家で聴くための音楽、その3:Andrés Beeuwsaert『Dos Ríos』
今のアルゼンチン音楽がこんなに美しいなんて
家にいることが増えてきた人に、家で聴くとよい感じではないかしら、と感じる音楽を紹介していく連載。
第3回はAndrés Beeuwsaertの『Dos Ríos』(2009)。
自分が、現代アルゼンチン音楽の面白さに開眼したのは、この作品から、といってよい。とにかく、こんなに、たおやかで才気走った音楽が、アルゼンチンに(しかも、たくさん)あるなんて。これを聴くまで、恥ずかしながら、知らなかったのだ。
現代アルゼンチン音楽には、ネオ・フォルクローレと呼ばれるシーンがある。Carlos Aguirre、Aca Seca Trio、Sebastian Macchiなどなど、フォルクローレをベースに、音響派的なアプローチを加えた音楽の作り手たち。彼らは自分たちのルーツを持ちつつ、ジャズ、ロック、エレクトロニカ、ブラジル音楽などを、当たり前に聴いて育ってきた世代だ。
ジャズ〜室内楽〜クラシックを、違和感なく融合した世界観がそこにはある。しかも、ときに音響的でさえあるアレンジは、明らかにエレクトロニカなどを通過した耳によるものといえる。
ネオ・フォルクローレ、とはいうものの、我々の知る「フォルクローレ」そのものとは、かなり毛色が違ったりもする。そのため、明確なジャンル分けが、むずかしい面もあるので、言葉ではなかなか伝えにくい面もあるけれど。
ともかく、そのネオ・フォルクローレの代表格、Aca Seca TrioのピアニストであるAndrés Beeuwsaertのソロ・アルバム。
このアルバムの素性はともかく、その内容を解説するとなると、かなりの詩情が求められるのが、すこしつらいところではある。
ピアノを主体に据えた、室内楽的なアンサンブル……と書くと、一言で終わってしまう。実際、派手なフックは、ほとんどないのだ。そこが、本作の長所。控えめな管楽器や、ボーカルなどの活かし方が、とにかく絶妙。
わざとらしいメロディーを使わず、すぐれた映画音楽のように、情景を浮かび上がらせるような音使い。「ロードムービー的」という形容も見たことがあるけれど、たしかに、アルバムジャケットのような、アルゼンチンの原風景を彷彿とさせる世界観。
初めて聴いたときの、静かな驚きといったらなかった。
1曲目の「Incio」。ピアノによる瑞々しいフレーズがゆっくりと入ってきて、静かに他の楽器や声が重なっていくだけで、ここまで、幻想的な音楽になるものなのか。
そして、続くタイトル曲の、甘すぎることもなく、エスニックに泣きが入っていることもないのに、郷愁を誘われる不思議な旋律と過不足のないアレンジに、ただ、陶然とした。
これはジャズなのか、クラシックなのか、ワールド・ミュージックなのか。どこか懐かしい感触があるのに、ここまで孤高の世界観を持った作品を、とっさに思い出すことができなかった。
鈴のようなパーカッションから始まる「Caracol」は本作のハイライトの1つだろう。Silvia Perez Cruzの歌声は、古代の世界を目の前に呼び起こす、などと大げさな比喩を使いたくなるぐらい、ファンタジックだ。
Eduardo Mateoのカバー「Tras De Ti 」「La Mama Vieja」も絶品。ラストの「Adagio」はClaus Ogermannときた(ボーナス・トラック扱いらしい)。このあたりにも、センスのよさが滲む。
このアルバムが出て、もう10年以上が経つ。世間的にもいろいろと大変なことがあった10年だったし、自分も必ずしも体調がよいわけではなかった。心が乱れたとき、何度も何度もこのアルバムを聴いた。自分の心を鎮めて、調律してくれるような、静かで整った音。
何かと騒がしく、とげとげしい言葉も目立ってしまう今だからこそ、仕事中でも、読書の際でも、家族と一緒にいるときでも、就寝の前でも、そっと流してほしい。あまりにも恥ずかしい表現を使うけれど、ここには、音楽の魔法があるように思う。
CDは廃盤となり、プレミア価格になってしまっているが、今はなきHMV渋谷店で、このCDが1000円で大量に売られていたことがあり、Twitterなどで「お願いだから買ってほしい」と言っていたことを思い出した。
自分でも何枚か購入し、気のおけない友人たちに、プレゼントとして渡したこともある。さすがに、ちょっと押し付けがましかった。若気の至りというほかない。