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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

「ジェルソミーナの死因」について

フェリーニの映画「道」の登場人物であるジェルソミーナの死について考察してみたい。もちろんネタバレなのでネタバレが苦手な人はここで記事を閉じよう(と言ってもタイトルの時点で既にネタバレである)

大道芸の相方であるザンパノの数々の行為にショックを受けて意識がおかしくなっちゃったのは確かではあるが、そこに至るまでの「流れ」というものが存在する。

1.貧困家庭に育ち、頭が弱いゆえに社会に適応できない。
  
この時点であちこちで「余計者」扱いされてあっちへ蹴とばされこっちでつまづき、という不遇の人生を送ってきたことは想像に難くない

2.ザンパノに1万リラで売り飛ばされるがその生活は決して楽ではなく、また大事にされてるわけでもない。
3.綱渡り師にどうにか肯定してもらうが、その綱渡り師は非業の死を遂げてしまう

ザンパノに寄り添う事で得ていた存在意義もザンパノの数々の所業により木っ端みじんに打ち砕かれる

4.結局はザンパノに置き去りにされて保護されるもののろくに食事も取らず、そのまま死を迎える。

置き去り前と置き去り後でジェルソミーナの心境の変化はほぼ無いと考えられる。

結局のところジェルソミーナを死に至らしめたのは彼女自身において積み重ねられた「絶望」だったと考えるほかない。今で言うところの「絶望死」であり、食事を摂らなくなったというのがその論拠である。つまり「自死」である。

「自死」をする人は死にたくて死ぬのではなくて、「苦しみを止めるため」に自死を選ぶ、という話がある。つまり、ジェルソミーナの死は現代にも通じる。逆に、昔からこのような「絶望死」というのはあったのだろう。

例えば「過労死」なんてのは「視野狭窄」において起こる、と漫画でも描かれているけど、やはり「苦しみを止める」という点においては共通点がある。

最近ではネット上の嫌がらせによって死に追い込まれる人がいる。ねちねちと粘着を繰り返し、相手のセルフイメージを損壊させて絶望に追い込んで死を選ばせる。「自殺しろ」とは言わない、加害者は自殺教唆にならない範囲で巧妙にそれをやってのけるが、自殺教唆は本人が死なないと成立しないというのはあまりにおかしい。刑が軽いのも「自殺は本人の意思による」というのが理由らしいが、そもそも正常な判断が出来なくなっている人に「正常な意思」など存在し得ないのではないか。なので今後は攻撃を受けた側の生死に関わらず、AIなどによる判断で自殺教唆罪を適用して住所氏名勤務先の全てを白日の下に晒して財産全てを没収して所得は「健康で文化的な最低限だの生活費」を残して全部徴税、ぐらいの刑罰はするべきである。どうしてそこまで?と思うかもしれないが自殺教唆は洗脳の一種であり、あのオウム真理教の教祖松本智津夫にも通じる危険な技だからである。

私にも最近「年間読書人」なるクリエイター(*1)から自殺教唆を目的としたコメントが連日寄せられているが、私はどちらかと言えば自殺などする前に直接会って下手をすると2パン入れて、更にうっかりすると暴行死に至らしめてしまうかも知れないし、その方がより好ましいとさえ思っている。何故なら「ザンパノは私」だからである。(*2)

(*1) 別の名を「田中幸一」(ペンネーム) 数々の掲示板を閉鎖に追い込んだ「荒らし」として有名。本名:沖泰光(元大阪府警警察官)。(関西人)

(*2) 「年間読書人」(田中幸一/沖泰光)は「道」におけるジェルソミーナとザンパノを二項対立として論じているが、それは無い。彼らは孤独と言う共通点を持った別々の人間である。


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