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自分を育て直す旅7日目
自分の帰りたい場所、帰る場所って
物理的な"家"ではなくて、自分の中にあるべきではないか。
安心できて、癒やされて、あーやっぱりおうちがいちばん!!って思えるところ
自分はやっぱりこれやってる時がいちばん楽しい、いちばん輝いてる、いちばん癒やされる!ってなるところ。
仕事でも趣味でも
温泉でもゲームでもお茶でも飲みでも
人の中で、ひとりで、っていう方向性は多分人によって真っ二つだと思う。
私は多分 人の中でかつひとりでなんだと思う
良くも悪くも人に環境に影響を受けすぎてしまう。
良いもの悪いもの(自分にとって)を、この何年かで選別し続けてきたつもり。
どうせ、人の中で生きるのは変わりないし
そこで自分を保つというか
自分を帰る場所として機能させるために
自分の芯ってものが必要なんじゃないかと思う。
私の芯は あるはずなんだが、あるんだが、幼少期から形成された
「誰かを助けてあげなくちゃいけない」
の固定観念によって、削られたんだか見えなくなってるんだか
しかもその反動で
「助けてほしい」
に繋がっている。
これがきつい。
それに付随して
「一緒に歩んでほしい」
「分かち合ってほしい」
の思いも消えない。
本当は、助けてあげたいのも、助けてほしいのも、歩むのも、分かち合うのも、全部ひとりでできるはずなんだと思う
全部自分で叶えていけると思う。
まだそれができない。
自分の芯 概念
ひとつ核みたいなものは、宝石みたいなものは何なのか、ずっと考えている。
言葉では言い表せないのかもしれない
それを私じゃない誰かに見つけてほしい
ずっとそう思ってる
自分が見えないから、話すことで、相手には自分の鏡になってほしい
それって自分でもできない?わかる、でも難しい
そのサイクルを構築しなきゃいけない
人の中で生きてるけど、人の中だけで生きていたら、自分見失ってたら、報われない思いがずっとあったら、それに80過ぎてから気づいてしまったら、そんなの悲しいよ。
絵描きの人と知り合った。
絵を見せてもらった。
全部の絵が神々しくて、美しいものを描きたいという思いが溢れていて、それに救いを求めているのもなんとなくわかって、まるで仏像掘ってるようなそんな願いや思いに圧倒された。
私が今一番してほしいこと
カウンセラーさんと以前話していたときに
「自分の感情、快不快、意思を母性的に抱きしめてあげたら、自分の心は嬉しいはずですよ」
と言われたことを思い出した。
抱きしめてほしい、私の全てを
おかあさん…のような、母という概念に。
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色を塗りたい。
美しく優しく抱きしめてほしい。
それってまず自分で自分を抱きしめないと
溢れてしまう
そして抱きしめてくれる人にも、守られていてほしい、救われていてほしい
自分を育て直す旅7日目にして、ようやく人の形をしている物が描けたし、自分の中身を表せるものを描けた気がする。
まだ日常は続く、家に帰っても地続きだ
私は私として生きるしかない
見失わないでいたい。