配牌と想像力
麻雀においての配牌とは、人生で言うならばこの世に生を受けた瞬間である。その先何が起きるかはわからないが可能性だけは無限大で、億万長者になれるかもしれないしプロスポーツ選手になれるかもしれない。若いうちは自分の持つあらゆる可能性と興味を夢にして、いずれ理解していくであろう向き不向きや環境、熱意などを総合的に考慮した先に己の人生設計が見えてくるものだ。とはいえ男に生まれたらAKBには入れないし、令和の時代に生まれて武士になることはできない。厳密には100%不可能というわけではないが、現実的な話ではないだろう。ある意味無自覚のうちに現実を叩き込まれる人生最初の経験かもしれない。
逆にプロスポーツ選手の両親の家に生まれれば必然的にスポーツを志すことにはなるだろうし、医者の家系ならやはり家業を継ぐことを求められるだろう。環境に選択肢を狭められることもある。
では麻雀の配牌となるとどうだろう。麻雀の一局で、一番選択の余地があるのは配牌だ。巡目が進むごとに向聴数も進み、有効牌の種類も減ってくる。最終的には一本道になることが殆どだ。
無作為に選ばれた最初の14枚には自分の意思は反映されておらず、人生で言うならば性別と生まれた家の豊かさ程度しか決められていない。
個人的な考えでは、麻雀において一番大事なのは第一打だと思っている。同じ配牌を渡されて、100人が100人一致するのはよほど恵まれた手の時だけで、あとは各々の持つ想像力が強く反映されるのが第一打なのではないだろうか。
自分が配牌を開いてまず考えることは「この手がアガリに繋げられるのか?」「この手をアガりたいのか」だ。理想を言えば全局アガりたいに決まっているし、なんなら常に配牌を開いた時点でアガってろ! と思っている。だがそんなのは無理な話なので、兎にも角にも自分に与えられたこの材料は18巡の間にどうにかなるのかというのを見極めたいのだ。
無理だと思った時の話はまた方向がズレて面倒くさいことになるので別の機会に書ければいいと思う。
最初の二択を掻い潜った次は、この配牌をどう料理してやろうかというフェーズに移る。アガれるかもしれないと判断した手を、どんな形でどれくらいの点数でアガるのかをイメージするわけだ。
ここに完全ランダムで生成した配牌を5つ用意した。
![](https://assets.st-note.com/img/1731905620-LWoYNysQVt6lgCmnZvHP9Ta4.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731905564-Wc5HDoOFjZQdEw41vfeVGqh7.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731905564-enMbfSaRA3HI1Ohtq8TGBF2U.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731905564-pGTQ8oghw7kjqZfM150WsyND.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731905985-CzGiaY54ESWfAsJnoBMyDwxQ.png?width=1200)
※全て東1原点持ち西家の想定
画像の下にある◯✕△は左が『アガれそうか』右が『アガりたいか』の度合と思ってもらえればいい。この基準はポジティブかネガティブか、攻めタイプか守りタイプかでも違ってくるが、自分の場合だとこんな感じになる。手を開けた瞬間にまずそれをイメージするわけだが、もう一つとても大事なことがある。
それが『この手の最終形』だ。特に◯を2つ並べた手の時は必須と言ってもいい。アガりたくてアガれそうな手ならば、実際どんな形でどんな打点の手に仕上がるのか、いや仕上げるのか。全てが理想通りに進んだ最高形と、思うような伸びをせず完成してしまった妥協形。勿論配牌時点では最高形のほうを強くイメージするわけだが、道中で現実と向き合わねばならないことも当然ある。
『30歳以下、年収1000万以上、身長180センチ以上、早慶卒以上、酒煙草ギャンブルやらない、長男以外』
マッチングアプリでこんな条件を求める人がいたとしよう。どうせ出会いを求めるなら自分の理想を求めることは何も間違っていない。あっさりと即マッチングで条件を満たす人に出会えることだってあるはずだ。
だがそんなにうまく運ばないこともあるのが現実。一切の妥協を許さず理想だけを求めているうちに年月は過ぎ、もしかしたら自分の求める条件と合致する人とは出会えないのではないかと思ったしまう瞬間が来るだろう。とはいえどうしても譲れないことはあるし、最低限これだけあればいいという妥協点を予め決めておけば、マッチング成立自体はそれほど困難にはならないはずだ。最低限すら満たしていないのならば相手しなければいい。
配牌の話に戻すと、一番上の画像で考えた場合最高形はこんな感じだろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1731909775-lbVkh6GEWpLC1gj2sDPc0e9r.png?width=1200)
三面張でどれをツモっても満貫以上、ド高めなら一発や裏で倍満まで見える素晴らしい手だ。
門前で進行してリーチまでいくとした場合の最大がこれだとすれば、与えられた材料から考えた時の最低限ラインはこれくらいだろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1731941265-dHoajCwSGRxQtUW91M0zZ6AI.png?width=1200)
色々と崩れてピンフだけになってしまった場合だ。最初は三色だったり一通だったりを見つつ、メンタンピンドラやドラがないまでもないメンタンピンみたいな手をイメージしていたがツモが噛み合わずこんな最終形になってしまったというイメージか。
両極端な形になってしまったが、どちらになるにしてもいらない牌が配牌にある。一萬だ。その瞬間の受け入れがないからいらないのではなく、思い描くアガリ形に存在していなさそうな牌を切る。この手で言うと一萬の対子や暗刻はどんなアガリになったとしても残っていない、だから切る。意外とシンプルな話だ。
これくらいの手だとかなりわかりやすいものではあるが、もう少しバラバラだとしても最初に選ぶべき牌は『自分の想定するアガリ形に不要な牌』と考えればいい。メンタンピンなら么九牌を、ホンイツなら種類が少ない牌を。高校で野球とバスケとアメフトをプレーしつつ、自分がプロに進むとしてどれが一番向いていそうなのかを吟味するアメリカの学生のように、時間があるうちにあらゆる可能性を考慮する。それが第一打の選び方だ。
結局はツモ次第ではあるのだが、最初にイメージができているとできていないでは、最高形をキャッチできる可能性がまるで違う。
アガりたくてアガれそうな手を逃さないということ。そのために時間を多少使ってでも第一打は吟味すべきだろう。
そしてその想像力が強ければ強いほど選択肢は増えるし、最大を取り切ることが増えるはずだ。配牌にはいつも無限の可能性があるのだから。