ジャパンカップ名勝負、名馬
皆さんの心に染み入るジャパンカップはなんですか?
私はやはり死闘、レコード、芦毛あの時代にあの時計は有り得ない。よかったらご覧ください😊
名馬オグリキャップ
皆様もその名前くらいは知っているかも知れませんがジャパンカップでの死闘を振り返るついでにご覧ください。
オグリキャップ
生誕: 1985年3月27日、北海道三石町で生まれる
オグリキャップの血統
父系
父: ダンシングキャップ (Dancing Cap)
1968年生まれ、芦毛
アメリカ産
父の父: ネイティヴダンサー (Native Dancer)
1950年生まれ、芦毛
Polynesian x Unbreakable
父の母: メリーマッドキャップ (Merry Madcap)
1962年生まれ、Dark Bay or Brownもしくは黒鹿毛
Grey Sovereign x Nasrullah
母系
母: ホワイトナルビー
1974年生まれ、芦毛
北海道新冠町産
母の父: シルバーシャーク (Silver Shark)
1963年生まれ、芦毛
アイルランド産
Bussion Ardent x Relic
母の母: ネヴァーナルビー
- 1969年生まれ、黒鹿毛
- ネヴァービート (Never Say Die) x Bride Elect
近親交配: Nasrullah 4×5、Nearco 5×5
調教師: 鷲見昌勇(笠松)
瀬戸口勉(栗東)
競走成績
現役期間: 1987年 - 1990年
総成績: 32戦22勝(地方:12戦10勝、中央:20戦12勝)
獲得賞金: 9億1251万2000円(地方:2281万円、中央:8億8970万2000円)
主要勝ち鞍
GI: 有馬記念(1988年・1990年)
マイルCS(1989年)
安田記念(1990年)
GII: NZT4歳S(1988年)
高松宮杯(1988年)
毎日王冠(1988年・1989年)
GIII: ペガサスS(1988年)
毎日杯(1988年)
京都4歳特別(1988年)
オールカマー(1989年)
受賞歴
JRA賞年度代表馬(1990年)
最優秀4歳牡馬(1988年)
JRA賞特別賞(1989年)
最優秀5歳以上牡馬(1990年)
NARグランプリ特別表彰馬(1990年)
顕彰馬(1991年選出)
オグリキャップの誕生と生い立ち
稲葉牧場時代
オグリキャップは1985年3月27日の深夜に生まれました。生まれた時、右前脚が大きく外向しており、自力で立ち上がることができなかったため、牧場関係者が初乳を飲ませました。
このため、牧場の場長である稲葉不奈男さんは無事に成長することを願い、幼名を「ハツラツ」と名付けました。削蹄によって右前脚の外向は徐々に改善されました。
母馬ホワイトナルビーは乳の出が良くなく、授乳を嫌がることもあったため、ハツラツは痩せこけていました。しかし、旺盛な食欲で雑草も食べるなどし、2歳の秋には他の馬と見劣りしない馬体に成長しました。
気性面では、他の馬を追い越そうとする負けん気の強さがありました。
美山育成牧場時代
1986年10月、ハツラツは岐阜県山県郡美山町(現:山県市)の美山育成牧場に移り、3か月間の馴致を受けました。
美山育成牧場では吉田謙治さんが1人で30頭あまりの馬を管理していましたが、ハツラツは1頭だけで離れて過ごすことが多かったため、吉田さんの目を引き、特に注意して調教されました。
吉田さんによると、ハツラツは賢くて大人しく、人懐っこい馬でしたが、調教時には人間を振り落とそうとするなど勝負を挑んでくることもありました。
馬同士のけんかはせず、育成牧場では3、4番手の地位にありました。食欲は依然として旺盛で、その点が馬主の目に留まり、購入の申し込みがありました。
オグリキャップの競走成績
入厩とデビュー
1987年1月28日に笠松競馬場の鷲見昌勇厩舎に入厩し、登録馬名は「オグリキヤツプ」。
1987年
5月19日: 笠松競馬場、3歳新馬戦、2着、ダート800m、タイム: 0:50.1
5月19日にデビュー戦を迎え、能力試験でのタイムが評価されて2番人気に支持されましたが、スタートで出遅れ、3コーナーで他馬に大きく外に振られる不利を受け、最後の直線で追い込むも2着に敗れました。
6月2日: 笠松競馬場、3歳イ、1着、ダート800m、タイム: 0:51.1
6月15日: 笠松競馬場、3歳イ、1着、ダート800m、タイム: 0:49.8
7月26日: 笠松競馬場、3歳イ、2着、ダート800m、タイム: 0:50.3
デビュー4戦目で再びマーチトウショウに2着に敗れました。
8月12日: 笠松競馬場、3歳イ、1着、ダート800m、タイム: 0:49.7
5戦目でマーチトウショウに勝利し、以降は重賞5勝を含む8連勝を達成しました。
8月30日: 笠松競馬場、秋風ジュニア、1着、ダート1400m、タイム: 1:30.3
10月4日: 笠松競馬場、ジュニアクラウン(重賞)、1着、ダート1400m、タイム: 1:29.4
7戦目のジュニアクラウンをハナ差で勝利するなど、すべてのレースで2着を2馬身以上引き離して勝利しました。
10月14日: 中京競馬場、中京盃(重賞)、1着、芝1200m、タイム: 1:10.8
11月4日: 名古屋競馬場、中日スポーツ杯(重賞)、1着、ダート1400m、タイム: 1:29.8
12月7日:笠松競馬場、師走特別、1着、ダート1600m、タイム: 1:44.4
12月29日:笠松競馬場、ジュニアグランプリ(重賞)、1着、ダート1600m、タイム: 1:45.0
1988年
1月10日:笠松競馬場、ゴールドジュニア(重賞)、1着、ダート1600m、タイム: 1:41.8
3月6日:阪神競馬場、ペガサスステークス(GIII)、1着、芝1600m、タイム: 1:35.6
オグリキャップの中央競馬移籍後の初戦として、ペガサスステークスが選ばれました。鞍上は馬主の佐橋さんの希望により、河内洋騎手が担当しました。
地方競馬での快進撃は知られていたものの、当日の単勝オッズは2番人気にとどまりました。
レースの展開
レース序盤は後方に控え、第3コーナーから外側を通って前方へ進出を開始しました。
第4コーナーを過ぎてからスパートをかけ、他の馬を追い抜いて優勝しました。
期待以上の結果
出走前の時点では陣営の期待はそれほど高くなかったため、優勝は予想を上回る結果でした。
レース実況を担当した杉本清さんは、最後の直線で「これは噂にたがわない強さだ」と実況しました。
3月27日:阪神競馬場、毎日杯(GIII)、1着、芝2000m、タイム: 2:04.8
毎日杯の挑戦
オグリキャップの中央移籍後の2戦目として、毎日杯が選ばれました。
レース当日、馬場状態は追い込み馬に不利とされる重馬場でした。多くの人々が、オグリキャップがこの馬場状態にどう対応するかに注目していました。
レース展開
オグリキャップは第3コーナーで最後方の位置にいましたが、馬群の外を通って前方へ進出を開始しました。
ゴール直前で先頭に立ち、そのまま優勝しました。
5月8日:京都競馬場、京都4歳特別(GIII)、1着、芝2000m、タイム: 2:03.6
レース概要
オグリキャップは京都4歳特別に出走しました。このレースでは、南井克巳騎手が鞍上を務めました。この騎手は1989年の全戦でもオグリキャップに騎乗することとなります。
斤量とレース展開
オグリキャップは、このレースで唯一58キロの斤量を背負っていました。それにもかかわらず、第3コーナーで後方からまくりをかけ、見事に優勝しました。
6月5日:東京競馬場、NZT4歳ステークス(GII)、1着、芝1600m、タイム: 1:34.0(レコード)
レース展開
レースの序盤は最後方に位置していました。
向こう正面で前方へ進出を開始し、第4コーナーを通過した直後に先頭に立ち、そのまま優勝しました。
驚異的な走破タイム
オグリキャップの走破タイムは、同レースのレースレコードを記録しました。
このタイムは、前月に同じ東京芝1600mで行われた古馬GIの安田記念で優勝馬ニッポーテイオーが記録したタイムよりも0秒2速いものでした。
河内騎手はレース中に一度も本格的なゴーサインを出すことなく勝利しました。
7月10日:中京競馬場、高松宮杯(GII)、1着、芝2000m、タイム: 1:59.0(レコード)
レース前の注目点
高松宮杯では、オグリキャップは中央競馬移籍後初めて古馬との対戦に挑みました。特に、この年の宝塚記念で4着となったランドヒリュウとの対戦に注目が集まりました。
レース展開
レース序盤、ランドヒリュウが先頭に立って逃げ、オグリキャップは4番手に位置しました。
第3コーナーから前方へ進出を開始し、第4コーナーで2番手に立ちました。
直線でランドヒリュウをかわし、中京競馬場芝2000mのコースレコードを記録して優勝しました。
歴史的な勝利
この勝利により、オグリキャップは地方競馬からの移籍馬による重賞連勝記録である5連勝を達成しました。
10月9日:東京競馬場、毎日王冠(GII)、1着、芝1800m、タイム: 1:49.2
レース展開
毎日王冠では、オグリキャップは終始後方からレースを進めました。
第3コーナーからまくりをかけて前方へ進出し、見事に優勝しました。
記録達成
この勝利により、オグリキャップは当時のJRA重賞連勝記録である6連勝を達成しました。この記録はメジロラモーヌと並ぶタイ記録です。
競馬評論家の評価
当時、競馬評論家として活動していた大橋巨泉は、オグリキャップのレース内容について「毎日王冠で古馬の一線級を相手に、スローペースを後方から大外を回って、一気に差し切るなどという芸当は、今まで見たことがない」「どうやらオグリキャップは本当のホンモノの怪物らしい」と評しました。
10月30日:東京競馬場、天皇賞(秋)(GI)、2着、芝2000m、タイム: 1:59.0
人気とレース展開
天皇賞(秋)に出走したオグリキャップは、前年の秋から7連勝中だったタマモクロスを凌いで1番人気に支持されました。
レースでは、馬群のやや後方につけて追い込みを図りました。
結果
オグリキャップは出走馬の中で最も速い上がりを記録したものの、2番手で先行し直線で先頭に立ったタマモクロスを抜くことができず、2着に敗れました。
このレースでオグリキャップは中央移籍後初の黒星を喫しましたが、天皇賞で初めて連対した4歳馬となりました。
11月27日:東京競馬場、ジャパンカップ(GI)、3着、芝2400m、タイム: 2:25.8
ジャパンカップへの出走
天皇賞(秋)の結果を受け、馬主の佐橋さんはタマモクロスにリベンジを果たしたいと強く思いました。次の出走レースとして、タマモクロスが出走を決めていたジャパンカップが選ばれました。
ジャパンカップのレース展開
天皇賞(秋)の騎乗について佐橋さんが「もう少し積極的に行ってほしかった」と不満を述べたことを受けて、河内騎手は瀬戸口調教師と相談し、先行策を取ることにしました。
レース序盤は3、4番手に位置していましたが、向こう正面で折り合いを欠いて後方へ下がり、第3コーナーで馬群の中に閉じ込められる形になりました。
第4コーナーから進路を確保しつつ前方へ進出を開始しましたが、ペイザバトラーとタマモクロスを抜けず、3着に敗れました。
12月25日:中山競馬場、有馬記念(GI)、1着、芝2500m、タイム: 2:33.9
ファン投票と人気
オグリキャップは、タマモクロスに次ぐファン投票2位で有馬記念に出走が決まりました。
当日の単勝オッズもタマモクロスに次ぐ2番人気に支持されました。
レース前の指示
調教師の瀬戸口さんは、騎手の岡部幸雄さんに「4コーナーあたりで、前の馬との差を1、2馬身に持っていって、勝負に出てほしい」と指示しました。
レース展開と結果
レースでは、オグリキャップは終始5、6番手の位置を進みました。
第4コーナーで前方への進出を開始し、直線で先頭に立ち、そのまま優勝しました。
この勝利により、オグリキャップはGI競走初制覇を達成し、芦毛馬初の有馬記念優勝馬となりました。
作家の山口瞳さんは、有馬記念の結果を受けて「タマモクロスは日本一の馬、オグリキャップは史上最強の馬だ」と称賛しました。
1989年
9月17日:中山競馬場、オールカマー(GIII)、1着、芝2200m、タイム: 2:12.4(レコード)
オールカマーでの復帰
オグリキャップは9月のオールカマーで復帰しました。
騎手には、4歳時の京都4歳特別でも騎乗した南井克巳騎手が選ばれました。この後、南井騎手は1989年の全レースでオグリキャップに騎乗します。
レース展開
レースでは、オグリキャップは5番手を進み、第4コーナーから前方への進出を開始しました。
直線で先頭に立ち、見事に優勝しました。
過酷なローテーションの始まり
この勝利から、オグリキャップは4か月間に重賞6戦という過酷なローテーションに挑み、「怪物伝説」を決定的にする一連のレースが始まりました。
10月8日:東京競馬場、毎日王冠(GII)、1着、芝1800m、タイム: 1:46.7
レース当日
オグリキャップはレース当日に非常に気合が入っていて、管理する池江厩務員も手を焼くほどでした。
レース展開
レース序盤、オグリキャップは後方を進みました。
第4コーナーで馬群の外を通って前方へ進出を開始しました。
ゴール前の接戦
残り100mの地点でイナリワンとの競り合いとなり、ほぼ同時にゴールしました。
写真判定の結果、オグリキャップがハナ差で先にゴールしていると判定されました。
史上初の快挙
この勝利により、オグリキャップは史上初の毎日王冠連覇を達成しました。
10月29日:東京競馬場、天皇賞(秋)(GI)、2着、芝2000m、タイム: 1:59.1
レース展開
天皇賞(秋)では、オグリキャップは6番手からレースを進めました。
直線で前方へ進出するための進路を確保することができず、加速が遅れました。
その結果、先に抜け出したスーパークリークを交わすことができず、2着に敗れました。
南井騎手の感想
南井克巳騎手は、自身がオグリキャップに騎乗した中で「勝てたのに負けたレース」としてこのレースが最も印象に残っていると述べました。
また、ヤエノムテキが壁となり、体勢を立て直してから外に持ち出して追い込まざるを得なくなったことが痛かったとしています。
11月19日:京都競馬場、マイルチャンピオンシップ(GI)、1着、芝1600m、タイム: 1:34.6
レース展開
オグリキャップは第3コーナーで5番手から馬群の外を通って前方へ進出を試みましたが、進出のペースが遅くなりました。
第4コーナーでは進路を確保できず、オグリキャップの前方にいたバンブーメモリーとの間に「届かない」と思わせる差が生まれました。
ゴール前のドラマ
しかし、直線で進路を確保してから猛烈な勢いで加速し、ほぼ同時にゴールしました。
写真判定の結果、オグリキャップがハナ差で先にゴールしていると判定され、優勝が決定しました。
南井騎手の感想
南井騎手は、天皇賞(秋)の騎乗ミスを自覚しており、「次は勝たないといけない」という決意でレースに臨みました。
勝利によって「オグリキャップに救われた」と感じた南井騎手は、勝利騎手インタビューで涙を流しました。
11月26日:東京競馬場、ジャパンカップ(GI)、2着、芝2400m、タイム: 2:22.2
ジャパンカップへの出走馬
ヨーロッパからの出走馬
キャロルハウス:凱旋門賞の勝ち馬で、日本での種牡馬導入が決定。
イブンベイ:オイロパ賞勝ち馬。
アサティス:イタリアのGIジョッキークラブ大賞の勝ち馬で、日本での種牡馬導入が決定。
シェリフズスター:後にセイウンスカイを輩出する予定の種牡馬。
トップサンライズ:ロワイヤルオーク賞勝ち馬。
アメリカからの出走馬
ホークスター:2400mの世界レコードホルダー。
ペイザバトラー:前年の勝ち馬で、この年はGI2着が1回。
オセアニアからの出走馬
ホーリックス:ニュージーランドの名牝で、体調を崩していたが前走でGIを勝って来日。
日本からの出走馬
スーパークリーク:第100回天皇賞(秋)の優勝馬。
イナリワン:第99回天皇賞(春)と第30回宝塚記念の優勝馬。
オグリキャップ:第6回マイルチャンピオンシップの優勝馬。
バンブーメモリー:マイルチャンピオンシップでオグリキャップに惜敗。
フレッシュボイス:宝塚記念でイナリワンに惜敗。
ロジータ:南関東の三冠馬。
注目点
オグリキャップとバンブーメモリーが連闘での出走。
トップクラスの競走馬が2つのG1を連闘するのは近年の中央競馬では珍しく、この点が議論を呼びました。
特にオグリキャップは絶大な人気を誇り、実績的にも有力視されるのは確実でした。しかし、約2カ月で5戦目という過密なローテーションが論議の的となりました。
レース展開
レースは非常に早いペースで進みました。
オグリキャップは終始4番手を追走しました。
結果
オグリキャップは芝2400mを当時の世界レコードである2分22秒2で走破しました。
しかし、ニュージーランドの名牝ホーリックスに次いで2着に敗れました。
12月24日:中山競馬場、有馬記念(GI)、5着、芝2500m、タイム: 2:32.5
レース展開
オグリキャップはレース中、終始2番手を進みました。
第4コーナーで先頭に立ちましたが、その後伸びを欠き、最終的に5着に敗れました。
レース後の反応
レース後、関係者の多くはオグリキャップに疲れが見られたことを認めました。
1990年
5月13日:東京競馬場、安田記念(GI)、1着、芝1600m、タイム: 1:32.4(レコード)
出走変更
当初、初戦として大阪杯が予定されていましたが、故障は見当たらないものの調子が思わしくなく、安田記念に変更されました。
騎手
この競走では武豊騎手が初めてオグリキャップに騎乗しました。
レース展開
レースではオグリキャップは2、3番手を追走し、残り400mの地点で先頭に立ちました。
コースレコードの1分32秒4を記録して優勝しました。
歴代記録
このレース後、オグリキャップの通算獲得賞金額が当時の日本歴代1位となりました。
6月10日:阪神競馬場、宝塚記念(GI)、2着、芝2200m、タイム: 2:14.6
レース前の騎手選択
続く宝塚記念では、武豊騎手がスーパークリークへの騎乗を選択しました。そのため、岡潤一郎騎手がオグリキャップに騎乗することとなりました。
レース展開
オグリキャップは終始3、4番手の位置を保ってレースを進めました。
しかし、直線で伸びを欠き、先頭に立つことができませんでした。
結果
最終的にオサイチジョージをかわすことができず、オグリキャップは2着に敗れました。
10月28日:東京競馬場、天皇賞(秋)(GI)、6着、芝2000m、タイム: 1:58.9
レース展開
最終的に出走が決まり、このレースでは増沢末夫騎手が鞍上を務めました。
レース序盤から折り合いを欠き、直線での伸びを欠いて6着に敗れました。
11月25日:東京競馬場、ジャパンカップ(GI)、11着、芝2400m、タイム: 2:24.1
ジャパンカップのレース展開
レースでは、最後方から追走し、第3コーナーから前方への進出を試みました。
しかし、直線での伸びを欠き、最終的に11着に敗れました。
12月23日:中山競馬場、有馬記念(GI)、1着、芝2500m、タイム: 2:34.2
引退レースの決定
オグリキャップ陣営は、引退レースとして有馬記念への出走を決定しました。
鞍上には、安田記念以来となる武豊騎手が騎乗することが決まりました。
ファン投票の結果
有馬記念のファン投票では14万6738票を集め、オグリキャップは1位に支持されました。
レース展開
レース序盤、オグリキャップは6番手につけて走りました。
第3コーナーから馬群の外を通って前方への進出を開始しました。
最終直線の残り2ハロンで先頭に立ち、追い上げてくるメジロライアンとホワイトストーンを抑えて1着でゴールインしました。
結果
オグリキャップは2年ぶりとなる有馬記念制覇を果たし、見事な引退レースとなりました。
オグリキャップの「奇跡の復活」有馬記念
奇跡の復活
オグリキャップの有馬記念での優勝は、限界説が唱えられていた中での「奇跡の復活」として称賛されました。
このレースは「感動のラストラン」とも呼ばれました。
ファンの反応
レース後、スタンド前でウイニングランを行うと、中山競馬場にいた観衆から「オグリコール」が起こりました。
レース後のコメント
レース後、調教師の瀬戸口さんは「今の僕がこの馬に送るのは『ありがとう』の一言に尽きます」と語りました。
長々ご覧いただきありがとうございました🙏☺️
皆様の胸を熱くさせるレースはなんですか?
世界との戦いを楽しみましょう🥰