原点/シナリオ
今日からここは私の研究記録となります。(前からこのnoteを読んでくれてた方がもしいましたらごめんなさいඉ ̫ඉ)
本編?𝐬𝐭𝐚𝐫𝐭 っ ̫ ‹ ᐝ ⬇️
デザインを一言で言い換えるなら「思いやり」だと私は考えている。その「思いやり」をいかにたくさんの角度から考えて持つことができるかが、デザイナーの持つべき視点であり、この研究に終わりはないだろう。そんな終わりのない研究に足を踏み入れてしまったこと、4年前の私はまさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
そろそろ進路を決めないといけないけどなりたいものも何もなくて、うっすら残っていたのはまた絵を描きたいという思いだけだった4年前の夏休みのこと、一緒に遊んでいた友達が過去の恋愛に未練があるとかで占いに行った。
🧔♂️🔮「あなたには芸術の才能がある」
「ああ、たくさん苦労してきてる。
子どもの頃にできた心の傷は、
芸術と関わることで癒えていくの。
だから絵を描いたりしててね。」
もちろん初対面で、私が機能不全家庭で育ったことや、昔習い事として絵画や造形を行なって以降ずっと芸術に関わっていたことを知るはずもない占い師さんに言われたこの言葉。それでも私の中でずっとお守り🍀⟡˚.⋆
それからいろんないろんなことがあって、デザインと彫刻だけはないと思っていたのにまさかのデザインを学ぶことを志すようになり、そもそも当時機能不全家庭を一日でも早く出たくて大学に行くという選択肢も全くなかったのに、一年浪人したのち今4年生の大学でデザインをしている。
この4年間いろんなことを勉強してきて嬉しかったことや成長できたと思えることもあったけどそれよりも、行きたかった大学には行けなかったし、挫折したり苦しいと思うことがこの2年は多かった。1年生の頃は講評のたびに体調を崩したし、私ってやっぱり芸術向いてないんだろなって何度も思った。でも、私にはお守りがあったからなんとかそんな未来が来ると信じることができた。
そしたら今年、去年末20歳になった私の世界はじわじわと変化してきた。春休みの短期バイトで様々な人生を送っている同世代とお友達になったこと、1年大学に通い、信じられるものや人を少しずつ見つけられていたこと、4月に写真の課題で入学式をした駅前の海周辺を撮っていたとき、去年とは違う心境にはっきり気がついた。
そして私はこの課題が終わってからも映像を勉強したいと思うようになって(そのうちよくわからない直感が7割くらいあるけど)、今までグラフィック領域しか考えたことなかったのに映像領域を選んだ。
そういえば、占い師さんにあの時一言目に言われたことを思い出した。
「ああ…いいお母さんになる.ᐟすごく思いやりがあって心の温かい人」
この言葉だけは信じてなかった。ずっと家族という存在に苦しんできた私は絶対に結婚したくないし、人の親になるべきではないと思っていた。
でも、今私はデザインという「思いやり」を勉強している。4年前考えてた通りには全部、何もかもいってないけど、こういうシナリオがずっとあったみたいに繋がってしまった。
ちょっと怖いね^^;
でも、ということは、あの時デザインの道に進んだことも、あの時志望校を諦めたことも、あの時グラフィックじゃなくて映像を選んだことも、全部シナリオ通りってことかな?
どっちにしろ、私にはお守りがあるから、どんな選択をしても大丈夫みたいねꕀ꙳
(次回からはもっと研究論文っぽくなるはずです.ᐟまたお会いしましょう~~❅*⋆̩)