秋華賞名馬👑🏆ダイワスカーレット👑🏆
名前:ダイワスカーレット (Daiwa Scarlet)
性別:牝馬
毛色:栗毛
父:アグネスタキオン
母:スカーレットブーケ
母の父:ノーザンテースト
ダイワスカーレットの血統
父系統: サンデーサイレンス系(ヘイロー系)
父: アグネスタキオン (1998年生まれ、栗毛)
祖父: サンデーサイレンス (1986年生まれ、青鹿毛)
父: Halo
母: Wishing Well
祖母: アグネスフローラ (1987年生まれ、鹿毛)
父: ロイヤルスキー
母: アグネスレディー
母: スカーレットブーケ (1988年生まれ、栗毛)
祖父: ノーザンテースト (1971年生まれ、栗毛)
父: Northern Dancer
母: Lady Victoria
祖母: スカーレットインク (1971年生まれ、栗毛)
父: Crimson Satan
母: Consentida
近親交配
- Almahmoud 5×5、Lady Angela 5×4 (母内)
生産者:社台ファーム
馬主:大城敬三
調教師:松田国英(栗東)
競走成績
タイトル:
JRA賞最優秀3歳牝馬(2007年)
JRA賞最優秀父内国産馬(2007年)
生涯成績:12戦8勝、2着4回(12戦12連対)
獲得賞金:7億8668万5000円
勝ち鞍:
GI エリザベス女王杯 (2007年)
GI 有馬記念 (2008年)
JpnI 桜花賞 (2007年)
JpnI 秋華賞 (2007年)
GII 産経大阪杯 (2008年)
JpnII ローズステークス (2007年)
ダイワスカーレットは12戦12連対という驚異的な成績を誇り、1971年のトウメイ以来37年ぶりに牝馬として有馬記念を制しました。
彼女は「緋色の風」と呼ばれ、多くの競馬ファンに愛されました。
ライバル関係
ウオッカとはライバル関係にあり、通算で5回対戦しました。
チューリップ賞(2007年):敗北
桜花賞(2007年):勝利
秋華賞(2007年):勝利
天皇賞(秋)(2008年):2センチメートル差で敗北
ダイワスカーレットの母スカーレットブーケは重賞4勝、半兄にはGI5勝のダイワメジャーがいます。
主戦騎手は安藤勝己で、全戦で騎乗しました。
誕生と育成
ダイワスカーレットは、2004年5月13日に北海道千歳市の社台ファームで誕生。
母スカーレットブーケは1988年に生産され、1991年の牝馬三冠競走すべてに出走。
スカーレットブーケは重賞を4勝しましたが、GIタイトルには届かず引退。その後、繁殖牝馬として活躍。
幼駒時代:
ダイワスカーレットは、兄ダイワメジャーが皐月賞(GI)を制した2004年春に生まれた。
出産当初から牧場で評判となり、馬体重は誕生直後の兄ダイワメジャーよりも大きかった。
2歳となった2006年8月に函館競馬場に入厩し、9月には栗東に移動。
性格的に臆病なところやきついところがあり、特にゲートが課題でしたが、松田国英調教師はゲート練習に通常の6倍の時間をかけて克服しました。
🏇ダイワスカーレットの2歳~3歳時代
2006年(2歳)
デビュー戦:
11月19日、京都競馬場の新馬戦(芝2000メートル)でデビュー。
本来は武豊騎手が騎乗する予定だったが、先約があり安藤勝己騎手が騎乗することに。
デビュー戦は1番人気で、2番手から先頭に立ち初勝利を飾りました。その日は兄のダイワメジャーもマイルチャンピオンシップで勝利し、兄妹同日勝利となりました。
中京2歳ステークス:
12月16日、OP戦でアドマイヤオーラと対決し、半馬身差で勝利。2連勝を果たしました。
2007年(3歳)
シンザン記念:
1月8日、シンザン記念(JpnIII)で始動。
ローレルゲレイロやアドマイヤオーラなどの牡馬と対決し、1番人気に支持されるも、アドマイヤオーラに1馬身半差で2着。
チューリップ賞:
3月3日、桜花賞のトライアル競走でウオッカと初対決。逃げから先頭を守りきるも、直線でウオッカにクビ差で敗れ2着に。
安藤騎手は、ウオッカの強さを認めながらも、ダイワスカーレットの更なる可能性に期待を寄せていました。
桜花賞優勝
桜花賞:
4月8日、桜花賞(JpnI)に出走。ウオッカが1番人気、ダイワスカーレットは3番人気。
大外枠からスタートし、3番手の好位置に。スローペースの中、冷静に折り合いをつけ、残り200メートルでウオッカを突き放し、独走で優勝。
母スカーレットブーケと姉ダイワルージュが届かなかった桜花賞を勝ち取りました。安藤騎手は史上4人目の連覇を達成。
桜花賞後、5月20日の優駿牝馬(オークス)に向けて調整されましたが、直前に感冒と熱発で出走を断念。
6月5日には山元トレーニングセンターへ放牧に出されました。
秋華賞優勝、二冠達成
栗東帰厩:
8月10日、栗東に戻り精神面と体質面で成長を見せる。秋のローテーションはローズステークス、秋華賞、エリザベス女王杯に設定されました。
ローズステークス:
9月16日、秋山真一郎から武豊に乗り替わったベッラレイアと対決し、逃げ切り勝ちで優勝。5か月ぶりの出走で連勝。
秋華賞:
10月14日、ウオッカとの再戦。ダイワスカーレットは2.8倍、ウオッカは2.7倍の人気。
激戦の末、ウオッカを抑えて優勝し、二冠達成。三冠競走の最後を飾る秋華賞は、多くの実績馬が揃い、注目のレースとなりました。
ダイワスカーレットは7枠13番からスタート。先頭は1枠1番に譲り2番手で追走。第3コーナーで先頭を奪い、ウオッカを待たずにロングスパートを開始。
迫るレインダンスとウオッカを寄せ付けず、1馬身1/4差で優勝。GI級競走2勝目、牝馬二冠を達成。
エリザベス女王杯:
ダイワスカーレットは11月11日のエリザベス女王杯(GI)に出走。秋華賞3着のウオッカとの再戦が実現。直線の長い京都外回り2200メートルで、古馬勢と初対決。
しかし、当日朝にウオッカが跛行で出走取消。レースは13頭で行われ、ダイワスカーレットが1.9倍の1番人気に。
ダイワスカーレットは楽に先頭を奪い、スローペースで折り合いをつける。
第3コーナーでペースを上げ、直線で内からスイープトウショウ、外からフサイチパンドラの追い上げを寄せ付けず、先頭で入線。GI級競走3勝目を達成。
有馬記念:
ファン投票で4位となる7万4134票を集め、12月23日の有馬記念(GI)に出走。
このレースでは兄ダイワメジャーとの兄妹対決、ウオッカとの4度目の対決が実現。
ダイワスカーレットは8.1倍の5番人気で出走。4枠7番からスタートし、2番手で追走。
第3、最終コーナーで外に持ち出して追い上げたが、内から突かれたマツリダゴッホに独走を許し、1馬身半差の2着を確保。
3歳牝馬による有馬記念2着は、1994年のヒシアマゾン以来の快挙。
2008年:
ダイワスカーレットは古馬となり、春の目標を3月下旬のドバイワールドカップ(G1、ダート2000メートル)に設定。
しかし、2月24日のフェブラリーステークス(GI)でリハーサルを予定していたが、調教中に右目を傷つけたため出走を断念。ドバイ遠征も見送りに。
産経大阪杯:
4月6日、産経大阪杯(GII)でメイショウサムソンなど10頭の牡馬と対決。ダイワスカーレットは2.0倍の1番人気で出走。
レースではスタートから先頭を奪い、直線でエイシンデピュティとアサクサキングスを寄せ付けず逃げ切り勝ち。牝馬による産経大阪杯優勝は1998年のエアグルーヴ以来。
脚の怪我:
この勝利の後、ダイワスカーレットは脚が腫れてしまい、1週間経過しても治らず調教ができない状態に。検査の結果、管骨瘤が判明。
春は全休し、秋から復帰予定。夏は山元トレーニングセンターや社台ファームで過ごすことになりました。
🏇ダイワスカーレットの天皇賞(秋)
怪我からの復帰: 管骨瘤が完治し、7月末からトレーニングを再開。予定より早く天皇賞(秋)での復帰が検討され、9月5日に厩舎に戻る。
増量した体重を減らすための特別な調整方法を実施し、516キロまで減量に成功。
出走メンバー:
14頭全てが重賞優勝馬。ウオッカとの5度目の対決が注目される。ウオッカは1番人気、ダイワスカーレットは2番人気。
レース展開
ダイワスカーレットは4枠7番からスタートし、トップスピードで先頭に立つ。単騎で逃げ、向こう正面に入る。
向こう正面
ウオッカと同じ厩舎のトーセンキャプテンが接近し、ペースを落とせずハイペースで進む。前半1000メートルを58.7秒で通過。
最終直線
ダイワスカーレットが先頭を維持し、追い上げるディープスカイとウオッカに対応。三強が横一線で並び、ダイワスカーレットが盛り返すが、ウオッカがハナ差で先着。
評価と回顧
7か月の休み明け、初の東京コース、ハイペースの逃げ、それでもレコード決着でハナ差の2着。最後の直線での粘り腰は「奇跡のような脚」「驚嘆すべき粘り」と称賛。
安藤騎手は「道中まともに走らせていたなら、結果は違っていた」と述べ、ダイワスカーレットの強さに驚いた。
ウオッカとの対決はこれが最後となり、通算成績は2勝2敗1分。
天皇賞(秋)の後、ダイワスカーレットはジャパンカップを見送り、12月28日の有馬記念に出走しました。
このレースに向けて、彼女の調整は順調に進み、良い状態で臨むことができました。
ファン投票では、13万6千票を集めたウオッカが1位、ダイワスカーレットは僅差で2位でしたが、ウオッカやディープスカイはジャパンカップに出走後、有馬記念を回避しました。
そのため、ファン投票1位の馬が出走しないという、1971年以来の珍しい状況でした。
それでも、前年の優勝馬マツリダゴッホ、引退レースとなるメイショウサムソン、ジャパンカップで優勝したスクリーンヒーローなど、豪華なメンバーが集まりました。
レース展開
ダイワスカーレットは8枠13番からスタートし、最初から先頭に立つ積極的な逃げを見せました。
途中、ペースを少し緩めたものの、再びスピードを上げ、終始レースをリードしました。
後半になると、後方からスクリーンヒーローやマツリダゴッホが追い上げてきましたが、ダイワスカーレットはそれを寄せ付けず、さらに加速して独走態勢に入りました。
最後の直線では、14番人気のアドマイヤモナークが追い上げましたが、ダイワスカーレットの優位は揺るぎませんでした。結局、1馬身3/4差で優勝を果たしました。
歴史的な勝利
この勝利により、ダイワスカーレットは有馬記念での牝馬優勝の歴史に名を刻みました。
牝馬の有馬記念優勝は、1959年のガーネット、1960年のスターロッチ、1971年のトウメイに次ぐ、史上4頭目の快挙でした。
これらの優勝にはそれぞれ特別な状況がありましたが、ダイワスカーレットの勝利は、他の強豪馬たちを正々堂々と打ち破ったもので、「完璧なレース」と称されました。
その他の記録
この勝利は、騎手の安藤勝己と調教師の松田国英にとっても初めての有馬記念優勝でした。
また、ダイワスカーレットの母スカーレットブーケは、産駒(子供たち)がJRAのGIレースで9勝目を挙げ、これまでの最多記録を更新しました。
レース結果では、2着のアドマイヤモナーク、3着のエアシェイディが続きましたが、三連単の払戻金は約98万円という、有馬記念史上最高額を記録しました。
ダイワスカーレットの2009年
目標と計画
5歳となる2009年、ダイワスカーレットはドバイワールドカップを目標に再度挑戦することが決まりました。
フェブラリーステークスをステップにして遠征する予定でした。
トラブルと引退
しかし、フェブラリーステークスの1週間前に左前脚の熱が治まらず、結局フェブラリーステークスを回避しました。
さらに、浅屈腱炎(あさくっけんえん)という病気が判明し、ドバイ遠征も断念。2月18日に引退が決定し、JRAの競走馬登録が抹消されました。
成績
通算成績は12戦8勝2着4回、デビューから一度も2着以下にならないという「生涯連対」という素晴らしい記録を達成しました。この記録はシンザンに次ぐ史上2位の偉業です。
松田調教師の計画
松田調教師は、有馬記念直後に「海外で3つ勝ちたい」と語り、ドバイ、イギリス、アメリカ、日本の4か国を転戦する計画を持っていました。
特に、ロイヤルアスコット開催のプリンスオブウェールズステークス(イギリス)、ブリーダーズカップ・クラシック(アメリカ)、そして日本の有馬記念での連覇を目指していました。