テレビ受信停止作業
わたしの恐怖が異常にあったテレビ、ついに今日、受信停止の日だった。なぜ地上波が怖かったのか、テレビがあるのが悪いとおもってたけれど違った。わたしはテレビを見ると自分で選択できないと思い込んでいたから怖かった。気づいたからもうだいじょぶ。スーパーに行くのも怖かった。だけど自分の選択が納得行く方に舵を切る道筋が立ったのです。
2011年から始まり、2020年には見るのを避けて、最近は、テレビがついているだけで不快指数急上昇してどう回避しようかと、音量下げてもらったり、離れられなかったら、目と耳を塞いだり、自分の声を出して違うことを考えたり、
長年の悩みになっていたテレビに飲み込まれる恐怖のパラレルから離れて、その受信アンテナもなくなった。
わたしは外の意見がさも自分の意見だと錯覚することから抜け出していくことができたお祝いだった。
作り出していたのは外ではなく、内側だった。毎回、これからも、これは誰の意見か、わたしはどう感じるのか、どうしたいのか、聞いていく。