なぜ佐々木寿人は最強なのか

 先日友人と話している時に、強いと思うMリーガーは誰だと思うかという質問をされた。その話題になると自分はいつも決まって佐々木寿人の名前を挙げる。他にも何人か名前は出すが、何年も揺るがず名前を挙げるのは佐々木寿人だ。
 そしてそう答えると決まって微妙そうな顔をしながら「好きな人と強い人って違うよ?」みたいなことを言われるのだ。もうそんなことは織り込み済みなので強く反論することはなく、誰がなんと言おうと俺だけは信じてると言っている。例に漏れず今回もその程度の返答しかしなかった。
 どうも自分の周りにいる麻雀打てる勢やプロからの寿人の評判は芳しくない。雑魚狩りだの選択が雑すぎるだの辛辣な言葉が飛んでくる。
 それでも自分だけは声を大にして言い続けたい。佐々木寿人は最強だと。その理由を形に残して自分に刻むのがこれを書く理由だ。


一つ目の強さ、対応力と適応力

 現代においては麻雀というゲームの解析も進み、ソフトが最善手を示してくれるくらいに便利になった。当然プレイヤーの能力も底上げされ、元々強者と言われた人間は更に強くなれる。
 そんな中で令和麻雀と対極にあるとまでは言わないが、およそ現代麻雀のセオリーに忠実とは言い難い佐々木寿人がなぜ最強の一角として君臨できているのか。
 寿人はプロ麻雀連盟のA1リーグに昇格してから4年で四度の決定戦を経験しており、うち三度は戴冠。MリーグにおいてもMVP獲得を含む6年で五度の個人スコアプラスに、今年も11月12日現在約200ポイントのプラスで個人2位につけている。
 まず一つ寿人の強さがここにある。よくMリーグで成績が伴ってこない選手に対してよく言われる言葉が「赤ありが下手」「競技ルールしか打てない」だ。
 ちょっと待ってほしい、割と最近活躍し始めた女性プロ以外は競技麻雀と同じかそれ以上に一発赤ありのフリールールを打ってきているのだ。厳密にはMリーグルールとは違うが、経験が足りないと言うのはお門違いだと思う。じゃあなぜ片方しか活躍できないかといえばそれは実力不足か運が悪いかのどちらかだ。実際年20半荘から30半荘程度の回数で結果を出し続けろなどと言われても、麻雀のゲーム性上それは決して容易ではない。
 本題に戻すとそれでも寿人は勝っている。両方とも。圧倒的に。両極端な二つのルールであるにもかかわらずだ。なぜかと言われれば対応力と適応力が極めて高いからだろう。
 一発赤裏ありのオカありウマが10‐30のルールと一発赤裏なしオカなしウマが基本4‐8のルールでは当然手作りも押し引きも変わってくる。強者は当然そこに答えを持っていて、郷に入っては郷に従うではないが、ちゃんとルール毎に違った打ち方をするものだ。そして恐らく寿人はその能力に長けている。Mリーグに出た翌日鳳凰位決定戦を戦っていたこともあった。なぜそんなことが可能なのか本人に問うたならば「え?そんなの普通でしょ」くらいの答えが返ってくるだろう。「プロとして──。」が本当の答えかもしれない。
 対応するのがルールなら、適応するのは面子だ。Mリーグで勝てないのは実力不足か運が悪いからと書いたが、自分の言うところの実力というのは当然ルールや面子への適応力も当然含んでいる。基本強者が多いとされる各団体のトップリーグに対してMリーグは玉石混交だ。その中で結果を残すためにどうするかと言えば、石とぶつかった際に徹底的に叩くべきだろう。
 例えばプロ野球でとんでもなく弱い球団があったとして、自球団以外の4チームがそこに対して貯金を3個しか作れない中で20個の貯金を作った結果、見事に優勝したとしてそれは恥ずべきことだろうか? それと同じ話だ。
 麻雀の必勝法が何かと問われれば、それは明確な弱者とひたすら打ち続けることだと言うだろう。Mリーガーを明確な弱者扱いするつもりはないが、やはり勝てる時に勝てる相手から稼ぐのが基本なのは変わらない。そして寿人の麻雀はそういう場面で最大値を取れる。だから勝つ。強者とあたったらある程度運勝負になるのは当然のことなのだから。ルールと面子へのアジャスト能力、これが一つ目の理由だ。

二つ目の強さ、選択の速度と常時一定の所作

 次に出てくる強みはこれはよく言われることだが、あの唯一無二といっていい速度である。とにかく選択に迷いがない。リーチもツモも点数申告もチーもポンも押しも降りも全てに無駄がない。そして当然のように表情や所作にも変化がない。
 これをすることによる最大のメリットはやはり相手に余計な情報を与えないということだろう。速度も表情も所作も一定だと、リーチが高いか安いか良形か愚形か、危険牌を掴んだのか有効牌を引いたのか、何一つ察することができないのだ。
 例えば親リーチを受けた一発目、1副露してタンヤオドラ赤の二向聴で安牌なし。持ってきた牌はリーチに無筋の危険牌だったとしよう。それが不要牌なら寿人は秒速でツモ切るし、有効牌なら手の中にある他の不要牌を切って攻めるだろう。
 これが同じ選択をするにしてもノータイムでやることで周りからするとこれは聴牌しているに違いない、下手するとリーチの現物で高い手を張っているかもしれないと思うわけだ。
 逆にそんなに攻める気もないが安牌ゼロなのでとりあえず少しでも安全そうな牌を切るのだとしてもそれがノータイムだと降りたいのに手詰まってるのか押しているのかが周りからはわからない。敵が土俵から降りたかどうかがわかるのとそうではないので与えるプレッシャーが全く違うのだ。対人ゲームにおいて人間から滲み出る情報というのは大きな価値があり、一流はそれを相手から感じ取ることはできても自分から情報を与えることは少ない。
 人によっては降りるならもっと考えて絞り出せよと思うかもしれないが、寿人はそんなこと基本的に待ち番中に考えているはずだ。点数申告が異常に早いのも同じ理屈である。もちろん3分考えて切ればより良い答えが出ることもあるだろうが、それをしないことによって生まれるデメリットよりも即断することによるメリットのほうが大きいのではないかと個人的には思う。まあそんなのは余計なお世話で実際のところ寿人が持つ優れた能力の一つである『局面の変化に対する準備』があるのだから特に問題はないだろう。
 実例は出さないが、Mリーグでは危険牌を掴んで露骨に顔を歪め、溜息混じりにツモ牌をラシャに叩きつけるような場面がよく見受けられる。エンタメだからと言われればそれまでだが、損得もさることながら個人的にはそこに感情が出ないのは本物のプロだと感じるし一流の証だと思う。

最後はここ数年の進化でもあるメリハリ

 三つ目は『メリハリ』だ。押し引きがとにかくはっきりしていて、攻めも守りも中途半端なことはまずしない。行くと決めたら基本的には地の果てまで行くし、降りると決め込んだら筋を追って粘るとか中途半端なことはせずに後々のことまで考えながらしっかりと降りていく。これが意外と難しい。
 寿人が降り打ちしたり手詰まりする場面を見る機会が極端に少ないのは多くの視聴者にも共通の見解だろう。麻雀は最短八局で、理想を言えばその全てで加点をしたい。そもそも全局で加点したら連荘を含むから八局で終わることはないがそれは置いておくとして、全局加点などまず無理な話だから勝負所の見極めが大事になってくる。かつてノーガード戦法に近いスタイルだった寿人が近年はガードを固める場面が増えて、KO勝ちこそ減ったがKO負けすることもかなり減ったような気がしている。
 そしてこれは本当に称賛すべきことだと思っているのだが、人間どうしても欲があるから中々手が入らないとどこかで無理してアガリを取りにいきたくなる場面が出てくる。寿人はそれが少ない。攻める価値のある手が入らなければ半荘すら捨てるのを厭わないことがあるように思えるのだ。ラス目の親番などでは多少レンジを広げて攻めることもあるだろうが、この半荘いたっけ?と思うくらい存在感を消していることが実際にある。
 逆に50000点持っていようが攻めを決め込んだ時には焼け野原になるまで攻め尽くすのもよく見る光景だ。
 一人の寿人ファンからすると調子のバロメーターとして見ているのが『良い放銃の回数』なのだが、寿人が唯一マイナスで終わったシーズンはその『良い放銃』が極端に少なかった。まあとにかく手も入らないしキツかった年ではあるのだが、そのシーズン唯一覚えているのがオーラスに親の園田相手に満貫の一向聴か何かから鬼のようなプッシュをして放銃したシーンで、結果放銃にはなったもののこれをする寿人は強いぞと思ったものだ。放銃してもいいからここは全ツしてほしいと観戦しながら思っていた記憶がある。放銃してアガってアガって放銃してというリズムが一番寿人らしいし、勝つ時の王道パターンだと思う。
 要するにメリハリというのは勝負所の見極めであり、その精度が感覚として備わっているのか緻密な思考があるのかは素人の自分にはわかりかねるが、とにかく寿人の強さの根幹には間違いなくこの要素もあるだろう。
 その他にもメンタルの強さであったりリーチ率の高さであったりと強さの理由は存在しているし、そもそも自分ごときがどれだけ寿人のことを理解しているのかという疑問もあるので、この三つに絞っている。
 
 
 最近は自分で麻雀をしていても若い頃のような速度では打てなくなってきた。できるだけ早く打とうという気持ちはあっても脳はともかく身体がついてこない。だからこそ佐々木寿人の麻雀に憧れや尊敬があるのだろうし、願わくば可能な限りはあのスタイルを模倣したいと常々思っている。
 佐々木寿人はなぜ最強なのか。それは常に最強であるための準備を怠っていないから。改めて考えてみると、そんな結論になった。



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