まとめられる分人は統合してしまった方が楽しくなるかも。という話
noteを使い始めます。
近頃インプットの量が増大して、行き場を失った言葉や考えの澱が溜まってしまっている気がする...ので。
あらゆるSNSを適当なところでほおり出しており、ウェブ上に自分に関するまともなコンテクストがないので、まずは自己紹介をします。
岩田です。京都のとても小さな印刷会社で営業とかクリエイティブディレクター的な仕事をしています。
...と書いてみたものの、こういう場でいつも迷うのは、リアルな社会の中ではある程度切り離されている「分人(©平野啓一郎)」をこの場所では統合すべきか否かということ。ウェブ上で分人のいずれかひとつだけを挙げて「私はこういう人間です」と言うと、どうしても片手落ち感が否めません。多分ひとつの分人に絞って「noteではこの人格で書く!」とやると、これまでと同じ轍を踏む(=数ヵ月で辞める)気がするので、ここでは分人を―少なくとも自分の意識下でいずれも公の姿として認識している分人を、統合してやっていこうと思います。
ということで、自己紹介やり直し。
分人A:
僕は京都のとても小さな印刷会社で企画営業とかクリエイティブディレクター的な仕事をしている人間です。あとは、あまり一般的に知られたワードではないですが、プリンディングディレクターとしての業務も。広告物としての紙メディアの衰退は今後急激に加速するんだろうと割と初っ端から不遜なことを考えながら2007年から働き始め、気付けば11年この仕事をしていますが、緩やかな死の道程にあることは日々感じつつも、緩やか過ぎて怖い!と感じている今日この頃。さすがに次の10年はこういう訳には行かないはず。
分人B:
僕はメス戌&Co.(めすいぬあんどかんぱにー)という名前で時々音楽を作ったり、呼ばれて演奏しに行ったりしています。今や年に1~2曲宅録作品を作って、年に一回ライブを演る程度の超スローな活動しかしていませんが、バンドではないので解散することもないし、ソロ活動でもないので周りから何かしら機会は与えられてつつがなく続けています。そもそもはこちらの活動に絡んで使うことが出来ないかと思ってnoteのアカウントを取り、長らく放置していたのでした。
分人C:
僕は京都岐阜県人会という団体の事務局でイベントの運営をしたりしています。その名の通り京都と岐阜に縁故のある有志が集まった団体ですが、実態はもはや老人クラブ。ひょんなことから関わり、数年の内に団体とその主催イベントの中心的ポジションにかつがれて現在に至ります。自分はパトリオティズム的なものとは縁遠いと思っていたので、そんな自意識と郷土愛溢れる周囲の人たちとに引き裂かれつつ、土地によって繋がるコミュニティの可能性と不可能性の両方を考える機会を得て、それなりにこの状況を楽しんでいます。
ABCいずれにも共通するのは、ある種惰性というか受動的な動機で継続されている面はありながら、それでも結構能動的に次の時代に対するアプローチを模索している点でしょうか。そして、ABCどの立場で次の一手を考える場合にも、他の二つの立場から得た知見とか人脈とかが活かせる気が、最近はしています。そしてその方が楽しそうだし、生存率が上がりそう。
なので、最初にこのような複合的な立場を明らかにしつつ、思いつくままに投稿を続けてみようと思います。
どうぞよろしくお願いします。