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弱さと孤高と

人間の弱さ

時にとても孤独に感じることがある。

自己肯定できない事から疎外感を抱く。そんなことは人だから日常の中でいくらでも有るんだろう。

そんなことを書いていると励ましてくれる方がいる。自分は自分だと。

その言葉に助けられ、自信になり、動いて来た。

周りに知り合いがいる環境の中ならその人となりを理解してくれて。

彼のここはいいとか、彼ならここをやってくれるというところ、そういったことを見れる環境にあるということ。

その幸せをつくづく感じることがある。

一度海外に出たときを思い出す。知り合いの会社で飲食事業の話をもらいいざ渡った時。

使える言語は無く、通訳がいるとしても片言の英語でやりとりをした。1伝えることに全力投球。

今思えば心を通わせるため尽力したこと楽しかった。ただ、飲食事業が会社の方針からなくなり、自分はいるべきではないと見切った。

離れる時は寂しかったな。でも不思議と孤独とは思わなかった。

だけども会社という組織の輪を羨ましく思うときがある。組織の中の○○さんという立ち位置。

これだけで大きな家族の1人になれた気分。会社ってそんなところなんだと、着ぐるみを脱いだときわかった。

そんなマインドを変える為にするべきことは孤高の境地を目指すしか無いんだと思う。

芯がブレないように、磨き上げ、肯定せざるを得ない程の努力をすること。

なにかを創り上げるためには、長年多くの人が携わったコミュニティと同等のものを纏わなければならない。

そうした時に孤高の人を中心に新たなコミュニティが産まれるんだろう。

今やれていることをどのように追求するか。

人間は考える葦である。

弱さを認め、考えて、行動する。

葦は大群落をつくり生い茂るのだと。

そこに行きつく。














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