今生に残す本
高校時代から残る技術
私は高校時代は新聞部に所属していた。
珍しい部活だと思われるだろうが入った理由は至極単純で、部活動中にお菓子が食べられるからだった。入る前はダラダラ喋って少し文章を書いて帰れる部活動なのだと思っていた。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
新聞制作を1から行うのは案外大変だった。
記事の案出し。レイアウト。写真撮影。文章制作。見出しの考案。
考えたり選んだりしては顧問の先生にお伺いを立てたり、インタビュー記事の制作が決まればアポ取りからインタビュー、質問を考えたり、録音の文字起こしも自分たちで行う。
これを放課後だけで行えるはずもなく…。お昼休みや休日にも部活動があった。
吹奏楽部と同じくらいの過密なスケジュールが組まれていて入るまで全くわからなかった。
月に1回発行の学校新聞と外部にも配る郊外新聞の2つがあり、学校新聞は毎月B4の用紙に両面印刷した新聞を配る。
部員10人程度でやっと作り終わってもすぐに次の月がやってくる。
郊外新聞は月1の新聞よりは期間が設けられているが、それでも記事が4面に増えて社会問題などにも視野を広げて記事を制作し、校外の人へのインタビューなども行わなければならずいつもてんてこ舞いだった。
中でも唯一褒められたことがある。
写真撮影は実際に使用する際に記事の中にうまく入るよう、トリミングが行える余白を残し撮影する必要がある。
私が撮影した中で印象に残っている写真はアーチェリー部の大会の様子を撮影した1枚。
弓を引くアーチェリー部員を横から撮影した1枚はベストショットと褒められたことを覚えている。
自分達で制作した新聞は今では数枚しか家に残っていないけれど、そこで積み重ねた技術は今でも手元に残っている。
文章能力はどうかという疑問
では本を書いた。というのなら文章能力はどうか?
疑問に思うのではないだろうか。
私は作文というものが中学時代まで大の苦手だった。
書き出しはおろか内容は薄っぺらく、4枚課題に出されれば2枚しか書けず先生に泣きつくのが当たり前だった。
さらに、新聞部時代に新聞社に見学に行ったことがあるが、その時「将来はこういう文章を書く仕事に就くの?」と案内の人に聞かれたことを今でも思い出す。
そんなつもりは当時全くなかった。
今の自分はどうか?
ネット小説を書きいいねが100件ほどつき、想像力は豊かになった。
昔より文章の読解能力もついた。
そういった活動のおかげで友人も増えた。
その機転になったのは高校時代の部活動のように感じる。
Why. 何故作るのか
私には好きなアプリゲームがある。
そのゲームは遊んでいる人口がもう多くなく、もうすぐサービスが終了するのではないか。と噂されるほどで、またメインストーリーも程なく終着点に付きそうになっている。
そんな作品を私は10年以上パートナーにして生きてきた。
私はその作品が好きだということをこの世に残したかった。
作中で「何も言わないからって、何とも思ってないわけじゃない」と言うセリフがある。
私はゲームを遊ぶばかりで、何も残してこなかった。
ただ遊ぶだけで、何も返してこなかった。
『受け取るばかりではダメなのだ』と思い二次創作に手を出し始めた。
初めはグッズを買う側だった。
作る時は友人から教えてもらう側になった。
新聞部の時代にも痛感したが、一瞬で出来上がったように思える物でも時間がかかっているのだ。
そして今は売る側になった。
今は部活時代のように人海戦術は使えない。デザインもレイアウトも作文も写真撮影もどれが良くて何がダメなのか教えてくれる先生もいない。
何もかも、たった1人でやらなければならない。
そのやり方は全部すでに高校時代に教わっていたのだ。
これからの未来に残す
私は私なりのやり方で私の好きなものがたとえ未来に残らなくても
「私はココにいた。好きだった作品だ!」
そう強く今生に残したい。