だぶる・へりっくす 第3話

放課後の屋上。

れいり「さらぎ先生」

 蛇穴、振り返る。

蛇穴「サラミみたいに言うなよ」

 蛇穴、口元を緩める。
 幼子を褒めるように、優しい視線を向ける。
 れいり、視線から逃げるように目を伏せる。
 制服のポケットに手を入れて、機械を取り出す。
 手に収まる、小さな四角い機械。ポケットベル。

れいり「これがわたしの 存在理由でした」

 れいり、小さな機械のボタンを押す。
 蛇穴のポケットの中が、震え出す。

れいり「答えの送信 それのために」
れいり「わたしは必要だったと そう思っていました」
蛇穴「……いつから疑問を持った?」
れいり「フェルミ推定です」
れいり「わたしはこのポケットベルで先生に答えを送りました」
れいり「でも 送れたのは答えだけです」
れいり「先生は 答え以上のことを知っていました」
れいり「考えれば リュウセイさんの時もそうでした」
れいり「ケイイチロウさんの時も」
れいり「先生は 答えにたどり着くだけの」
れいり「知識を持っていました」
れいり「……先生には わたしが必要だったんでしょうか?」

 蛇穴、目を細める。
 れいりの言葉と、そこに込められた気持ちを思い計る。
 そして、全てをつぎ込んで言葉を紡いだ。

蛇穴「開校以来 はじめての出来事だったそうだな」
蛇穴「入学試験で初の 5科目500点」
蛇穴「それだけでも十分に人間離れしているのに」
蛇穴「その後も ただの一問も間違った事がないらしい」
蛇穴「好奇だったものが畏怖に変わっていった」
蛇穴「見透かされる 馬鹿にされ 貶められる」
蛇穴「思ったことは人それぞれ でもとった行動は同じ」
蛇穴「得体の知れない 化物から距離を置く」
蛇穴「やがて それが普通になる」
蛇穴「そうして コミュニティの埒外で」
蛇穴「ひっそり過ごすようになった」
蛇穴「だが それは変わった」
蛇穴「一人の教師から無理矢理 日直を押し付けられた」
蛇穴「その日から 雑用係になった」
蛇穴「逆らわず 嫌々ながらも雑用をこなし」
蛇穴「そうして段々と 板についてきた」
蛇穴「だがどうして逆らわなかったのだろうか?」
蛇穴「嫌ならば 書の力で出題を行い 相手を破ればいい」
蛇穴「それが できたはずだった 今やっと それがわかった」
蛇穴「幼態成熟ネオテニー 精神と体の不釣合いな成長」
蛇穴「書を持つことができないまま 成長する現象」
蛇穴「書を持たないから 拒否できなかったのか」
蛇穴「拒否ができないなら 従うしかないなら」
蛇穴「関わらなければいい そう考えたんだな」
蛇穴「人が寄ってこないように お前は化物になった」
蛇穴「そして 成れてしまった」
蛇穴「驚異的な知識量を身につけることができてしまった」
蛇穴「賢者サヴァンの名が付いた 能力の異常発達」
蛇穴「みんな 化物といった でも本当は賢き幼子《おさなご》だった」
蛇穴「だが問題はそこじゃない」
蛇穴「お前がネオテニーであることでも サヴァンであることも」
蛇穴「本当に瑣末なものだ 本当の悲劇は」
蛇穴「誰もお前と関わって来なかったことだ」
蛇穴「怪物に挑むドン・キホーテは いなかった」
蛇穴「やっと れいりのことが 少しわかったよ」
蛇穴「ありがとう れいり」
れいり「そんなことはどうだっていいんです」
蛇穴「そうだな 終わったことなんてどうだっていい」
蛇穴「問題は今だ なぜ今更になって 可愛い口を開けて」
蛇穴「生えてもいない牙を向けたか そちらの方が重要だ」
蛇穴「なぜ 出題ができないれいりが」
蛇穴「未熟な自分を曝け出してまで 出題をしたのか」
蛇穴「……やっと本当に 心の底から」

 蛇穴、優しく目を細める。
 赤ん坊が始めて立ったのを見るような、優しい目。

蛇穴「解りたいことができたんだな」

 れいり、涙を拭う。
 拭っても拭っても溢れてくる。
 どうしようもできなくて、拭うのを止める。

れいり「教えてください わたしは先生に必要とされていますか?」

 れいり、蛇穴の前に歩き立ち、一枚の紙を渡す。
 蛇穴、受け取りそれを開く。

「出題者:片平れいり ジャンル:不明
 :蛇穴かさねにとって、片平れいりは何か?」

 1:雑用
 2:生徒
 3:解答
 4:空気

 蛇穴、それを読んで溜め息をついた。

蛇穴「なぁ れいり オレが初めて聞いた事、覚えてるか?」

 れいりの頭に、当時のやりとりが思い返された。

蛇穴《お前、友達いないの?》

 教師とさえ認識していなかった、一人の軽薄な男。
 その男からの無遠慮な一言。
 覚えていることを確かめてから、
 れいりは「はい」と答えた。

蛇穴「じゃあその次に言ったことは」

 れいり、再び思い出した。
 その男が言った言葉。

蛇穴《一緒にいてやる だから一緒にいろ》

 その言葉は、れいりには「利用されろ」と聞こえた。
 それに傷つくことは無かった。
 傷つかないように、血も通わないくらいに。
 心を堅く硬くしたから。

れいり「憶えています」
蛇穴「そうか 良かったよ」
蛇穴「……では答えよう」

 蛇穴、その書を現す。
 蛇腹に装丁された、2冊1対の書。
 誓われた表題:
  truth helix  →真実の螺旋
  falsehood helix→虚偽の螺旋
 つかず、離れず。2つで1対。
 創造され、完成された造形。
 書は意志を持ったように広がり、実体化した。
 それは2匹の蛇。
 真実の白蛇と虚偽の黒蛇。
 2匹の蛇が蛇穴を取り巻く。
 れいり、目を疑った。
 初めて見た蛇穴の書に驚愕した。
 2匹1対の蛇でも、蛇腹の装丁でもない。
 そのページの少なさに。
 息の仕方が書いてあるかさえ怪しげなほどに、
 その書は薄かった。

蛇穴「これを生徒の前で出すのは初めてだな」
蛇穴「驚いただろ 普通の教師の10分の1もない」
蛇穴「教師が自分よりも知識量がなかったらどう思う?」
蛇穴「そんなわけで 生徒の前じゃ ろくすっぽに」
蛇穴「書を開けなかったわけだ」
蛇穴「……ああ そうか」
蛇穴「だからオレは お前に声をかけたんだな」
蛇穴「真実を隠しながら 日々を過ごすれいりに」
蛇穴「似たようなものを感じたのか」

 蛇穴、頭を掻いて溜め息。

蛇穴「さて つまらない話をしても仕方がない」
蛇穴「これがオレの解答だ」

 蛇穴、受け取った紙を千切った。
 1枚が2枚。
 2枚が4枚。
 4枚がたくさん。
 最後は投げ捨て、蛇に喰わせた。
 れいり、肩を震わせ始めた。
 熱い涙が流れるのを、止められなかった。
 れいりの後方で、屋上の扉が、重さに耐えられなくなり開く。
 開かれた扉からは3年4組一同が、
 押し出されるようになだれ込んだ。
 蛇穴が視線を向けると、全員、照れ笑いを浮かべた。
 《そこにいていいから邪魔するな》と手振りで伝える。

蛇穴「解答は済んだ 答え合わせの時間だ」
れいり「……ありがとう ございます」

 千切る。それは契るの言葉遊び。
 その解答に、蛇穴がれいりに言った言葉が重なる。
 一緒にいてやる → 寄り添える人。
 だから一緒にいろ→ 必要な人。
 それは今になっても変わらない約束。
 ずっとまえから、変わらない契り。
 蛇穴、れいりの言葉を聞いて、ニヤリ笑い、言った。

蛇穴「それじゃあ 仕上げといこうか」

 涙を流している、れいりの前に立つ。
 両頬に手を添えて、れいりの顔を上げる。
 れいりの目を見る。
 その目はキョトンとしていた。
 蛇穴、れいりの額に額を当てる。
 3年4組一同。囃す、黄色の声、唖然、口笛。
 それも途中で消える。
 れいりの頭の中で、
 真っ白の爆発が起こり、意識が真っ黒になった。

 れいりの意識、暗闇の中で気がついた。
 不明瞭な意識が段々とはっきりしてくる。

蛇穴(聞こえるか?)
れいり「うん 聞こえる」
蛇穴(目の前に、何がある?)
れいり「先生の書がある」
蛇穴(これがオレにできるすべてだ あとはお前次第だよ)

 何を言っているかわからなかった。
 でも、何をすればいいのかは、はっきりとわかった。

れいり「先生 ありがとう」

 そう言って目の前の書に触れる。
 書から意識がなだれ込んで来る。
 蛇穴の知識が、流れ込んでくる。
 「ありがとう」
 そう言ったつもりだった。
 でも、そう聞こえたのかもしれない。
 どっちなのかは、よくわからなかった。
 遠くで、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

蛇穴「れいり」

 れいり、目を開ける。
 白と黒の世界。
 いつもの世界。
 そこに、色の付いた蛇穴がいた。
 蛇穴の見ている色を、初めて知った。

蛇穴「見てみろ これがお前の世界だ」

 蛇穴に促され、周りを見渡した。
 白と黒で作られた世界。
 その白を。
 その黒を。
 2匹の蛇が喰んでいた。
 その下からは、彩色が現れた。
 世界に色が溢れていった。
 周りでは、クラスのみんなが、祝福してくれていた。

蛇穴「どうやらうまくいったみたいだな 書の共有」
蛇穴「大昔には同盟と呼ばれていた技術」
蛇穴「これでも 色々面倒もあるだろうがな」
蛇穴「いずれにせよだ これでれいりは書を手に入れた」

 れいり、感情が入り混じり、もう何もわからなくなる。
 蛇穴、泣きじゃくるれいりの頭に、手を置いて言う。

蛇穴「泣くなよ 台無しだぜ」

 それに倣うように、2匹の蛇がれいりに寄り添う。
 白蛇は甘えるように、首を擡げ。
 黒蛇は、恭しく頭を下げた。
 れいり、2匹の蛇に触れた。
 誓われた表題:
 Bright dauble helix → 怜悧の二重螺旋。
 蛇穴の書。そして今は、れいりの書。
 お礼を言いたかった。でも、何も言葉にならなかった。
 優しく頭を撫でる蛇穴に、無性に腹が立った。
 言葉にならないのなら、2匹の蛇がそうしていたように、
 蛇穴に飛びついた。
 蛇穴、れいりを受け止め、円を描くように勢いを逃がした。
 それはまるで2つの螺旋。
 綺麗に重なり、くるくる回り続けた。
 螺旋は伸びていく。
 どこまでも青い空に、どこまでも伸びていく。

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