「偽善者」の対義語
これをネット上で調べると、「そんなものは、無い」という回答が得られる。
確かに、「善」の上に「偽」が付くのだから、単純に文字の意味のみで考えれば「偽善」の対義語は「真・善」となる。しかしこのような認識は一般的には無い。もしあったらネット上で質問されることも無い。
「偽善者」という言葉は強力で、そもそも反論も反証も出来ない。
もし仮に「偽善者」と言われた場合に「何を言う。私は真の善なる者だ」などと言おうものなら余程の痴れ者か傲岸不遜のいずれかと思われるだろう。これをさらりと言えるのは地球上でドナルド・トランプただ一人だけである。
そもそも「真に善なる者」などいるだろうか。そんな者が本当にいたとしたら逆に怖くてしょうがないではないか。また、反証としてなんらかの「善行」をして見せたとすればそれこそ「善なる者としての承認を求める行為」であり、それこそ「偽善」でしかない。つまり、このたった一言で八方塞に追い込まれてしまうのだ。
ここで「偽善者」という言葉では無くてその言葉が発せられた状況と、その言葉を発した張本人の態度(atitude)を確認すると問題の本質が見えてくる。
実際に「偽善者」と言われて「そうか、僕は偽善者だったんだ!」と気付かされて今度は自分が他人に「この偽善者!」と言って回るようになったというおかしな話がある。まるでバイオハザードの様相である。
この「偽善者」という言葉においてはまずその行為が「偽善」であるという証明をしなければならないのだが、その根拠の殆どが憶測による言い掛かりに過ぎない。しかしこれもまた「それが憶測に過ぎない」と証明するのはほぼ不可能である。言い掛かりを付けられた側がそれが嘘であると証明しなければならない、というのは現代日本における裁判と同じくらい不条理だ。
しかもこの言葉を発する者においては「俺は偽善者を許さない」と黒板に書きなぐる程に(昔、そんな事件がありました)自らの正義を信じてやまない。相手を「偽善者」と罵るのは相手を「悪」として裁く行為であり、つまりその者は「正義」である事が前提となる。そして、このような「正義」は「正義中毒」という言葉が示す通り、内面においては快楽なのだ。
とどのつまり「偽善」という言葉で相手を責めるものにとってはその者の行為が善か悪か、などどうでも良い。どのみちそれが良い結果をもたらすかどうかは結果論に過ぎないのだが、それよりも問題なのはその言葉を発する者のありようなのである。どうにかして相手を裁きたいが為に嘘を喧伝する、もしくはそのナルシシズムを通して決めつけた他者の心情を「事実」として触れ回る。
この誰かを「悪者」として貶める行為は政治的行為としては自分を含む大多数の結束をもたらし、「偽善者」として吊るしあげた相手に対しては大多数の優位を形成する。これらの者ほど自己責任論など個人主義的な態度を普段喧伝しているが、やってることは少しも個人主義でなく全体主義であり、また人気を得ることによって承認欲求を満たす快感に溺れている。一つのキーワードは人気なのだ。だから皆で他人を貶めて盛り上がってるところへ注意してくるような人間は「目立つ」。ただ単に「目立つ」というのはそれだけで嫉妬の対象となり、すぐにでも「偽善者」扱いして貶めなければならない。
結論として、国語辞典に載せるわけにはいかないものの、これらの状況からして「偽善者」の対義語は「確信犯」になるのではないだろうか。
最近他人を「偽善者」呼ばわりするアホに粘着荒らしされて辟易しているのだが、一つ発見したのは他人を偽善者呼ばわりする者は「自分は絶対正しい」(つまり、神のポジションに勝手に就いている)と信じていて、そこから生まれる「真実」(間違っても「事実」ではない。「真実」と「事実」は違う。「ミステリと言うなかれ」にある通り、事実は一つだが真実は人の数だけある。己の「真実(と言う名の思い込み)に絶対の確信を抱いている。それ故に頭から他人を何が何でも「悪」と決めつけ続けるのである。
これを「可哀そうな人」と言うのは感想であり差別に値するが、「頭のおかしな人」と言えばこれは事実だ。そして困った事に「頭のおかしさ」は変異しながら伝染するのだ。誰かに「偽善者」と呼ばれて以来、「偽善者」と言う言葉で他者を裁きまくるようになった、という話はまるでバイオハザード系の「脳を侵されて宿主の言いなりになるようになった」という恐怖映画のようだ。
ただ、これを単に「頭がおかしい」で片付けるのも短絡的で、「偽善者」と言い出す前に、まずその人によって自分が「悪者」であるとされた、という危機感やそれに対する復讐心、つまり「孤立への恐怖」の高さ故に相手を「偽善者」となじる事で自己の責任や集団内における「孤立」を相手に転嫁する、すなわち「スケープゴーティング」の要素も存在する。
私が偽善者かどうかは話の流れで押し付けてきた痴れ者が最近一人いたが、昔職場で「糞リプマン(仮名)」さんは純粋に真っ黒ですね」と言われたことがある。別にその人に恨みを買われることをしたわけでは無いのだが結構気に入っている。何故なら「偽善者」という言葉で攻撃する奴らは大概グレーゾーンを決め込んでいるからだ。はっきりとしない灰色よりは漆黒の方がいい。もちろん、「偽善者」などというグレーな言葉をつかうような狡猾で卑劣な奴は、そいつに対して冷たく「死ね」と言いたくなる程度には嫌いである。どうせ、腐ったミカンと回路の狂った機械は元には戻らないしリセットも出来ない。