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トレーラーハウスに辿り着きたい

大学時代、共にバンドをし、気が付けば17年、小さい頃から近所の友達で気が付けば30年、今も会えばとりあえず呑む。

そんな友人たちが居る。

脳で考えた訳でもないので、反射神経というやつで酒の席につくのだろう。酒、音楽が生活の中心だった学生時代の沼から一歩も抜け出せていない。寧ろ抜け出したくない、籠もり続けたい殻、それを確かめるように、長いモラトリアムの中をひたすらに生きていたいと願っているのだろうか。実際私の責任能力は皆無に近い。

普段から息を潜めることが無かった、この感覚。自分の世界の周囲に漂う指標では公にすることが、何となしにはばかられる。中年に近付くにつれ、このモラトリアムは勢いを増して来たように思う。大人になんてなりたくない、なりたくなかった。きっとこのまま生きれるとこまで息をして、諦念の最中、眠り続けるかもしれない。

お互いの時間は出会って馬鹿をやっていた頃のまんまのようであり、少しずつ変化もしている。社会も変化しているし、昔の愉しみが、今は許されないこともあるだろう。

ただ、友と酒を呑む、その世界の中だけでは、そういった常識や道徳、理屈のようなものは要らないよと思う。何故なら世間さまには公表などしないし発信もしないのだから。けっこうなお下劣鬼畜話もするし、非道い話もする。他人を虐待したり踏みにじるような話じゃないよ。念の為。

それを許してほしい。許されないのならこっそりやるよ。実際問題部屋で二人や三人でモニョモニョするだけだから、許されないだろうなという前提感覚がある。子供脳だから。

時に大声で前述したようなお下劣話を居酒屋でするやつがおるが、嫌いだ。他人に聞こえる様に話してくれるなと思う。勝手だが正直胸クソ悪くなるし。そもそも声が無駄にデカいやつ苦手だし。態度デカいやつも苦手だし。

話は若干逸れたが、

気のおけない友と呑んでいれば、ほぼ、どんなことでも、くだらないことも、日々のニュースや、世間の一般的常識、イデオロギーや、個人のつらいこと、ふざけたこと、喋り、議論し、聴き流し、同意し、反対意見も、すべて川のように流れていって、そして時間が深々と更けていく。

そこに残るのは、私が求めるのは、なにか

安心感。

その世界なら安全に笑うことができる。

安全に愉しむことが出来る。意思が伝えられる。そんなとこだろう。

私は結局何処に行っても、自部屋、を構築してしまう。小さな部屋が、自分という存在を認識するのに最も適していると考えているからか。

色々な、切口の話題や意見や議論も、全ての過程は最終の到達点への色付けに過ぎないのかもしれない。自部屋を目指している。

現実世界の、トレーラーハウスを。

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