真田正明『朝日新聞記者の書く力 始め方、終わり方』感想

 朝日新聞コラム「素粒子」の執筆者による、九章から構成された文章術の本である。

第一章 わかりやすく書くルール
第二章 個性が表れる文章に
第三章  気持ちを伝える書き方
第四章 書くときは五感を総動員 
第五章 語感を磨く方法
第六章  季節感をアクセントに
第七章 変化球や裏技も使う
第八章 ユーモアの一振りで一変
第九章 一期一会の文章

「書く力」は「削る力」

 著者はこう述べている。

簡潔明瞭な文章を「書く力」は、実は「削る力」なのだと思います。

 第一章で、いきなり最重要ポイントが述べられている。いろんな文章術の本に書いてあるし、自分でも実感している。多く、長く書くのはだれにでもできる。短く書くのがたいへんなのだ。わたしは英語教材のライターもしているが、つい長く多く書いてしまって削ることになる。いや、商業文だけではない。このnoteもそうだ。いつも2000字以上になってしまう。それを何度か見返して短くしている。だが、「見返す」プロセスを少なくしたい。ゼロにするのは難しいとしても、1回だけ見ればそこそこ読むに堪える文章が仕上がるようにしたいなぁ。

 まず誤解を招いてはいけない。ほんのちょっとした配慮が足りない、語尾が少し舌足らずだった。そんなことで、重大な誤解を招いてしまうことがあります。

 SNSの投稿や、顔も知らない相手にメールする場合の書き方について著者はこう語っている。わたしは、どんな文章だって同じだと思う。一番大切なのは「誤解を生まない文章を世の中に出す」こと。仕事のライティングや校閲は元より、こうしたプライベートな文章であっても「誤解を生まない」ように細心の注意を払っている。自分は校閲者でもあるが、なぜ校正刷りにコメントを入れるか。著者の文が読者に誤解されることのないようにしたいから、コメントするのだ。「誤解を生まない文章を送り出す」はわたしのビジョンである。

書くという行為はいかに自分の記憶の中から書くべきものをスムーズに引き出すか、ということに行きつきます。記憶を呼び覚ます。そのためには記憶を蓄積する手立てとなった、五感を総動員しなければなりません。

 「書くことは記憶から引き出すこと」は別の文章術の本でも見たことがある。だが「そのために語感を総動員」は初めて聞いた。そうだったのか……。この先に具体的な記述がある。

視覚の記憶は情報量が多いものです。
(一般人はすべて記憶に留めておくのが難しいため)象徴的な部分だけが記憶に残っているのでしょう。
視覚の情報は、事細かに文章化することがなかなか難しいものです。ですから文章で再現するときに比喩が使われることが多くなります。

(聴覚については)無音の記憶もある

(最近の日常生活で、嗅覚が重要な役割を果たす場面は減っているようです。だから余計にかもしれません。時折嗅覚によってよみがえる記憶には、動物的で本能的なものを感じます。

(触覚、なかでも「手触り」という語について)比喩によく使われるということは、それだけイメージしやすいということです。手触りの記憶は、たぐっていくといろいろありそうです。

 

 そうなのか。どうも自分の文章がつまらないと思うことが時々あるのは、五感の表現が足りないのかもしれない。昔の記憶を呼び起こすときに五感を思い出すのは難しいだろうから、これからのことを書くとき(つまり、書こうと思う物事を見たり聞いたり食べたりするとき)には、五感をメモしておこう。
 そして、本書からの学びの最後は書き出しについてである。

読売新聞「編集手帳」の書き手であった竹内政明の書き出しの原則
①シンプルである
②日にち、時間から書出さない
③カギカッコで始めない
④地名、人名など固有名詞を避ける

 ③は文章術の本によく書いてあるので、なんとなく覚えていた。カギカッコを使ってしまうと安易な感じがするから、プロは避けた方がよい。
 本書のタイトルにもなっている「(文章の)終わり方」について何かヒントが得られないかと思って読み始めた。書き出しと結末を呼応させて額縁に入った一幅の絵のように締めくくるとか、余韻を残すとか、次の物語を予感させるとか、物語の中に柔らかく包み込むなどが紹介されているが、そう簡単に真似できそうなものはない。これは、そういう終わり方もあるんだと理解しておくに留めるのがよさそうだ。

#わたしの本棚

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