春のもの悲しさについて考える
私には子供がおり、子供の成長痛に日々悩まされている。
成長痛は思春期に起きるものだと思っていた為、小学校低学年の我が子が足が痛いと泣く様子を見て、何かの病気ではないかと心配な日々が続いた。
割と定期的に、しかも同じ時間帯に痛みを訴えることに途中で気付き、そのことを医師に報告し、一通りの検査を行った結果心配する事は無さそうだという事で今は早めの対処とケアでなんとか切り抜けている。
思い返してみれば私自身もこの成長痛と呼ばれるもの以外にも、この時期に感じる痛みであったり、身体の違和感についてはしばしば心に不調をきたしていたように思う。
身体の変化というものは痛みや不快感を伴うものなのだろう。私自身は「成長」の時期から随分と遠い所まで来てしまったが、それでも例えば怪我などで傷口が治る過程などでこれに似た感覚を今でも感じる事はできる。
以前、春にはなにか独特の「不安」や「もの悲しさ」と言った空気感があるね、といった話をF Fさんとお話ししたことがある。これは日本の4月始まりの文化に由来するもの、つまり経験からくるものなのかなと思っていた。しかし、先日植物にも痛みや苦痛のようなものがもしかしたらあるのかもしれないと思ったのだ。
例えば種を破り芽を出す時、長い冬を耐えて枝から蕾が顔を出す時、固く閉じた蕾が開いて花が咲く時、それらが植物に起きる時、植物にとってそれは一大事な出来事のはずだ。
この「一大事」が起きる時に人間と同じような苦痛を感じていることはないのだろうか。
植物にもホルモンが分泌されるということははるか昔に学んだことがある。
人間もわりとホルモンに気分を左右されるのだから、植物だって同じようなことが起きていてもおかしい話ではない。
気持ちはときに伝染する。正確に相手の感情や気持ちを感じ取る事はできなくても、ネガティブだったりポジティブな空気は汲み取る事ができ、自分も同じような気持ちに変化したりすることがある。その場にいる大勢がポジティブな気持ちでいるとその場にいるだけで楽しくなるような感覚に経験がある人も多いのではないだろうか。
もし春に植物達が己の変化に「不安」や「もの悲しさ」を感じていたのなら,街全体が同じような空気ををまとっていてもおかしくないような気がする。
春のもの悲しい空気を春の植物とシェアできていると考えたらそれはそれで素敵で面白い。
シェアしていると考えるとそれだけで少し心が軽くなれる気もする。
科学的根拠も知識もないただの戯言、最後までお読みいただきありがとうございました。