書きたいことはいくらでもある(兼2023/11/7日記)
思いつきで始めたこの日記もなんだかんだ約一ヶ月続いた。そして二週間も間隔が空くだけで、なんとなく引け目を感じている自分がいる。数年前だったら「まいっか、どうせ大して読まれてるわけでもないし」と開き直りかねなかったから、少し内面の成長を感じる。
更新が滞ったの理由は特に面白いものではなく、両週末にアクティビティがあってただ忘れただけ。ここ数週間で嫌なことが重なって、モチベーションが下がったのも影響はしている。それでも書きたい内容はいつも頭の中にあって、場合によっては下書きに保存したりもしている。ネタを切らしたわけでも飽きたわけでもない。むしろ、後ろがつかえているぐらいで、10/20に残した「ネタ切れに早くなりたい」という不審な下書きもあるぐらいだ。
昔どこかで聞いた「構想を温め続けても何にもならないし、全て出し切ってゼロになってからが本番」みたいな言葉を思い出して書いた。自身の歩みをなるべく止めないことで、インプットとアウトプットのフローを作りたい。特に出し惜しみをする理由も恐怖もない。ガンガンいこうぜ。
もろもろのそもそも論
一方で「大して読まれてるわけでもない」は本当だ。他人が知り得ない有益な情報を出しているとは言いがたいし、たかが一ヵ月で読者が集まるはずもない。そもそも日記以外のエントリーを一つしか書いていないのだから、私個人に興味がある人以外にはあまり魅力的な内容ではないだろう。読む人がいるとかいないとかより、下書き保存されたエントリーがベンチを暖めている方が気になっている。
厄介なことに、人に読まれたいという気持ちもそれほどない。もちろん読んでくれる人がいたら嬉しい。反応があったらもっと嬉しいし、感想なんかをもらった日には喜びのあまり一人踊り出すかもしれない。ついでに嬉ションしておくねでも、あくまでそれは結果であって、目的ではない。改めてnote更新の目的を考えてみたところ、
情報を過不足なく正確に伝える文章を書く練習
自分の中にある思考や知見を言語化する場として
一つのことを無理なく継続することで心の体力を養うため
発表の場に慣れて心の準備をすること
公益性や人々の興味関心を知りたい
似た考えを持つ人に出会ったり、誰かの足しになったりしたら嬉しい
が主で、それに続いて「ついでに反応があったら嬉しい」ぐらいの気持ちでいる。こうして文章化してみると、まあまあ自分勝手にやっているなと思う。他人の目や文章の体裁などは気にしているけど、あくまで自分のためという軽い気持ちで続けるのがいいのかもしれない。同接0人のVTuberになっても心が折れない自信がある(*1)。
別の言い方をすれば、更新する義務はなくても責任は感じている。自分に対する、自分を裏切らない責任。一ヵ月前の「恥」のエントリーといい、なんかインターネットグルみたいなこと言ってるような…。ともかく、今後も続けていって、半年経った頃に振り返りたい所存。日記もいいけど、そろそろベンチウォーマーの下書きから何か出したい。書きたいこともやりたいことも当面は尽きそうにないので、週末に予定があるというだけで忘れることなく、コンスタントに実行していきたいところだ。