人は、収まるべきところにたどり着く Deacon Blue『Believers』
長い目で見れば、行くところは……
大学院を退学するときに、指導教員(自分の人生の中でも「恩師」と呼べるのはこの人だけだと思う。それを強く言いたいというだけの理由で、以下、「恩師」と書く)に挨拶したところ、こんなエピソードを話してくれた。
恩師には、アカデミックな世界には暮らしていないものの、お世話になっている人がいた。その人が仕事を探していたので、ある大学の教員の募集を紹介したものの、残念ながら、ちょっとしたゴタゴタの末に不採用になってしまった。それを知った人たちは、「もったいない」と大学側の対応を非難したとかなんとか。
ところが数年後、その人は、もっとよいポストに、スルッとつけてしまった。その際に、特に騒動が起きることもなく。恩師に言わせれば、「結果的に、自分が紹介したところより、収まるべきところに収まったことになった」のだそうな。
その話の後に、恩師はこう続けた。
人は、それなりに努力していれば、多少の回り道はあっても、その人が収まるべきところにたどり着く。なので、君はアカデミックな道を離れるかもしれないけれど、君が望んで努力するのならまた戻ってくるだろうし、他に道を見つけて、ちゃんと歩んでいけば、そちらに行くだろう。だから、退学したところで、さして問題はない。
これをポジティブな言葉だと受け止めるか、ドライな言葉だと考えるかは、人それぞれだとは思う。ともかく、この言葉をいただいてから、どのような状況にあっても、地道にやり続けていれば、自分が収まるべきところにたどり着くだろう、という気持ちを抱いている。
だからこそ、自分がうまくいかないときなどは、努力が足りないのではないか、社会のせいにしてはいけないのではないかと、自責の念にかられることもないではないけれど。
結局、長い目で見れば、自然とゴールにたどり着く。逆に言えば、浮き沈みはあっても、行くところは、身の丈に合ったところだよという、厳しい激励だったのかもしれない。
地味だけど本国では人気のバンド
Deacon Blueというバンドは、本国では人気だけれども、日本ではそれほどでもない、という存在かもしれない。イギリス、正確にはスコットランドのバンドだ。スコットランドでの人気は、今なお高いという。
確かに地味ではある。バンド名は、言わずもがなSteely Danの曲から拝借している。1980年代にイギリスに多く現れた、Steely Danに影響を受けつつも、どうしようもなく若く青さが出てしまうブルー・アイド・ソウルのバンドたち。
ボーカルのRicky RossがWater Boysのサポートをしていたところ、バンドを組めば契約できる、と持ちかけられて結成されたそうな。そんなざっくりしたスタートから考えれば、むしろ、よく売れた、と言うべきなのだろうか。
Steely Danのように、謎めいているほどに洗練されている音ではない。むしろ、もっと荒っぽくて、情熱的でさえある。当時イギリスで活躍していた似たようなバンド、Prefab Sprout、Danny Wilson、China Crisisあたりと比べれば、もう少しネオ・アコースティック度数が高いと言えるかもしれない。実際、デビューアルバムの『Raintown』は、ネオアコ系のディスクガイドではおなじみの1枚といって差し支えない。
『Raintown』とは、ジャケットの通りグラスゴーを指しているようなのだが、タイトル曲や「Ragman」ではグラスゴーという街への苛立ちが歌われるし、「Loaded」では人生は不公平なことだらけだと皮肉をこぼし、最後の「Town To Be Blamed」ではこの街が悪いと叫ぶ。なかなか、ささくれだった世界観のアルバムである。
シングルカットされた「Dignity」は、まさに1980年代のUKらしい名曲だ。余談ながら、スコットランドで開催された音楽フェスで、イントロが流れるやいなや観客がサビを大合唱する映像を見たことがあり、「本当にスコットランドでは人気なんだな」と思わされた。
Deacon Blueは、メンバーの脱退を機に、1994年に解散。この際に、ベスト盤を出すにあたり、シングルカットする曲で揉めたという噂もある(そんなことで?)。もっとも、1999年の再結成ライヴをきっかけに活動を再開し、現在もライヴ活動を続けている。
とはいえ、自分の中では、再結成したとはいっても、ライブで昔の楽曲をやったり、思い出したようにコンピレーションでも出したりしているのだろう、という意識しかなかった。2001年に『Homesick』というアルバムが出ていたのに、スルーしてしまっていたし。
ポジティブなポップ・ミュージックというゴール
ところが、2012年に久々に出た『The Hipsters』を聴いて、驚いた。かつてのような、青春を鬱屈させたような気配は強くない。ソウル・ミュージックに憧れ、それを目指している試行錯誤感も薄い。
しかし、明るい。不思議に明るい。
無理やり時代に合わせた、というものではない。老いてもなおみずみずしく、それでいて気取った感じもない。いろいろな経験を重ねた人が至った、シンプルに研ぎ澄まされた明るさだ。言ってしまえば、ありふれたUKロックの質感ではある。まあ、アルバムタイトルには、ちょっと茶目っ気を感じなくもないけれど。
だけれども、メロディーがいい。とにかくいい。アレンジも余計なことをしていない。真っ当に美しい旋律と、ムダのない曲調。それだけで、どの曲も耳を傾けさせられる何かがある。コンパクトになった分だけ、ポップさが増しているとさえ思える。
このとき、自分は一人のリスナーとして、ちょっと恥ずかしくなってしまった。このバンドは単なる同窓会を繰り返していたわけではなく、ライブを続けながら、しっかりと今の自分たちの音を練り上げていた。実直に、やることをやっていた。そうでなければ、全盛期の焼き直しのような音になっていたに違いない。でも、そんなことはなかった。自分はDeacon Blueを侮っていたのだろう。
2014年の『A New House』でも、その魅力は変わらなかった。1980〜90年代のスタジオ・アルバムに漂っていた、翳りのある苛立ちや憂鬱は鳴りをひそめた代わりに、カジュアルで躍動感にあふれたポップ・ミュージックがある。
そういえばRicky Rossは、かつては喉からしぼり出すように叫ぶ歌唱も見られたのだけれど、『The Hipsters』以降、その歌い方は鳴りをひそめた。無理をしていない。大人びることも、若さをむき出しにすることもない。自然体のボーカル。
そして2016年の『Believers』になると、ただただ、「普通にいい曲」しかない。ものすごいフックや凝ったアレンジというのもないし、十年に一度の名曲! と騒ぐようなものはないのだけれど、ただ、どの曲にも、輝くようなポップがある。
結局のところ、デビュー当時とは、音作りも姿勢も異なっているのだけれど、「地味だけれど、よいポップ」という評価は変わらない。かつてのこのバンドが持っていた、ネガティブの裏返しである若さは、20年ほどの時を経て、飾らない若々しさを見出した。
ポップ・ミュージック。おそらくデビューからずっと標榜していたであろう世界に、彼らは収まった。Deacon Blueという存在は、収まるべき境地にたどり着いた。何度も「地味」とは書いたけれど、この境地に達することができる音楽家が、はたして、どれだけいるかどうか。
そして、『Believers』のようなアルバムは、聴くものをポジティブにさせる力もある。実直に自分たちの行きたいところを目指していけば、突き抜けたように、美しいものが生み出せるという証左。
もちろん、誰もがそうなれるわけではないし、運に恵まれないときも、風向きが悪いときもあるかもしれない。ただ、そういうものをすべて飲みこんだ肯定感は、誰が聴いても、確かに感じられるように思う。彼らとて、最初からこうだったわけではないのは、苦々しい現実に立ち向かった『Raintown』からスタートしていたことを考えれば、すぐにわかることだし。
2020年、新譜『City of Love』がリリースされた。「Raintown」でやるせない街へのストレスを吐き出していた彼らは、タイトル曲の「City of Love」で、こう歌うまでになっている。
If you've got the will you've got to keep on going
No matter what the world is saying
No one can stop you, not until
You reach the end and lay down your burden
All that remains is the city of love
自分はすぐれたクリエイターではないし、彼らのように多くの人から人気を集めるような存在になることもおそらくない。ただ、やり続けること、自分の個性を活かす道を見つけることが、その人が収まるべきところにたどり着く方法であることを、Deacon Blueの近作は端的に示している……などと書くと、過剰な思い込みではないかと、笑われるだろうか。
誰もが耳を奪われるような、時代の流れを変えるような、そんな「名盤」ではないかもしれない。しかし、ポップ・ミュージックの魔法は、浮世離れした奇跡だけではなくて、時には、中庸に見える道の中にある偉大さを指し示すこともある。
(その『City of Love』だが、相変わらずのシンプルにまとまったUKポップといった感じで、もう、彼らは完成形を出し続けていくのだろう。すばらしいことだ)