優しさと正しさと技術負債
きっかけ
先日ラジオで優しさと正しさで迷ったら優しい方を選びなさいという話を耳にしました。
酔っ払ってしまい、ビニール袋を猫だと思い込んで声をかけている人に対して、違いますよと教えてあげるよりも、そっとしておく方が優しいよね。というトークがありました。
元ネタ?は恋妻家宮本とという映画の中でのセリフのようです。
迷ったら優しい方を選ぶ考え方
映画も観ていないし、原作の本も読んでいないのですが、お互いが正しいと思っているから、正しさと正しさがぶつかるというのは、なるほどと思いました。普段の行動のそのほとんどにおいて、よい判断軸になりそうです。
DMMの亀山さんも同じようなことを中学生に、漫画のワンピースを例として説いていましたね。
エンジニア界隈における優しと正しさ
2016年末
正しさハラスメント
という言葉が一時期に話題になった記憶があります。
初学者の心を折るべきではない、というのはそれはそれで一理あると思いますが、我々が対峙するのはコンピュータなので、根本的な思想としては正しさが追求されるべきかなと私は考えます。
例えば、書き方が間違っている場合に、シンタックスエラーと言う事実が初心者だからといって捻じ曲げられたり、特別優しい文面になったりもしません。淡々と事実が突きつけられます。正しいことが前提の世界であって、現実とは違うと私は考えます。
技術負債と向き合うことは正義のぶつかり合いか?
私はNoだと考えています。
技術負債は、そのシステムを使い続ける限り遅かれ早かれ直面する問題です。
技術負債が気を利かせて、今回はちゃんと動いてくれるみたいなことはありません。エラー時も含めて書かれた通りに動作します。
技術負債の返済というと、エンジニアの正義と、経営者の正義がぶつかっているように見えることもあります。
でも、よくよく考えてみると、真に対峙しているのは、エンジニアの正義というよりかは、システムの事実、ないし現実でないかなと思います。
物言わぬシステムの代弁を、エンジニアがしているがために、エンジニアの正義 vs 経営者の正義みたいに見えることもありがちなのかなと。
まとめ
言いたいことを言いたかっただけなので、今回はあまりいいノートにはならなかったかも?
迷ったら優しい方という考え方は素敵です。
でもコンピュータが特別優しさを見せることは、"まだ"ありません。
(ゆくゆくはそんな日がくるかもしれないけど)
技術負債の返済に関しては、エンジニアの正義と経営者の正義のぶつかり合いではなくて、一緒に向き合う必要がある"淡々とした現実"なのかなと。
エンジニアはその代弁者として、状況を説明するために現実と向き合う。
経営者もよくわからないから任せるといって現実から目を背けない。
一緒に考えるのが回りくどいようで、一番の近道じゃないだろうか。
お疲れ様でした :)