不自由なコミュニケーションのスリリングさ
NHKラジオの「夏休み子ども科学電話相談」という番組がとても好きです。
小中学校の夏休み期間(7月最終週くらい~8月末。途中高校野球で休止。)の午前中に放送する、いろんな分野の専門の先生が子供の素朴な疑問に答えるという番組です。
目の付け所がシャープな子供の質問と、それに対する専門知に基づく回答を聴くというだけで知的興奮があるのですが、この番組の面白さはそれ以上に、先生たち大人と子供との不自由なコミュニケーションのスリリングさにあると思っています。
コミュニケーションの障壁になっている要素は主に3つで、
①子供の年齢に応じて選べる語彙が限られること
②電話での会話のみで伝えなければならないこと
③時間の制約があること
①選べる語彙が限られる
科学に関する質問を受け付ける番組なので、厳密に質問に回答しようと思うとそれなりに専門用語なども交えながら話さないと、解説の解像度は上がらないはずです。但しこの番組では、1対nで詳細で分かりやすい答えを出すことではなく、質問者当人との1対1の対話で相手を納得させることの方に重点が置かれます。必然、先生たちは子供の年齢から学校で言葉や知識をどの程度まで身に付けているかを推しはかり、その子の話しぶりからその話題についてどの程度詳しそうか推しはかり、一番伝わりそうな言葉で説明をします。子供の年齢によってはそれこそ、「理解」とか「経験」とか「気候」とか「進化」とか、あらゆる漢語を避けて話さなければならなかったりします。漢語に圧縮されているシニフィエをいちいち詳らかにしていかなければならず苦戦する大人たち。専門的な知がいかに短い単語の中に圧縮されているかを思い知ります。
②電話での会話に不慣れな子供
会話は全て電話なので、単純に音声が聞き取りにくいことが多く、聞き間違いや認識違いが起こることもしばしば。音声の聞き取りにくさもさることながら、電話での会話に求められる社会性もひとつの壁になります。恐らく小学校低学年くらいまでの子供の多くが、顔も見知らぬ相手と電話で話すという体験は未経験なはず。「あなたの話していることを自分はちゃんと聞いていますよ」ということを声にして返さなければ成立しない電話でのコミュニケーション作法は、多分経験しなければ身につきません。だから、最初の質問をしたっきり呼びかけても無言なんてこともしょっちゅう起こります。相手が話を理解しているのかどうかが掴めずしどろもどろになる先生。けど案外子供って自分に向けて話された内容はよく理解してたりして、電話切った後にお母さんに説明したりするんだろうなぁ、などと想像します。あと、どんなに無言が続いてもほとんど全ての子供が「さようなら」はちゃんと言うという不思議。
③限られた時間
ひとつの質問への回答に与えられた時間がどのくらい厳密に定められているかは知りませんが、順番待ちの子供たちもいるので、ひとつひとつの質問にあまり長い時間は掛けられません。前述したように、語彙を豊富に使えれば2分に圧縮できそうな話も、言葉の定義からひとつひとつ丁寧に説明していくと時間はあっという間に過ぎてしまいます。面白いのは、そのような不自由さによって時間が足りなくなるというケースだけでなく、先生自身が語り足りなくて話が長くなったり横道に逸れたり、子供と同じくらいに先生たちも自由だったりすること。僕が個人的に好きなのは、恐竜の専門の小林先生と恐竜にちょー詳しい子供との会話です。進行のアナウンサーも置き去りにして、オタク同士できゃっきゃし始める感じにはタモリ倶楽部的な面白さがあります。
で、実はこういう類のコミュニケーションのズレの面白さって、もうとっくの昔にコンテンツとして需要があるって気付かれていて、おバカタレントとか素人いじりみたいな形でテレビのバラエティ番組などで再生産されているのかと思いますが(今はほぼ見ないので知りませんが)、夏休み子ども科学電話相談は別にそれをネタとして消費する訳ではなく、主眼はあくまで子供の知的好奇心を育て、大人も一緒に学び直すところにあるというのがいいんです。上に挙げたような面は云わば副次的な産物です。
今は聴き逃しサービスで後追いで聴くことも出来るので、未聴の方はぜひ。