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自分が天才じゃないことに傷付いていた話。

子どもとか、部下を「褒める」って結構難しいことだと思います。少なくとも褒めているのだから中々悪い影響を想定しづらいけど、褒め方とか褒めるポイントによっては、本人の成長を阻害しちゃうこともある。

そして私は、褒められた結果長い間傷付き続けるという結果になったな〜というはなし。

私の両親は、テストの点数とか、ピアノが弾けるとかいう個人の現在のスキルに関して、「努力」より「素質」に理由を見つけにいくタイプの人でした。

具体的にいうと、「テストで100点をとるなんて頭がいいね!(テストで100点をとる素質があるね!)」という褒め方、承認の仕方をする感じ。

ちなみに、このように「努力」や「過程」ではなく「素質」や「才能」を褒めていくと「自分は頭が良い」という事実を守ろうとして、難しい問題にチャレンジしなくなる。ということが心理学的にも解明されていて、「頭が良い」「天才」って褒め方はあまり推奨できません。

そして不運にも、たまたま私は発達が早い方で、幼稚園児の時に漢字が書けたり、掛け算ができたりしてしまった。そんな姿を見た両親は大喜びで「この子は天才だ!」と祭り上げてくれた。私人生で「天才」って1000回位言われた自信ある。ほんとに。

でも、学年が上がるにつれて少しずつ分かってくる。自分がさほど天才ではないこと。

テストでは毎回100点をとるクラスメイトがいるけど、私は大体95点。1回覚えたはずの漢字をテストの時には忘れちゃうことがあるし、授業中に答えたものが間違っていることがある。

あれ?おかしい。天才は一回漢字ドリルをやれば漢字を覚えるはずだし、算数の解き方は完璧に理解できるはず。でも、私はできない。

もしかして、私、天才ではない!!!!!????

ここに気付いたのが小学5年生頃。それから、自分がテストで100点を取れないことも、リレーの選手に選ばれないことも、ちょっとずつ受け入れられるようになった。

でも、ここで気付けなかったことが1つ。それは、天才じゃなくても成長していけること。できないことは、できるように練習すればいいこと。その人の素質で全ては決まらないこと。

それに気付けなかったから、私は自分ができないことの全てを「自分が天才ではないから。才能がないから」という理由に結びつけた。高校時代の35点のテスト。部活でスタメンに入れない自分。大学で始めたミュージカルが上手にできない自分。営業プレゼンが上手く行かなかった自分。インプロが上手にできない自分。全部、私が天才じゃないからだと思ってた。

自分が天才じゃないから、今後できるようになる未来は訪れない。その事実に、結構最近まで傷付いていた。

でも、それもどうやら違うらしいことに、ようやく最近気づくことができた。理由はいくつかあるけど、大きく影響したものを挙げてみようと思う。

1、やり続ければできるという成功体験を積めた

社会人になり、自分の会社の製品について仕事を通して長い間向き合うことになった。会社の製品の特徴と、お客さんが求めている製品の特徴を毎日毎日見比べる日々。(もちろんその仕事だけではないが)そんな生活を6ヶ月も続けると、記憶力に苦手意識のある私でも、製品のとても細かい仕様まで完璧に覚えることができた。

あれ、やればできるじゃん。

本当にそんな気持ちだった。

2、振り返りの仕方を学んだ

ひょんなことから教えてもらったインナーゲームという本とその内容。これはW.T.ガルウェイという人が提唱した理論で現代のコーチングの基本となっている。

そこでは、自分がしたことにジャッジして一喜一憂するのではなく、生じた事象をそのまま捉えることで勝手に改善していくという考え方を教えてもらった。

例えば、テニスのサーブ練習をしているとき、狙った場所に打ち込めたから良し、そうでなければだめという捉え方ではなく、今狙ったところから何mくらい左だったな、とただ認識するという感じ。認識すると身体は修正方法を知っているので、勝手に狙ったところに打てるようになっていくらしい。

なんという衝撃

私は今まで、うまく行かないことがあると「できなかった〜〜!」って泣きまくってた。そしてそれが振り返っていることだし、反省しているってことだと思っていた。

でもよくよく考えると、何がうまくいっていなかったのか、どううまくいっていなかったのかなんて何も把握していなかった。

中高と、かなりの時間を部活に注いできたけど、なんて無駄なことをしてきたんだ・・・。悔しい。。。

3、凄い勢いで一蹴された(結局これが一番でかい)

私は人生の節目でお世話になっている師匠が何人かいます。
その内の一人、私が会社員からフリーランスとして活動するにあたり、私に仕事を与えながら、考え方やら生き方やらを凄い勢いでアップデートしてくれた人がいまして。

私が今メインで活動している「インプロ」も教えてもらっていて。そんでもって私はインプロが全く出来ないもんだからうじうじ言うわけです。

「私には才能がないから全然できない(T_T)」

そんなことを言う私に、間髪入れずに師匠が放った言葉。

「くだらねぇことごちゃごちゃ言っとんな〜」

え?

えええ?うそでしょ?

私がこんなに心を痛めて悲しんでるのに?なんなら絶望感すら感じているのに「くだらねぇ」って言った?

でも清々しすぎて思ってしまったのです。「私がこんなに真剣に考えていることって、もしかして超くだらないことなのか」と。

確かに、才能がないからできないって思った瞬間に道が閉ざされるし、そうやって今まで色んな道を閉ざしてきたような気がする。会社の製品のことも覚えられたし、振り返りの仕方も分かったし、才能とか・天才とか関係ないかもしれない。

その可能性に目を向けられうようになった、大きなきっかけだった。

まだまだ道半ばだけど

そんなこんなで、25歳にしてようやく「天才」という呪いから解き放たれてきているように思う。いや、小5から少しずつ解き放たれようとして、今この場所にいるだけかもしれない。

実は衝撃の出来事があったのはこれを書いている1年前で、現在26歳の私は「才能」や「実力」「天才」についてまた更に学びを深めている。(でもこの話はまた今度)

だから、子どもの頃なんか関係ないし、人は変われるし、ずっと成長していける自分でいたいと思う。

人間力、上げていきたいね!

ご覧いただき、ありがとうございます!これからもいろんな体験や学びをシェアしていこうと思います。気に入ってくださった方は、サポートいただけると励みになります♪♪ どうぞよろしくお願いいたします。