤解しないでほしいのは、私は「なぎさとカジキちゃんは互いに気持ちを伝え合った上で共存を選んだのに、この2人はそれを怠っている」と考えているわけではないという事です(さしみとクロについても同様なのですが、本題から逸れるのでこれ以上は書きません)。
これに関しても次の項で述べます。
みさきはなぜまぐろを食べたのか? ― 物語的な観点から
ここからが本題です。
作者があの結末を描いた理由はなんとなく分かりました。そういうことにします。
では、物語的にみさきがまぐろを食べた理由は何でしょうか?
言い換えるなら、どのような理由があればみさきはまぐろを食べることを了承するでしょうか?
ここで注目したいのが以下の最終話のモノローグです。
多分、この作品の根幹をなすであろうテーマに触れています。
繰り返しますが、みさきは人間としての共存を、まぐろはマグロとしての共存を望んでおり、これはその形に注目するとかけ離れたものになっています。
この状況がまさしく当てはまっているのが上記のモノローグの前半部分「きっと私達は形が違うだけで同じ事を願っている」です。
当初、みさきは人間としての共存を試み、まぐろに人間として接していました。
これはなぎさとさしみも同様です。
結果として、なぎさはカジキちゃんと気持ちを伝え合って分かり合いましたし、さしみもクロが元々人間として暮らしたがっていた節もあったからか上手く行きました。
みさきとまぐろに関しても一定の効果を上げています。
おつかい回でのプリクラやお祭り回のラストは分かりやすい例ですし、最終話の会話の内容からするとカジキちゃんの家出の時にまぐろが助けに来たのにも影響しているはずです。
前の項で「『なぎさとカジキちゃんは互いに気持ちを伝え合った上で共存を選んだのに、この2人はそれをしていない』と考えているわけではない」と述べたのはここら辺を踏まえているからです。2人とも歩み寄ろうとはしているのです。
ただ、あくまで一定の効果を上げただけでそれ以上には至りませんでした。
モノローグ後半の「同じ事を願っているのに願えば願うほどどうしてかけ離れていくんだろう」という状況になってしまっています。
1巻の夜釣り回でも触れられている通り、生きてきた環境も価値観も違い過ぎるのです。
それでもお互いに共存を望む場合、どうすればいいのでしょう。
…どちらかが相手に合わせるしかないのではないでしょうか。
それを実践した結果がみさきとまぐろが迎えた結末という事になると思います。
もう少し本編に即してまとめてみましょう。
そもそも、みさきとまぐろはお互いを大切な存在として共存を望んでいます。これは最初から最後まで一貫しています。
何なら、最終話の回想パートの頃には以前よりもお互いを大切な存在として認識していることが分かります。
しかし、お互いの望む共存の形はかけ離れたものでした。
それでもお互い大切な人として共存を望んでいます。
この時、みさきはまぐろに対して「人間として共存したい」という自分の希望をある種押し付けることは出来るでしょうか。
出来ないでしょう。
…さらっと書きましたが、私がこう思う根拠も一応あります。
1巻に収録されている、みさき宅で勉強をする回がそれです。
この話の中で、みさきはまぐろを守るために人類の敵(ゴキブリ)に立ち向かっています。
また、まぐろについて「手のかかる妹みたいな感じ」と評しています。
要するに、みさきにとってまぐろは守るべき対象なのです。
守るべき対象と自分との間で、目的は共通しているのにその手段はかけ離れているという事態(つまりはまんま本編で起こっている事態)が発生したとき、みさきはその守るべき対象に対して自分を押し通せるような性格でしょうか。
加えて、1巻の最終話では「あの子自身の気持ちを見つけてみせる」「まぐろには自分の意思で未来を選んで欲しい」と語っています。
これらを踏まえると、みさきは最終的には自分の気持ちを押し付けず、まぐろの意思を尊重するはずです。
だからこそ、みさきは捕食という手段を取ったのでしょう。
みさきとまぐろの関係に関連してもう1つだけ、最後に触れておきたい点があります。
1巻冒頭の描き下ろしカラーページについてです。
ここでは「運命」について色々書かれているのですが、最終的には「運命」とは以下のようなものであると締めくくられています。
最終話を読んだ後この文に気付いた私は鳥肌が立ってしまいました。
主にこれを最初から仕込んでいた作者の力量について。
これ以上は野暮が過ぎるので言いませんが、この文章を読んでいる皆さんはどう感じるでしょうか?
なぎさはまぐろを調理したのか?
一番重要なのは前項までですし、ここらへんから本編での描写が少なくなってくるため、前項以上に筆者の妄想が加速していきます。
耐えられない人は無理をせず、遠慮なく読むのをやめて下さい。ここまで読んでいただきありがとうございました。
さて、この疑問の発端はもちろん まぐろ のアルバイト回ですね。
この回のラストで まぐろ は なぎさ に対してもし自分が魚に戻ったらなぎさに調理してほしい、という要望を伝えています。
それに対してなぎさはいつものような軽口で応じず、非常に困惑した表情を見せています。
そんななぎさですが、結局のところ まぐろ の調理はしたのでしょうか。
これを考えるにはまず本編における なぎさ の変化を考える必要があります。
みさき宅での勉強回やカジキちゃん家出回の前編を読めば分かりますが、元々のなぎさは異常なまでに他人を優先する性格です。
特にみさきに対する激重感情はすごいですね。
なんですか「母さんのお店だって最初は継ぐ気なんてなかったけど」「将来ボク達が離ればなれになってもここに来たいと思ってもらえたらって―」って。砂糖吐くわ。
…すみません、話が逸れました。とにかくこの時点でのなぎさだったら自分の気持ちを押し殺してでもみさきの頼みに従うでしょうから、みさきに頼まれたならまぐろの調理も辞さないはずです。
しかし、なぎさはカジキちゃんの家出を経て若干変わります。みさきの説得もあり、自分の気持ちを多少は優先できるようになります。
この少し変わったなぎさは果たしてまぐろを調理したのでしょうか。
結論から言うと、調理した可能性とそうでない可能性が両方あると思います。いやまあ当たり前なんですけど。
というのも、少し変わったなぎさを象徴するセリフと言える「本当に大事なのは人も魚も関係ない キミとボクの気持ちだったのにね」が2パターンに解釈できるからです。
状況的にはこのセリフが表す「キミとボク」がカジキちゃんとなぎさなのは言うまでもないことです。
ただ、このセリフを相手の気持ちだけを優先するのをやめると決めたなぎさの決意表明だとする(実際、この次のコマで「だからボクの気持ちを言うね」と切り出しているのでそんなにおかしな解釈ではないと思っています)と別の意味にも取れます。
即ち、「本当に大事なのは当事者同士の感情である」という事です。
そして、これを みさき から まぐろ の調理を依頼された時に当てはめると、先述の通り、2パターンの解釈ができます。
1つは「キミとボク」に みさき と まぐろ を当てはめるパターンです。
みさき が まぐろ を食べること= みさき と まぐろ の共存に関して当事者となるのはこの2人なので成立しますね。
このパターンの場合、なぎさはいわば第三者です。当事者同士の気持ちが「本当に大事」として調理を請け負ってくれるのではないでしょうか。
それこそ自分の希望を押し殺してでも。
もう1つが「キミ」にみさき・まぐろ、「ボク」になぎさを当てはめるパターンです。
上と異なりなぎさも当事者として扱うということになります。何かを食べる上で調理は必須と言えるので、これもおかしくはないでしょう。
この場合、なぎさの気持ちも判断材料に含むことになります。
つまりなぎさ自身がまぐろを調理したいか、ということになりますが、これはNOでしょう。
アルバイト回での困惑した表情がその証拠です。
このパターンではなぎさはまぐろを調理することはなさそうです。
・・・と言いたいところですが、このパターンでもまぐろを調理した可能性ももちろんあります。
みさき と まぐろ の気持ちを聞いたことにより、なぎさ自身としても2人のために調理してあげたいと思ったかもしれないからです。
諸々を踏まえると、まぐろを調理したのはなぎさである可能性が高いが、そうではない可能性も十分あるといったところでしょうか。
個人的には真実がどっちであったにせよ、なぎさがその後「調理」という行為を忌避する結末にはならなかったということに心から安堵しています。
最終回電車パート時点でのみさきの人間関係について
最終回ではみさきとまぐろしか登場しないので、まぐろを食べた後のみさきの人間関係についてはよく分かりません。
というか恐らく意図的にぼやかされています。
とりあえずなぎさとの関係は安泰なはずです。というかそう信じたいです。
文章中で再三挙げている勉強回で、みさきが変わっても変わらなくてもみさきのことをずっと大事に思い続けるとプロポーズをかまし言っているくらいですし。
また、最終話で調理師学校に通っているのも店を継ぐためでしょうし、先述の通りなぎさが店を継ぐのはみさきのためと言っても過言ではありません。
この2人は末永く友人関係であってほしいですね。
いやほんとに。
お願いしますマジで。
カジキちゃんはどうでしょう。
仲良しだった まぐろ を食べてしまった みさき に対して恨みを抱いている、という可能性は十分にありそうに見えます。
ですが、なんやかんやで納得しているのではないかとも思います。
カジキちゃん初登場回でなぎさから言われている通り、カジキちゃんの奥底にある感情は「恐怖」です。
そして、おつかい回を見る限りその「恐怖」には独りぼっちの寂しさが大きくかかわっています。
カジキちゃんの独りぼっちの恐怖について、お兄さんが死んでからはまぐろが心の支えになっていたようです。
その時点でのカジキちゃんならば問答無用でまぐろを捕食した者は嫌っていたでしょう。
しかし、今のカジキちゃんにはなぎさがいます。
なぎさがいるからまぐろがいなくなっても大丈夫、というわけではもちろんないですが、それでも独りぼっちか否かというのはとても大きな違いです。
もうひとつ、温泉回でカジキちゃんはクロからの「魚に戻ったらしゃぶしゃぶになりたい」という発言を受けて「いつか魚に戻るとしたら筋の少ない成魚になってからがいい」と述べています。
これはなぎさの母からの「若いカジキは筋が多くて美味しくない」(1巻収録のなぎさとカジキちゃんが2人でお出かけする回)に対応したセリフでしょう。
これはつまり、カジキちゃん自身も、もしもなぎさに食べられる時が来るとしたら出来るだけおいしく食べてほしい、と心の中では思っているということではないでしょうか。
心の奥底ではまぐろと通じるものも持っているわけです。
あと、おつかい回のラストでカジキちゃんは「一緒になるのと一緒にいるのは全然別のこと」と認識しています。
これはまぐろとは異なる点でもありますね。
別の選択であるというのを認識しているのですから、「一緒にいる」を選択した自分に対して「一緒になる」を選択したまぐろのことも理解してくれるのではないでしょうか。
これらを総合すると、まぐろがみさきに食べられてもそれが本人同士の意思であるならギリギリのところでその意思を尊重してくれる、と私は思っています。
次はさしみですね。
クロを魚ではなく人間の友人として扱うと決断したことを踏まえると、みさきを避けている可能性はありそうです。
ただ、さしみのそのクロに対する宣言を見てみると「今の貴方は食べられる為に生きている訳ではないでしょう」という前提の下で言われていることが分かります。
これをシンプルに解釈すれば、そもそも食べられる前提で生きているまぐろ が みさき に食べられることに関しては自分の決意表明とは無関係でも全くおかしくありません。
また、さしみ初登場回において彼女が示したスタンスも重要です。
みさきに対して「(ルール違反を)正すだけではなく力になれるようになりたい」と述べていることからも分かる通り、さしみのスタンスは「自分の狭い見識に捕らわれるだけでなく、友人の力となれるような存在でありたい」です。
友人たる みさき が悩んでいたら必ずその力になってくれる存在でしょう。
そんなわけで、さしみも変わらずみさきの友人であると思います。
あとはクロなんですが、正直みさきと絡む描写が少な過ぎて分かりません。
というわけで、省略させていただきたく思います。
まあこの人色々ゆるふわなんで別にみさきを嫌う理由もないんじゃないんでしょうか。
希望的観測も多分にこもってはいますが、とりあえずみさきの人間関係が劇的に壊れる、などといったことは起こっていないというのが私の考えです。
ただ、みさき自身の意思で彼女たちと距離を置いてしまっている、という可能性はあるかもしれません。
実際最終話でも「みんな忙しいでしょうし」と結構雑な理由で会いに行くのを遠慮しています。
というかいくら忙しかったとしても激重感情持ちのなぎさ が みさき の旅立ちを見送りに来ないことは若干不自然とすら言えます。
前述の通り、彼女たちはみさきを避けている、なんてことはないと思うので是非今まで通り仲良くしてほしいものです…
最終回電車パート時点でのみさきの進路について
なぎさ・さしみと異なり、みさきの進路は明示されてないことも最終回の味を出すのに一役買っています。
なんというか、言いようのない不安に襲われます。
そもそも最終回電車パート時点での時系列はいつなのでしょう。
なぎさは専門学校に、さしみは大学に通っていることから、少なくとも3人の高校卒業後であることは確定です。
電車パート最初のコマでは桜と思しき花が咲いているので高校卒業直後とも考えられますが、さしみの進路について述べているコマを見る限りその線も薄そうです。
なぜなら、同コマでは大学生らしい服装のさしみが描かれており、この時点である程度大学になじんでいると推測できるからです。
そして、作中でのさしみの描かれ方を見る限り、浪人や留年をする可能性は薄そうなので、高校卒業後1~3年の間だと考えられます。
ということは、みさきは高校卒業後に最低でも1年の空白期間があった上で新生活への第1歩を踏み出したことになります。
いったい何があったのでしょうか。
私は最初に読んだとき、みさきがまぐろを食べた後にショックの余り抜け殻のような状態となってしまい、何もできない精神状態に陥ってしまったのではないかと考えてしまいました。
そして、最終回の「新生活」はまぐろと同じ場所で始めようとしているのではないかとすら思えました。
平たく言えばみさきは色々あった末に自死を決意したのではないかという事ですね。
事実、この考えは他のみんなとはズレた時期に新生活を始めていることと言い、みさきが乗った電車に他の乗客がいないように見えることと言い、最後のコマでみさきが目を閉じていることと言い、微妙に辻褄が合っています。
ですが、そんな結末は嫌なので何度か読み返したところ、その考えは正しくないと分かりました。よかった。
何度も言っていますが、人間の望む形からは離れていると言えど、みさき が選択したのは まぐろ と共存することです。
みさきがまぐろを食べたのはそれこそ24時間365日、まぐろと一緒に生きるためであったはずです。
そのことを原因にみさき自身が死を選んでしまっては本末転倒です。
それは共に生きたい、というお互いの気持ちを踏みにじることになりますし、もっと言えばまぐろを食べるという行為が全くの無駄になってしまうと言えます。
まぐろの気持ちを最大限尊重した(と考えられる)みさきがとる行動としては明らかに不自然です。
そんなわけで、みさきの進路はごく平凡なものでしょう。
みさきの成績は悪いみたいなので単に浪人しただけじゃないでしょうか。
おわりに
ここまで『マグロちゃんは食べられたい!』の最終回を読んだ後のモヤモヤした読後感に整理を付けるために徒然なるままに書いてきたら、なんと1万文字近くになってしまったようです。
急に私事になりますが、今学期私が大学に提出したレポートの累計文字数を大きく超えています。
明らかにやり過ぎです。まあ素人にここまで書かせた『マグロちゃんは食べられたい!』の持つ力はものすごいという事でしょう。
ただ、おかげさまで私自身は大分スッキリしました。
少なくとも、みさきとまぐろにとっては悪い結末ではなかったと納得できたからです。
いるかどうか分かりませんが、こんな駄文に最後までお付き合い下さった方に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
最後に、月並みな言葉になりますが、はも先生、素晴らしい作品をありがとうございました。
次回作も首を長くしてお待ちしております。
…などと書きましたが、できればこんな駄文は作者様の目にはつかないで欲しいところではありますね。
おまけ
あの…年に1回なんて言わず…次回作もお願いします…マジで…
いや兼業されているみたいですしお忙しいのでしょうけれど…