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看護師1年目から急性期→老健への転職
私の今までの人生で最大の決断。
まさかこんなに早く来ると思ってなかった転職。
こんなに早く転職ってしていいの?
まだ足掻くことはできない?
これからの看護師人生で不利にはならない?
そして、なによりも
こんなに早くギブアップした自分に今後絶望しない?
迷いしかなかった。
社会を知らない私
世間からどんな目で見られるか知らない私
まずは3年は耐えなさい。と先生からも親からも先輩からも言われたことを無視している私
不安だった。もう看護師は続けられないんじゃないかって。
なぜここまで私が追い詰められ悩んだのか。
それは自分の性格に合ってない病棟に配属になっていたからです。
私はなんとなーくですが、将来的には医療と地域をつなぐ役割、退院支援だとかの仕事をしたいなと思っていました。
でも、まずは自分に向いてるところとかわからんしと思い、特に希望を出さなかったところ、救急病棟に配属になりました。そこからが地獄のはじまりはじまり。
まず、自分の性格も災いしました。完璧主義。
基礎ができてないくせに完璧ばかり求めてできない自分を責める、役に立たない、わたしの居場所はない、先輩の目が冷たい、、、の負のループ。
今まで両親に英才教育を受けさせてもらっていたのもあってか、どの環境にいても
"ある程度はできる子"
でいるのが自分のアイデンティティ、自慢でした。
でも、学校で習ったのとなんか違う技術、自分のキャパを超えた受け持ち人数。救急病棟ならではのなんでもいらっしゃいませな疾患たち。
まだアセスメントする脳もなかったため、観察項目もよくわからず、なぜ先輩に怒られているのかもよくわからず、ただただ目まぐるしく時間が経っていました。
朝受け持ちをしても、昼には一般病棟に送ることも多く、記録する頃には誰のことかわからないことも多々ありました。
そんななかでの一番のストレスが、
私が思っていた看護ができない。
ということ。
学生の時1人受け持ちだけだった実習。それとのギャップがあまりにも大きすぎた。
一人一人の患者さんとしっかりコミュニケーションをとって、人間関係・信頼関係を築いて看護をしたかった。
多分それが出来なかったのが一番辛かった。
ここまで分析をしてから、私は転職をする決意をしました。
3年待たなくてもいいじゃないか。
私がやりたいところのプロフェショナルになってやろうじゃないか。
私が輝ける場所は必ずある
自分が働きたい場所でとりあえず頑張ってみよう。ダメだったらまた考えよう。
とりあえず前向きに考えることにしました。
そして、私のやりたいことが叶う場所は
老健であることに気づき、一人で突っ込みました。
また、老健での私を記事にします。