私の家の歴史

 うちの一族はもともとは他の地方に住んでいた。そこで一揆を起こして追い立てられ、海を渡ってこの地にたどり着き住み始めた。17世紀の終わり頃の話だ。その家の分家である。しかし実は自分から数えて六代前にいったん途切れている。跡取り息子が若い身空で四国お遍路に行き、そのまま行旅死亡人となってしまったのだ。そこで親戚の中から男女を養子にもらい家を存続させた。らしいのだが全て口伝であり、実際は不明。
 家が何を生業にしていたかはよくわからない。敷地がやたら広いので農業をしていたのではないか。五代前、四代前の当主は村議会議員もやっていた。四代前に嫁に来た人は商売の才覚があったらしく、観賞用植物の栽培で大儲けして当時は羽振りが良かったらしい。しかし三代前に三つの新事業を始めたのだがうまく続かず、仕事はその中の一つに絞り、大きな借金を背負ってしまいこれ以降貧乏になる。
 曾祖父は長男(私の祖父)には非常に厳しかった。しかし弟妹達(男2女4)にはどうだったかは不明で、孫(私の父)には甘かった。祖父は仕事が忙しく、自分の子供(男2人)にはほとんど構わなかった。子供の相手は叔父叔母(祖父の弟妹)や仕事で出入りしていた職人達だった。祖母は長男(私の父)はしっかり躾けたが次男(私の叔父)は地域の集会所に放置していた。

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