先生、退職する その1
大学院の時に所属していた研究室の助教授(当時)の先生が定年退職となり、2月17日に記念最終講義を行う事になった。大学院入学当時から今まで、友人として接してくれる先輩(その先生の一番弟子)から誘われたので行く事にした。私の指導教官は教授の方で、分野の違いもあって助教授とはあまり絡みはなかったのだが、当時いろいろと尖っていた私は後ろから撃つようなマネを何度もしてしまった。そんな事に気付いたのも20年以上経ってからである。誠に申し訳ない。
最終講義の内容は先生の生い立ち、趣味、興味、研究内容とその結果だったが一部端折っても予定より1時間ぐらい超過していた。子供の頃から好きな事、興味のある事を追いかけ続ける、そして積み重ねたものが人生の結果となって残る、そんな事を思った。とても面白い話だった。来るのは少人数だよと聞いていたのだが大講義室の半分以上埋まるほど人が来ていた。ほとんどが比較的若い卒業生達みたいだ。人望もある先生なんだなあ。長老達は連絡先がわからなくてあまり呼べなかったらしい。それにしてもノートパソコンをHDMIで教室備え付けのプロジェクターに接続してパワーポイントで発表とは時代が変わったなあ。引きこもりは社会だけではなく時代からも取り残される。
講義が終わって立ち話的懇談会に移る。知り合いがほとんどいない上にコミュ障で無職の私はひたすら置物と化していた。たまに話を振られると答える程度である。寝不足で頭が痛いのがつらいが聞き耳を立てていると、皆さん仕事の話をしたり名刺交換を精力的に行っている。民間でも公務員でも調査や研究の仕事の人が多いみたいだ。そして仕事の依頼とか就職斡旋の依頼とか官学連携の話とか縦横のつながりが展開されている。みんな自信に満ちあふれた態度だなあ。さすがは偏差値の高い大学の卒業生達だ。センター600点はとらないと入れないだけある。ちなみに私はセンター360点しかとれずもっとずっと偏差値の低い他大学からここの大学院に入った。学歴ロンダリングというやつだ。なので学部からここにいる人達とは天と地ほど脳みその差がある。そういや大学院入試のこの先生の担当の問題「収斂について答えよ」が字が読めなくて意味がまったくわからなかった。答えを適当に書いたがよくあれで受かったな。それにしてもこの展開はコミュ障無職引きこもりかつ豆腐より弱いメンタルには絶大な精神的ダメージだ。壁際で無表情で突っ立っているだけだが感情がないわけではないのだ。まあいつものことなんだけど。国立大の独立行政法人化で長期的な研究が少なくなった事とか教官の学生に対するサポートについてとか外来種問題についてとか倍率が下がると優秀な学生が集まらないとか興味深い話題も聞こえたのでもっと話を聞きたかったなあ。夜中まで語る場ではないし日帰り予定だったので18時過ぎにはお開きになった。
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