振り返ってみたら「屋久島」で、だいぶ人生かわってた
こんにちは!デザイナーの meron です。
現在、会社の七夕企画で屋久島に来ております!
それももう今週には終わり、東京へ戻ります。
今回は、そもそも屋久島に訪れるようになったきっかけや、過程を書こうと思います。
以前は話しにくかったことだけど、なんだか今はきっかけは悲しかったのに嬉しいことが多すぎること、与えてもらった影響がとても大きいことから、話すことはネガティブなことではないのかもと感じるようになりました。そして note にも振り返りと共に書いてみようと思いました。
6,800文字と長くなりますが、興味あればお付き合いください。
わたしが屋久島へ来るきっかけになったのは、当時同じ職場で働いていた方が、屋久島で亡くなったからです。
■最初は何もない場所だった
バイト先の全体朝礼前に、課長に突然言われました。
「首には気をつけて」
10年以上前、バイト先の社員さんが屋久島で亡くなりました。
屋久島といえばわたしにとってはとても遠い存在で、鹿児島県ということすらわかってなかった。「もののけ姫の舞台になった島でしょ?」「世界遺産でしょ?」くらいの知識で、行けるなら行ってみたいな〜くらいの存在でした。
それが突然、隣で働いていた方の死によってガツンと衝撃が与えらえた。
その方はMさんといって、写真とお花がとても好きな方でした。
仕事中にお花の話になると休憩時間にファイルを持ってきて「奥さんと○○へ行ってきたんだ!」とたっぷり解説と共に、花の写真をたくさん見せてくれました。
当時のわたしはというと、写真も花も興味が薄く見分けがつかないので、
Mさんの思い出話をたのしんで聞いていました。
ある日、またおしゃべりをしていると「今度、屋久島に行くんだー」とMさん。「あー!もののけ姫の!世界遺産の島!!」と、わたしの全知識を2秒で出し切ったあと、Mさんはいつものように嬉しそうにおしゃべりをしていました。「じゃあ写真をいっぱい撮ってきて、また見せてくださいね!」
でもMさんはそのまま帰ってきませんでした。
登山道で滑落して亡くなりました。高さはたった3メートル。
物心ついてから身近で人が亡くなるという経験が初めてで、とても動揺したし悲しかった。
悲しい、悲しい、悲しい。
普段そこに存在することは当たり前で、突然いなくなるなんて思わなかった。いなくなるってなんだ?3メートルってそんなに高くないじゃんか。なんでだ。悲しい。
感情がうまくコントロールできず、頭がちょっとおかしくなりかけていたところもあります。そのちょっとおかしくなった頭で「行けば会えるかもしれない」と半分本気で思っていました。
そしてわたしはふと思い出しました。
「写真、見せてください」って約束したじゃないですか。
またどんどんどんどん悲しくなっていったんだけど、約束を果たすというのは、待つだけのものなのだろうか?それだったらわたしが、Mさんの見た風景を写真に撮りに行けばいいじゃないか。
それから1年、旅費をためて、写真を練習して。
事故があった時期に、ひとり屋久島へと旅立ちました。
飛行機を乗り継いで、ついた屋久島っ!遠い!
そして思っていたよりもずっと大きい!!
ペーパードライバーだったので、運転は心臓バクバク。
鹿や猿が多い西部のエリアでは、ビビって時速3km。
観光名所を外すと人が少ない。
ひとりでビビりながら森に入ってみる。
Mさんに会えるかと半分本気で思っていたけど、もちろんそんなことない。誰もいないし、なにもないじゃないか!!と実感してきて、森の中で大泣き。自然はそんなおかしいやつを咎めるわけでも拒否するわけでもなく、(当たり前なんだけど)完全放置なので、1年間溜まっていた気持ちと共におもいっきり泣きまくれたのでした。
そしてたくさんの写真を撮りました。
■さまざまな人との出会い
島に来るとMさんに勝手に献杯しにいく場所(ノンアルコール!)
それからわたしは毎年同じ時期に、墓参りじゃないけれど、Mさんに挨拶をするために屋久島へ訪れています。そして、行ける場所はひとりで行ったりして、徐々に登山に興味を覚えたり、屋久島の「なんかわからんけどすごいよなぁ」を感じれるようになっていきました。
けど、そこはひとり。
だんだんと行くところが決まってきて、やることがワンパターンになってきたので、島の人や観光にきた人と話し込む機会が増えていきました。
・レンタカー屋さんのご家族とお茶やごはん
・銭湯を管理してる人間嫌いなフクロウさんとアコギライブ(見た目や動作がフクロウっぽかった)
・宿のおとーさんと釣りやタケノコ掘り
・宿のお客さんたちとの情報交換や晩酌
・車がないという初対面の観光客おっちゃんを乗せて島一周
・地元の方とイソモン採りや水晶探し、山探検
・縄文杉前で観光客の人数をカウントするボランティア
などなど
普段会えないような人たちと、普段聞けないようなおしゃべりや体験をたくさんしてきました。たのしいなー。
そしてふと思うようになりました。知らない人との出会いはどんどん広がっていくけれど、身近な人とはどうだろう?
■父親との交換登山
2018年、1泊2日宮浦岳縦走。淀川登山口〜宮浦岳〜鹿之沢小屋(泊)〜永田岳〜縄文杉〜楠川わかれ〜白谷雲水峡
父親は、幼稚園や小学校の時に遊びに連れて行ってもらった記憶はあるけれど、物心ついてからは正直苦手な存在でした。特に中学〜高校時代は、5分以上話さないのがマイルール。今であれば内容は理解できるのですが、「人は所詮、皆一人だ」と哲学的だったり、法律関係の仕事だったため友達が夜遊びに来ると知ると "責任と賠償" について詰められるなど、当時まだ子供だったわたしは、話すたびに「なんなんだ!」と感じていました。
しかし、屋久島に通うようになって、ある日ふと思いました。
お父さん、山好きだったよなぁ。
屋久島って日本の百名山の100番目って聞いたな。
特に今まで還暦を祝ったり、定年お疲れ様会もしていない…
いっちょ屋久島に招待してみるか!!
今まで父親と二人で旅行なんてしなことないし、深くしゃべったこともないけど、なんだか屋久島の山はとても喜びそうな気がして「よかったら還暦&定年かねて旅費全部出すから、屋久島の宮浦岳登ってみない?」と誘ってみました。
すると…
「その提案のった!!!」
父親作、登山計画書。練り直し&推敲3枚目!
反応は驚くほどの食いつきで(笑)、準備会議と称して何回もご飯に行くし、そこからの綿密な計画立てと情報収集と共有を受けまくり、すごい熱量!飛行機も20年ぶりなのと出発日が別だったため、事前に空港への導線と手順のシミュレーションをしに行ったりしました。
しかもなぜか話がよく合う。
言ってることがおもしろいし、意見を求められる機会も最近出てきました。ああ、昔の父は人にわかりやすく伝えるのが苦手な人だったのか、そしてわたしはそれを少し理解できるような経験を周りから学んでこれたんだとスッと腑に落ちたのでした。
山も本当に喜んでいて、「最近は有人の山小屋でリゾート登山だった。本来の登山というものを屋久島で思い出させてもらった気がする。」とか、垂直分布の植生の移り変わりや森林限界での牧歌的な風景、岩のかっこよさ、山から里が見える!など、さまざまなことに目がキラキラしていました。
連れてきてよかったなぁ。
そして父は長野出身なので、「夏は北アルプスとか素晴らしい山々をお父さんが案内しよう!」となり、父親と 屋久島⇄長野 の年2回の交換登山が去年より始まりました。まさか古希を前にして、父親と登山を一緒に始めることになるとは思ってもみなかったです。
2019年の夏は2泊3日の槍ヶ岳に父親と行ってきました。 中房温泉〜燕岳〜大天井岳〜大天荘(泊)〜東鎌尾根〜殺生ヒュッテ(泊)〜槍ヶ岳〜上高地
そして気づけばMさんが亡くなった年齢とその時の父親の年齢は同じでした。びっくりしたー。たまたまだけど、なんかすごいなとも思う。
■人生を変える人との出会い
屋久島に通うようになってから、遊び方が少しワンパターン化してきたなぁと思っていたとき、友達から「これ meron にオススメしたい!ぜひ読んで!」と、ある本を渡されました。
ちゃんと紹介したくて写真を撮った!
屋久島に興味あってこの本を読まれた方も多いのではないでしょうか?
田口ランディさんの「ひかりのあめふるしま 屋久島」。恥ずかしながら、わたしは友達からもらうまでこの本を知りませんでした。
そして正直、読んだ瞬間におこがましすぎるけど「わかる!わたしはここに書かれているように自然ともっとお近づきになりたいんだ!!」と共感しまくりでした。
簡単に紹介!
仕事の過労からの反動で自然と触れ合いたくなった田口ランディさんが、思い立って様々なアウトドアを経験。だんだんと物足りなくなったとき、自然偏差値の高そうな屋久島に訪れてみた。YNACのエコツアーパックに参加し、ガイドのエム氏、オウ氏、アイ氏から別視点での自然のたのしみ方を学んでいったり、いろんな人に出会う屋久島の旅を書いたもの。
これを読んでから数年が経ったとき、岳人の屋久島特集でYNACが掲載されているのを発見して、「あ!お願いしてみよう!!」と一気に思い立って予約を入れたのでした。お願いしたのはコケ観察の渓流歩き。なんだかその時は「ここに行ってみたい!!」って強く思ったんですよね。
* * *
「小原です、よろしくお願いします。」
本の中の人が出てきた…!という感動が第一印象。
わぁ。オウ氏だ…!田口ランディさんの山の師匠だ!
(オウ氏=小原さんで、わたしのnoteにたくさん登場する方です)
そして個人的テンションが上がりまくり、自分のことを知って欲しくて、屋久島で行った場所や山について「こんなところにも一人で行ったんです!」「あの山はビビりましたー!」などなど、ベラベラと得意げに話してしまいました。 気づけば、ランディさんの本の序盤と一緒状態…
すると少し間があって…
「若ければ山なんて誰でも登れるんですよ。」
なにかグサリと刺されたような気がしました。
それからの会話でも、この人はわたしを「危険なやつ」と思ってるのをビッシビシと感じました。
というのも…
わたしは大学時代のサークルで体育会系な環境にいたので、気合いと根性とヤル気があれば大概なんとかなると思っていたし、社会人になってもそれがうまく成り立っていました。でもそこに隠れていたリスクを一言でグサッと刺された気がしたのです。
そもそもリスク想定や計画立てをしないで、「なんとかなる」とか「たのしー」ぐらいで自然に入ってたら、いつかお前死ぬぞ。そしてそれは迷惑だ。と言う声が聞こえてくるようでした。
ああ、間違いなく今わたしは叱られている…
言葉じゃなく、この静かな間がそうだ…
ツアーの中で時間を共にする過程で、根性論とか精神論だけではダメで、リスクマネジメントや、それを回避する知識やスキルを得ることがまずは必要だとすごく感じて、大いに反省をしたのでした。
帰ってすぐに小原さんに手紙を書きました。それはお客さんだからってその場でチヤホヤせず、なにが大事かをハッキリと伝えるこの人は信用ができるし、そこから学ぶことが多いのではないかと感じたからです。
自分のことに共感してくれたり励ましてくれる人も大事だけど、否定ではなく、相手の悪い部分を指摘してくれる人もわたしは大事だと思います。小原さんはそんな人だなと直感して、なんとか繋がりがほしくなりました。
ガイドさんは人によって合う人が違うと思う。
わたしはとにかく知らないこと・やったことないことを広げたかったし、自然の中でビビらず安全に遊んでみたかった。本の中の言葉をかりると、自然と「お近づき」になりたかった。
けど、人によってはアクティビティ中心が好きな人だったり、名所だけ案内してもらえれればOKな人もいるし、縦走とか島を練り歩きたい人もいる。
それは全部間違ってなくて、そこは自分の中の「こうしてみたい!」を満たしてくれるガイドさんと一緒に歩けばいいのだと思う。
そしてわたしは何年も屋久島に通うことによってなんとなく感じてきたことが、一緒に出かけると「発見」にかわっていくのがたまらなくたのしくなってしまったんです。
それは、わたしの中でとても救いであり、うれしいことでした。
経験はすべて仕事にも活きると思っているし、仕事のジャンル以外で好きなことをもてたことと、それを探究できる環境があることは幸せだと思う。
ただ、多く言われることとしては「そんなこと学んでどうするの?意味ある?」「登山家になるの?学者にでもなるの?」。そこに周りの共感を求めてしまうとダメなんだと理解して、静かにひとりでたのしんでいたし、ちょっと孤独だった。そこに「どんどん食い下がってきてください」と言ってくれたのは小原さんだ。
エコツアーガイドは、小原さんによると「五感の疑問に答えれられるようにする」のだそうです。目に見えるもの、耳で聞こえるもの、香るもの、味、触れるもの。
「あ!これは何ですか?」に「Aです。」だけではなく、「Aですが、このA、なんでここにいると思います?」など、その対象の現状と、その存在背景までを絡めて伝えてくれる。これはものすごい情報量だし、扱わなきゃならないジャンルが多岐すぎる。そして仕入れた情報を常にアップデートしていかなくてはならない。
本何冊分の知識だろう?といつもハッとさせられます。そしてどれだけフィールドを歩いているのだろう。
今回も大きな声出して驚いたり、びっくりしすぎて思いっきり息吸って変な音が出たりしました。たまんないぐらいたのしい!
目に見えるもの聞こえるもの、なんでも疑問に思うわたしにとっては、ベストマッチなガイドさんなのです。
樹木プロファイリング。「そもそもここには何種類の樹があって、現在なにが起きているでしょうか?」。えー!30分以上観察してた 。
そして屋久島の「なんかすごいんだよなぁ」ともんやりと思っていたことを、「何が」おもしろいのかを丁寧に教えてくれる。そして何気ない風景だと思っていた場所が、すごい道やすごい森に変わっていく。
初めて訪れた時、屋久島に何もなかったんじゃない。
わたしの中に何もなかったんだ。
そう理解できた出会いでした。
なので、わたしは小原さんに「人生変える出会い」の一人だと思っているし、これから先、30年は遊んでもらいますから!と本気で言っている。
いてくれてありがとうございます!といいたい一人であります。
■死を介してつながったこと、学んだこと、得たことは、なんだろうか?
小原さんに出会ってから特に考えるようになりました。
もし、Mさんが亡くなってなかったら、屋久島にきただろうか?
写真を撮っていただろうか?
父親と一緒に登山をしただろうか?
気合と根性とヤル気で、酒と仕事に全てを注いでいたのではないだろうか?
かわったこと
・そばにあるものがあって当たり前だと思わないこと、大事にすること
・写真が好きになった
・山の知識とスキルを学ぶたのしみと冷静さをもつ
・父と一緒に過ごす時間
・小原さんとの出会い、広がる自然へのたのしみ方
・研究者の方々との出会い、つながり
・ほぼ日の学校でさらに広がるたのしみと仲間
・すべてをおもしろがれる中庸を少々
Mさんの死の事実は過去なので、もうかわらないこと。
けれどそこから出会いや経験は積み重ねていけるもの。
きっかけは悲しいことだったのに、どんどんたのしくなっていく。
もし亡くなっていなかったら?出会えなかったら?
原因と結果からのみ導かれることだけが全てではないのだと考えるようになりました。確実に言えることは、屋久島にきたらわたしの人生はかなりたのしめることへとかわってきています。
そしてこれを書こうと思えたのも、「定点観測は必要です」と話してくれた六角堂(創作活動で宿泊した宿)のご主人の言葉と場所もあります。
整理するようでなかなかできなかったこの十数年ですが、こうやってじっくり向き合える時間を与えてもらったことはとても感謝です。職場に大感謝だ!!ふだんから毎日とてもたのしんでいるけど、走り続けてました。大事なものを立ち止まって見つめ返す時間が今回できました。
大量のインプットと創作アイデアの種みたいなものは少し収穫があったので、東京でガンガン育ててつくりまくろうと思います。
なんか泣けてきてしまったなぁ。
今回は特に、自己満足すぎる note でした。
自己大満足っっ!! 上等!!
ひゃほーい!!
これをまとめるのに1週間以上かかっちゃったよ!
また「屋久島を学ぶ」シリーズや「今までに撮った屋久島の写真いくつか」など更新していきますので、興味あればご覧くださいー!