クリーンな文章
実用文はシンプルでわかりやすいことが一番。読み手に負担をかけずに言いたいことを伝えるのが「よい文章」である。
読み手に負担をかけないとは、ノイズがないということ。誰かの話を聞く時、周りに騒音があるとうるさくて内容がつかめない。文章も同じである。
具体的には、誤字や脱字がないこと。呼応表現が的確であること。「決して」ではじまったら「ない」などの否定表現が来なければ、読み手の脳は結語を探して彷徨ってしまう。こういうのが無駄な動き、すなわちノイズである。
そのほか、主語と述語の関係がねじれていない、被修飾語に対して修飾語が明瞭にわかるようにかかっている。共起表現が整っている。たとえば、「汚染が下がっている」という文では、読み手側が「ああ、汚染が少なくなっているということだな」と脳内変換しなければならない。この場合なら「汚染が減少している」または「汚染のレベルが下がっている」が共起が整っている文となるだろう。
さらにフォーマルさ、使われている語や表現の領域が一定であることも大事な要素である。たとえばビジネス文なら書き言葉だけで書かれているべきだ。カジュアルな口語が一部にあると、読み手の脳は「何かの意図があってカジュアルなのか」と探しにいってしまう。具体的には、初出で「クレカ」といった省略語が使われている、会話文や引用文のかぎかっこが省略されている、「ら」抜き、「い」抜き文が使われているなどが挙げられる。その他、敬語レベルが変動している(英語は敬語レベルが変動する言語なので、翻訳のときは厄介だ)、過剰に美しい語が不必要に入っている、など、使用する語彙や表現のレベルが一定であることも、読み手の脳を惑わせない条件となる。
こうしたノイズがないものを、わたしは「クリーンな文章」と呼んでいる。ノイズがないから、読んでいて余計な気を使わず、内容がすっと入ってくる。自分もそこを目指して、日々出力用脳内辞書をメンテナンスし、アップグレードしていこう。実はこのnoteを書く狙いのひとつがそこにあるのだ。