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なぜ、建築を学ぼうと思ったのか    理系が苦手なリケジョの誕生     (〜大学進学まで)

メルです。
自己紹介の次は私のこれまでについてお話ししようと思います。

自分語りばかりでお恥ずかしいですが、大学進学までについてお話しますので、進路に悩む高校生、中学生のみなさんにこういう人もいるのか〜ということを知っていただく機会になれば嬉しいです。

ざっと私の経歴はこんな感じです。
公立中学→公立高校→理系私立大・大学院(建築)
大学へは指定校推薦で入学しました。


建築に出会ったのは?

父の仕事の関係です。
はじめての建築は住宅でした。
こういう建物を建てるお仕事がしたい、と思ったのは小学校高学年の時だったと思います。
それを母に伝えると、「そしたら建築士を取ればなれるね、そのためには建築を大学で学ぶんだよ」と教えてくれました。
それから私は建築の道へ進むことに決めました。

高校進学と文理選択

私は、田舎育ちです。
実家の周りは山に囲まれ、今では母校の小学校が一学年、1クラスや2クラスになっているようなとても小さなまちで生まれ育ちました。
中学校も高校も地元の公立の学校に通いました。

ドが付く田舎なので、同じような偏差値の高校はありません。
基本的に上から成績順に高校に入っていきます。
自分で言うのもお恥ずかしいですが、中学では勉強はそこそこできた方で、地域では一番の所謂自称進学校に進みました。

高校でもそれなりにやれると思っていましたが、「井の中の蛙大海を知らず」とはまさにこのこと。入ってみるなり今まで見たこともない順位が成績表に印字されており、ショックを受けました。
ただ、私は大変負けず嫌いなので、そこで折れずになんとか食らいつこうとしました。

どうしても数学と物理、化学といった理系科目は苦手で、勉強にとても苦労しました。
もともと数学、と言うよりも算数、と言うよりも数字が苦手で、
幼稚園生の時にスーパーに行って同い年のいとこが140円を「ひゃくよんじゅう」と読むのに、わたしは「いち、よん、ぜろ」としか読めないことに幼いながらに絶望を味わったことを覚えています。笑 
それくらい、数字が苦手です。(今でも)

理系科目以外はというと、順調でした。歴史は小学生の時から好きで、国語も好き(特に読書感想文は大の得意)。英語は楽しい。と思える科目だったので、成績がうまく上がらない理由は全ては理系科目のせいでした。

さてさて、高校一年生の後期には文理選択を迫られます。
みなさん冒頭でご確認いただいた通り、私は理系の大学に進学しています。
そう、つまり、この文理選択で私は自ら茨の道を歩むことに決めたのです!
理系に進むことは最終的には自分で決めたのですが、当時の担任の先生が、「やりたいと思えることができる道を選びなさい」
と言ってくださったことがきっかけです。
先生とはたくさんお話をしました。
建築の道に進みたいこと、でも文系の方が得意なこと、理系は苦手でうまく成績がのばせないこと
それでも先生の伝えてくれる言葉は変わりませんでした。
ここで文系を選んで後悔しないか、ずっと考えました。悩みました。
「きっと、私は頑張れる!苦しい時にこそ私はやれる!」
と踏ん切りをつけ、理系に進むことに決めました。


ここで、文系に進んでも良かったのでは?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、日本の大学で建築を学べるのは、工学系か芸術系がほとんどです。文系からというのはなかなか難しいところがあります。
しかし、私の大学時代の友人でも文系から進学した子がいますので、絶対に理系でないといけないということはありません。


大学進学 指定校推薦を選んだ理由

新学期、2年生です。
理系科目はより難しくなり、授業は眠いし、部活も忙しい。
進路よりもなによりも毎日に必死でした。笑

模試でも定期試験でも足を引っ張る理系科目。
毎日のように数学の先生のもとに足を運んで、わからないことを教えていただいたり、得意な友達に聞いたり、できることはしたけれど難しかった、、。

あまり成績を伸ばせない中、あっという間に3年生になってしまいました。
詳しい進路希望についてはここで初めてお話ししますが、
中学生の時から都内の国公立大学の建築学科を目指していました。
3年生になったタイミングの模試では志望大学には届いていませんでした。
夏休み前の二者面談、担任の先生から母に告げられたのは、
「指定校推薦ではどうでしょう」
既に先生からいくつか候補が挙げられており、そこには最終的に進学した大学の名前もありました。

帰宅して母から伝えられた時には、びっくりしました。一般で受験することしか考えていなかったからです。なぜかというと、私自身、高校を推薦で入学したからです。一般受験を経験しないまま、大人になって良いのだろうか。という気持ちがありました。
当時の私は、推薦というものは楽して進学することだと考えていました。
両親と相談し、担任の先生ともお話をしました。
文理選択の際に私の背中を押してくださった元担任の先生にもお話を伺い、建築という狭き門に挑むのであれば、指定校推薦を利用した方が夢に近づけるのではないか。と結論を出し、指定校推薦がいただけるのであれば。
と担任の先生に伝えたのは、3年生の夏休みが終わる頃でした。

それからは他に指定校を利用したい生徒について生徒間での探り合いが始まりました。私の周辺では上手いこと被るのを避けたり、建設的な話し合いをしたりと比較的穏やかでしたが、聞いた話によるとそうでもないところもあったとか、なかったとか、、、。

募集が締め切られると、校内の全ての先生方が参加する会議にかけられ、指定校推薦に値する生徒なのかの調査がされます。(私の母校の場合)
もちろんここで指定校推薦をもらえない生徒もいます。
問題なく指定校推薦を与えられるとされた生徒は対策の日々が始まります。

私は、面接練習は2日に一回、2人の先生(毎回バラバラ)に見ていただき、面接の予定がない日は前日の面接練習の復習と翌日の面接練習の対策に充てていました。
小論文の試験もあったので、歴代の先輩(他大学も含む)が残した過去問や想定テーマを考えて書き、担任の先生や国語の先生に見ていただきました。
ここで高校受験の経験が生きたと思います。(面接の時のマナーや小論文の書き方は高校受験で一通り叩き込まれました。)

迎えた当日、会場には大勢の高校生がいて、ガヤガヤしていました。
みんな緊張している様子でしたが、私はなぜか全く緊張せず、周りを見る余裕さえありました。
恐らくかなりの練習をしたからだと思います。場数って大事ですね。
面接も論文も難なく終え、しばらくして合格通知が届きました。
(年内には届いたと思います)

メル、晴れて、建築学生に!

その後の高校生活は、一般受験をする生徒がほとんどだったので、
邪魔をせず、卒業式の準備や校内の行事のお手伝いなどをして、
ひっそりと生きていました、、。

ざっと私の大学進学までの道のりはこんな感じです!
推薦入試で進学したということを私は高校入試からずっと引け目に感じていました。しかし、推薦をもらえるということはそれだけ、中学生活乃至は高校生活において、勉学や部活動を頑張ってきたということです。
もし、推薦入試を躊躇している方がいるとしたら、正しい評価を受け入れるということも大事だよ。と私は伝えたいです。
もっと詳しく知りたい!
というお声があればいつか書いてみたいなと思います。

それでは、また。


ヘッダーに使用した画像の建築

・八王子セミナーハウス(図書館セミナー室)
 竣工:1967(昭和42)年
 設計者:吉阪隆正
 天使の羽みたいで可愛いですよね。
 吉阪は、好きな建築家の一人です。最近では女優の鈴木京香さんが吉阪が設計したヴィラクゥクゥの管理人になったことで話題になりましたね。建築学会文化賞も取られました。
 いつか吉阪についても語りたい!吉阪の言葉はすごく素敵なんです。







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