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ボカコレは『商業的』? ボカロPは活動の目標をどう考えるべきなのか

こんにちは。ボカロPのめりろれっくと申します。
今回は2023年春ボカコレを受けたnoteです。
いつものように自分の曲の紹介と今のボカロ界の分析をしようと思っていたのですが、かなり今回はnoteでの振り返りも活発で、あまり似たり寄ったりにになってもいけないと思ったので、テーマを絞ってnoteを書こうと思いました。

(今回のめりろれっくのボカコレ投稿作品です。前回を超えるマイリスといいねをいただけました。環境音をふんだんに使った世界観重視の和風エレクトロ曲となっていますのでよろしければ…!)

今回のボカコレは約6000曲という過去最高の投稿曲数となり、ランキングの熾烈化がさらに高まったように思います。その中で、上位の楽曲にはクオリティだけではなく長期的な自己PR能力も求められるようになり、セルフプロデュース能力がこれからのボカロPには必須という風潮が高まっています。

(このセルフプロデュースに関してはmukutさんがとてもわかりやすく納得のいく解説をされているので必見です…!)

また、今回は新しくコロコロコミックとのタイアップや、マンナンライフのスポンサー参加、Adoさんが1位の曲を歌うという企画…など、投稿やランキング以外でも動きが目立ちました。

そのなかで、
ボカコレは完全に商業イベントと化してしまった
という意見を見かけるようになりました。

自分はこの意見が感覚では理解できました。上記の動きに加え、ボカコレランキング上位の方々のセルフプロデュース能力、時にはプロのミュージシャンとコラボを行う徹底した音作りへのこだわりなどは、「マーケティング」的な印象を与え、ボカロ界のアマチュア的なイメージとはかけ離れていると思われるのももっともです。

ただ、少し違和感もありました。というのも、昔から有名ボカロPはCDも出すしゲームにも楽曲を提供するし、ボカロ界はそもそも商業的な世界だったのでは?という疑問があったのです。EXIT TUNESの売り上げが全盛だったころより今のボカコレ中心のボカロ界より商業的でないといえる理由は…?

そしていろいろと考えた結果、そもそもボカロPの活動目的に対する価値観は1つではなく、「ボカコレ」というイベントが大きくなることでその価値観同士が衝突しており、それが不満という形で表れているのではと考えました。

そして、その異なる価値観は決して、ボカロP同士の違いではなく、ひとりのボカロPの中でこの異なる価値観の衝突が内面の葛藤として表れているのではと考えました。

そこで、ボカロPの活動における価値観を自分は3つに分類し、どのようなメンタリティでボカロPはボカコレ、ひいては活動全体を考えていけばいいのかということを自分なりに結論付けてみました。

(このnoteは自分の活動をどのように考えていけばいいのかということをよく考えた備忘録の面もあるので、決して誰かに批判・説教をしようとしているのではないのでそこはご理解ください…

ボカロPの3つのボカロ世界観

ユートピアとしてのボカロ世界

DTMのプラグインの技術の進化などで、曲を作ることに関するハードルはどんどん下がっていき、その発表の場としてボカロ界は今一番大きくて活発な場所と言えるでしょう。
作曲家として会社と契約できなければ発表が難しかった時代とは違い、クオリティ知名度作風関係なく誰にでも発表できる場所があるということは多くの「音楽で表現をしたい」という人間の心を救ってきた側面があると思います。そうして自分と趣味の近い製作者との縁もでき互いに認め合える、というユートピアとしてのボカロ世界が多くのボカロPの心にあることは否定できないでしょう。ここにあるのはやんわりとした「競争の否定」と「個性の尊重」という理想です。

フロンティアとしてのボカロ世界

一方で、このボカロ世界をきっかけに楽曲提供などのプロの世界で活躍する方々も目立ってきました。
参加するハードルがが低い分、ここから腕を磨いていずれはボカロ曲以外にも活躍の範囲を広げられるというのは夢のある話です。
ただ、そこでボカロ曲の制作から離れてしまう製作者も多く、「ボカロを見捨てた、裏切った」などという不満にさらされることも少なくありませんでした。
ここではボカロ界の上にさらに高次のステージが想定されていて、いわば勝ち抜け競争的な世界観といえるでしょう。

メインストリームとしてのボカロ世界

しかし、特に若年層のリスナーにとっては、このだれでも参加できるボカロの世界こそ、いわゆる「商業ミュージシャン」の世界よりも親しみやすいものになっています。その結果、ボカロ世界の規模はどんどん膨らんでいき、いまやbillboardにもボカロ専門のランキングが設定されるまでになりました。いまやボカロの世界こそがひとつのメインストリームのジャンルに変化したと言えるでしょう。
この価値観ではボカロ界こそが終わりなき競争の世界であり、ここで多くのファンを獲得することが活動の目的となります。

価値観は心の中で決して割り切れない

ここで注意しなければいけないのは、これらの価値観はひとりのボカロPの中でもまじりあうことが多いということです。その結果、このような思考が生まれやすくなります。

『ボカロ世界はがんばれば自分の今のありのままの趣味・技術で表現しても《評価》される天国のような場所』

これには正しい側面もあります。つくづく感じるのが、自分の周りのリスナー、ボカロPの方々は本当に真剣に、温かく自分の作品を見てくれていていいところも、必要であれば悪いところもちゃんと伝えてくれる嘘みたいな環境のなかにいるように思います。活動のやりがいにもなります。

ただ、この「評価してもらえる」というのを無意識のうちに「再生数」「いいね数」「ランキング」と無意識に置き換えてしまうようなことが往々にあるような気がします、つまり、

『ボカロ世界はがんばりさえすれば、自分の今のありのままの趣味・技術で表現しても競争に勝ててランキングに載って再生数も伸びる天国のような場所』

のような明らかに矛盾している感覚を無意識に持っていないか…ということなのです。

ここまで極端でなくても、誰にとっても自分の曲が見られているかというのは気になりますし、歌い手に自分の曲を歌っていただけると嬉しいですし、曲の提供を依頼されると幸せになると思います。
ボカロPなら誰にでもこのボカロの3つの世界は存在すると考えています。

ボカロPはボカコレをどう考えるべきなのか

このような状況でボカコレが再生数・コメント数・いいねをもとにした「ランキング」を設定していること、そこで多くのボカロPが楽曲を投稿するようになったことで「メインストリームとしてのボカロ世界」がクローズアップされた側面はあるでしょう。
今回のボカコレでネタ曲の扱いなども話題になりましたが、どこまでが「ボカロ曲」というのは非常に感覚によるものが大きいと考えるのでここでは詳しく言いません。ただ確かなのは、ボカロ曲の定義がここまで白熱するほど今のボカコレランキングは真剣な戦いの場所であるということです。

その中でボカロPはどのようなメンタリティでボカコレに、ひいては活動に全体にのぞめばいいのでしょうか。私は上の3つの世界観を分離して心の中に飼っておくことが大事なのではと考えました。具体的には以下の通りです。

ランキング上位を目指して努力することは良いこと

ランキングがリスナーの反応による再生数・コメント数・いいね数をもとにしたものである以上、対策と傾向を立てて努力することは何も悪いことではありません。ルールの範囲内で努力をしている方に反感を持つのは精神衛生上も良くはありません。

ありのままの自分を認めてもらうためにランキングを見ない

それぞれの元々持っている音楽的経験・財力・人間関係などで実の結び方は変わりますし、特に伸びやすいジャンルもありますが、ランキングはユートピア的なボカロ世界とは別の場所にあるのである意味当然です。

ボカロPはリスナーの方々がいてこそ。誰に届けるか考える。

ランキングを重視する考え方は、より多くのリスナーに、もしくは熱狂的なリスナーに刺さることを目標にした曲作りといえるでしょう。
しかしそのような「受ける」曲からは外れたものを好むより限られたリスナーに向けたものを作るというのも素晴らしい活動方針と思います。
自分やりがいを感じる、曲を届けたいリスナーがどのような存在なのか意識する必要があるのではないでしょうか。曲ごとに自分が届けたい層を意識しなおすことが大切になるのかもしれません。

挑戦的な作風はどんどん出すべきだがギャンブルな面もあることを認識する

今のボカロ界隈は本当に耳が肥えてしかも感性の幅が広いので、今回のボカコレでも衝撃的な楽曲がランキングを駆け上って注目されることもありました。受け入れられるかわからないけどとりあえずやってみるというのも大事だと感じます。ただ、それはあくまで「尖った感覚でも受け入れてもらえる」というユートピア的な感覚で作られたものなので、それが多くのリスナーに受け入れられるかは運の要素が大きいということは忘れないようにしたいです。

ユートピア的な思考は常に守っておく

メインストリームの要素が強くなったとはいえ「多彩な表現者を受け入れてくれる」というユートピア的な感覚はボカロ音楽の特徴でもあるし、それに対して共感を覚えているリスナーも多くいるのではと考えています。
いわゆる「プロ」のミュージシャンに共感できないリスナーでもボカロPの作る曲に対して「身近さ」「疎外感や心の傷を理解してくれるような感覚」を覚えやすいことがボカロ曲の好まれるひとつの理由ではないでしょうか。
ボカロPの内面レベルでも、具体的な数字とは関係なくいかに自分の満足いく表現ができているかという評価軸を常に持っておくことが長い活動のためにも必要ではないかと思います。

おわりに

ボカロ界隈がいままで持ってきた多様性というものを、個々人の『ボカロ界隈に対する世界観の多様性』も守るかたちでこれからも進んでいけばさらに健全に大きくボカロ世界は広がっていくのでは…と勝手に考えていました。
『ボカコレ』はその多様な活動の価値観を守り育てていくことが、さらに回を重ねていくことで重要になってくるのではと思います。




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