「つらい」と「苦しい」の使い分け

 どちらも苦境にあるときに使う語であるが、辞書等を当たっても、どのように意味合いが違うのか明確に説明されている記述が見つからない。だが、日本語ネイティブはこの二つの語を微妙に使い分けている。どのようなときにどちらを使うのか、さまざまな角度からここで分析してみたい。

1.各種辞典の記述

1-1 国語辞典

 まずは辞書の語釈を見てみよう。以下に引用するが、用例は抜粋である。なお、2語の使い分けが明確である用法、すなわち「つらい」では動詞の連用形について接尾語的に使う用法(「~しづらい」)、「苦しい」では財政的に困難な用法(「経営が苦しい」など)については本稿では触れないために〔省略〕と表記し記述を割愛した。
 
▼岩波国語辞典 第七版(以下、岩波)
つらい【辛い】
①苦痛に感じて耐え難い。「生きるのがつらい」 相手の仕方や態度が、無常・冷酷だ。「つらい仕打ち」
②〔省略〕
くるしい【苦しい】
①体の痛み・熱などや心に感じる圧迫・悲しみ・効果などで、どうにも我慢できない気持だ。つらい。
②困難が伴って、つらい。「苦しい仕事」
③〔省略〕
 
▼明鏡国語辞典 第二版(以下、明鏡)
つらい【辛い】
①精神的、肉体的に負担に思うさま。「残業続きで死ぬほどつらい」
②故意に冷たく接するさま。「つらい仕打ち」
③〔省略〕
くるしい【苦しい】
①耐えがたいほど、肉体的につらく感じる。「胸が苦しい」
②耐えがたいほど、精神的につらく思うさま。「苦しい胸の内を打ち明ける」
③〔省略〕
 
▼新明解国語辞典 第七版(以下、新明解)
つらい【辛い】
①抵抗が大きく、出来ることなら自分としてはその状態から離れたい(そうしないで済ませたい)感じだ。「つらい憂き世」
②堪えがたいほどに扱いがひどい(情に乏しい)。「つらく当たる」
③〔省略〕
くるしい【苦しい】
①肉体的・精神的にがまんの出来ない状態が続き、出来るだけ早くそれから抜け出したい気持だ。「息が苦しい」
②事態の順調な進展が困難な状態だ。「苦しい勝ち方」
③(快くない状態に)堪えられない感じだ。「苦しい弁解」

 ここで3つの国語辞典を見てみた。岩波は「くるしい」の語釈に「つらい」と記述されており、つまり同じ意味としている。明鏡では「苦しい」は「つらく感じる(思う)」。新明解では「つらい」も「苦しい」も「その状態から離れたい(抜け出したい)」「堪えがたい、堪えられない」。すなわち、上記3つの辞書ではいずれも「つらい」と「くるしい」はほぼ同義。
 ただし新明解の「くるしい」の②「順調な進展が困難な状態」については、用例の「苦しい勝ち方」が同じ意味として「つらい」に置き換えられない。よってこれは「つらい」とは異なる記述であり、考える手がかりになりそうである。これについては後ほど考察を試みる。
 

1-2 類語辞典

 


▼角川類語新辞典(以下、角川類語)
辛い(つらい):耐え難い感じである。「貧乏はつらい」。冷酷であるさま。「つらい仕打ち」。
苦しい(くるしい):精神的な負担が大き過ぎたり、痛みがひどかったりして耐え難いさま。「苦しい気持ちを打ち明ける」。困難である。「苦しい仕事」。
 
▼三省堂類語新辞典(以下、三省堂類語)
辛い(つらい):ひどく苦しい。「つらい世の中/運命」
苦しい(くるしい):肉体的・精神的な痛みや圧迫で我慢できない。「苦しい胸のうち」
 
 さて、三省堂類語には「つらい」が「ひどく苦しい」、すなわち「苦しい」に比べて苦しさの程度が大きい語と説明されている。だが、この二つの語はマイナス感情の「程度」ではなく、「種類」そのものが違うのではないか。さらに、上記二つの類語辞典はどちらも「苦しい」には肉体的な意味では「痛み」という語が記されているが、「痛い」と「苦しい」は異なる感覚だ。[i]「頭が痛い」とは言うが「頭が苦しい」とは言わず、「呼吸が苦しい」とは言うが「呼吸が痛い」とは言わない。

1-3 その他の辞典

では、別の辞書も見てみよう。

▼日本語 語感の辞典(以下、語感の辞典。用例は抜粋)
つらい【辛い】
肉体的・精神的にきつく、我慢するのが難しい状態をさす。「仕事がきつくて体がつらい」
体全体に関する苦痛で、「胃がつらい」というふうに身体部位を限定しては用いない。また、肉体的な苦痛が原因であっても、直接にはそれに伴って生ずる精神的な苦しみを表現した感じが強く、「間に立ってつらい立場にある」のようにもっぱら精神的な苦痛の場合にもよく使う。
くるしい【苦しい】
肉体的や苦痛や精神的な悩みで我慢
するのが困難な状態をさす。「生活が苦しい」全体的・精神的な「つらい」に対し、具体的な感覚と密着した感じが強い。
 
▼てにをは辞典(抜粋)
つらい【辛い】
つらい思い出は数限りない。つらい訓練に耐える。つらいことが重なる。つらいところを辛抱する。つらい場面に出くわす。つらい目に会う。つらい目を見る。つらい詫び言を重ねる。細かな活字が目につらい。今更手放すのはつらい。涙が出るほどつらい。
くるしい【苦しい】
苦しい窮地に追い込まれる。苦しい境遇を切り抜ける。苦しい訓練を経る。苦しい経験をなめる。苦しい困窮を訴える。苦しい時代を生きる。苦しい対応を余儀なくされる。苦しい羽目に陥る。滅茶苦茶に苦しい。
 
▼てにをは連想表現辞典(抜粋。出典作品の作家名は省略)
つらい【辛い】
死んでしまいたいほどつらい。身を切られるよりつらい。身を引き裂かれるようにつらい。胸が締めつけられるようにつらい。
くるしい【苦しい】
お腹が張って苦しい。部屋の外から火で焙られているように苦しい。身を引き裂かれるように苦しい。胸が締めつけられるように苦しい。
 
▼基礎日本語辞典(要約)
つらい〔辛い〕
 ある状況に置かれて、または、ある事が原因して精神的に耐えられないほど苦痛を感じる状態。多くは「つらい毎日」「部下の首を切るのはつらい」のように精神的なむごさ・悩みに由来する当人の苦悶状態に言う。
くるしい〔苦しい〕
 がまんできないほど肉体的または精神的に圧迫感を覚え、つらいさま。苦痛を伴う動作を主語や被修飾語に立てる。「苦しい」には肉体的、生理的苦痛の気持ちが強く、「つらい」には精神的苦痛の色合いが濃い。

 最初に挙げた語感の辞典では「具体的な感覚と密着した感じが強い」のが「苦しい」であると説明されているが、てにをは連想表現辞典の用例を見ると「つらい」にも具体的な感覚がある。さらに「身を引き裂かれるように」「胸が締めつけられるように」は「つらい」と「苦しい」でまったく同じ用例がある。それだけこの2語が似た意味を持つ語ということだろう。
 次にてにをは辞典で「つらい訓練に耐える」と「苦しい訓練を経る」を見ると、「つらさ」は耐えるものであり、「苦しさ」は「経る(通り抜ける)」ものとある。ここは注目したい(後ほど考察)。
 なお、「苦しい」の説明について、岩波、三省堂類語、基礎日本語辞典に「圧迫」という語が入っている。これについても後ほど考察する。
 

2.項目による意味分析

 上記の各辞典を踏まえて、肉体面と精神面に分けてどんな場合に使うのかを考えてみた。研究社日本語コロケーション辞典と少納言(KOTONOHA「現代日本語書き言葉コーパス」)、および自身の五感から引き出し、さらにいくつかの項目から分析を試みる。

2-1 肉体的

つらい
 用例:胃炎が/でつらい、頭痛が/でつらい、花粉症でつらい[2]、睡眠不足でつらい、膝がつらい、タバコの煙がつらい[2]、猛暑が/でつらい
 原因:具体的に特定できる
 状態:タバコ、睡眠不足、猛暑のように、原因に対して「つらい」と使う場合と、胃炎、頭痛、花粉症のように症状そのものが「つらい」場合とがある
 身体の動作:患部に手を当てる(「手当て」)か、静かに耐える
 方向性:身体の中に負の要素の何かが存在しているが方向性はない
 解決法:炎症を抑えるなど、この状態を「消滅」させる
苦しい
 用例(疾患):胃が苦しい[1]、高熱で苦しい、息が苦しい[2]、お腹が張って苦しい、胸が苦しい[2]
 用例(負傷):倒れた家具の下敷きになって苦しい、首が絞められて苦しい
 原因:具体的に特定できる
 状態:何か(異物、毒物、不要物、空気、血液など)の流れが悪くなって滞り、溜まっていることで症状が生じている。「胃炎(がつらい)」は症状をさすが、「胃(が苦しい)」は身体のパーツをさすことに注目したい
 身体の動作:何かを求めるようにもがく。あえぐ
 方向性:疾患の場合、身体の内から外に向かう。すなわち遠心的。負傷の場合、外部から(頭部と四肢[ii]を除く)身体に圧迫が加えられている。頸部、胸部、腹部、背部に圧迫が加わると、呼吸、すなわち息の流れが妨げられるために「苦しい」状態が発生する。岩波、三省堂類語、基礎日本語辞典で「苦しい」の語釈に「圧迫」とあるのは、これをいうのではないか
 解決法:滞っているものを「排出」する、または流れを作るか、押し付けて(圧迫して)いるものを物理的に取り除く
 

2-2 精神的

つらい
 用例:眠れなくてつらい、学校に行くのがつらい[2]、(誰かの)顔を見るのがつらい[2]、別れるのがつらい、不安定な身分がつらい
 原因:抽象的なことも多く、具体的に特定できないのに加え、本人にも不明な場合がある(「学校に行くのがつらい」のは、友人や教師との関係、給食、苦手な科目、行事、その他、それともこれらすべてなのかが特定できない)
 場面:何かがうまくいかなかった。大切なものを失う、後からトラブルが発覚するなど取り戻すことのできない状態に陥った。やりたくないことをやろうとしたり、そのことを考えたり、そうなってほしくないことが起こった。無力感がある。自分のことだけではなく、家族や近しい人が幸せではない状態にあるときにも、見ていて「つらい」と使う
 状態:負の要素が存在していたり溜まっていったりして、袋小路で出口がない
 身体の動作:泣く、静かに耐える
 方向性:自分の中に溜まる(求心的)
 解決法:原因そのものや、溜まったものを「消滅」させる。それがうまくいかなくとも、「癒す」ことができれば緩和される。あるいは、身体活動などで「発散(動きに乗せて放出する)」したり、涙を「流す(水分に乗せて放出する)」と楽になる。また、つらさの原因が解消されずとも(眠れなくとも、学校に行きたくないままでも、身分が安定しなくとも)、原因が特定できて「抜けられる」と思えるようになれば、つらさは緩和したり、消滅することもある。
苦しい
 用例:苦しい展開[2]、苦しい立場[2]、原稿が書けなくて苦しい、今日のノルマが終わらずに苦しい
 原因:具体的に特定できる
 場面:勝負などで勝てそうもない、やるべきことが終わらない、成果(結果)が出ない、了承が得られない、何か足りないものがある
 状態:求める何かがあって、それを得うことや、たどり着くことができない。力が足りずに正の方向に十分に進めない。新明解の②「順調な進展が困難」がこれにあたる
 身体の動作:歩き回る、腹部を押さえる、顔をゆがめる
 方向性:遠心的。目標として向かう先があるのに、実際には向かっていない。肉体的な「苦しい」で「圧迫」について述べたが、精神的な「圧迫」もここから連想できる。心や精神面が圧迫を受けると「押さえられている」「自分ほんらいの流れが妨げられている」と思うために「苦しい」と感じる
 解決法:「生みの苦しみ」というくらいだから、成果(物)を出す。あるいは現状から抜け出す。身体の苦しさと同じで、流れを作り出して何か(不要物、異物、成果物など)を出す、あるいは自分自身が「通り抜ける」ことで解決する。涙を流しても楽にならない
 

3.まとめ(意味合いの差はどこにあるのか)

 以上より、「つらい」と「苦しい」の差がどこにあるのかまとめてみた。
1) 肉体的な場合
 「解決法」にあるといえる。「滞っているものを排出する、流れを作り出す」ことで楽になるならば「苦しい」、そうではないなら「つらい」。
2) 精神的な場合
 これも「解決法」にあるということができる。自分自身の状況を含め、「流れを作り出してプラスの何か(成果物)やマイナスのもの(異物、不要物)を外に出したり、自分自身がその状況から抜け出す」、すなわち新明解の①「出来るだけ早くそれから抜け出したい気持ち」や、②「順調な進展が困難」な状態から逃れられれば楽になるのが「苦しい」。状況が動いても楽にならないのが「つらい」。具体例では、涙を出すことで楽になるのが「つらい」。楽にならないのが「苦しい」。
 2語は似通った意味の語であるが、本稿では、「肉体的」と「精神的」に分けて考え、さらにそれぞれの解決法の違いにより使い分けが定まってくると述べた。
 
 
【引用文献】
西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫(2011)『岩波国語辞典 第七版 新版』岩波書店
北原保雄(2010)『明鏡国語辞典 第二版』大修館書店
山田忠雄・柴田武・酒井憲二・倉持保男・山田明雄・上野善道・井島正博・笹原宏之(2012)『新明解国語辞典 第七版』三省堂
大野晋・浜西正人(1981)『角川類語新辞典』角川書店
中村明・森田良行・芳賀綏(2005)『三省堂類語新辞典』三省堂
中村明(2010)『日本語 語感の辞典』岩波書店
小内一(2010)『てにをは辞典』
小内一(2015)『てにをは連想表現辞典』
 
【参考文献】
森田良行(1989)『基礎日本語辞典』角川書店
加藤恵梨(2009)「わびしい」の意味分析,言葉と文化(10),1-10,2009-03,名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/10/10-01.pdf
 
【用例出典】
[1]姫野昌子・柏崎雅世・藤村知子・鈴木智美(2012)『研究社 日本語コロケーション辞典』研究社
[2]少納言(KOTONOHA「現代日本語書き言葉均衡コーパス」)
http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/
 
 



[i] 基礎日本語辞典では、「痛い」と「苦しい」を以下のように説明している。
「痛い」は肉体の部分的な感覚。「苦しい」は全身的または「胸が締めつけられるように苦しい」のように、かなり広い範囲にわたって継続的に受ける圧迫感などによる苦痛。
[ii] 頭や四肢に圧迫が加えられた場合は、脚注1の基礎日本語辞典に挙げたように「痛い」がふつうの感覚。

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