泥と絵の具

久しぶりに訪れたどろんこ公園ではイベントが開かれていて、いつもは出ていないツールがいくつか見られた。絵の具もそのひとつ。青空の下、おっきな紙に好き勝手絵筆を走らせるのはさぞかし楽しかろう。子供たちの絵の具遊びは次第にエスカレートし、絵の具のかけ合いは土手まで行き川の中でも繰り広げられた。土手はところどころこわれた。(土手は近隣の小学校が数日前から行っている治水工事の一環で、完成はまだまだらしい)。今日はいろいろやりすぎだ。

風呂と洗濯は通常の倍以上の時間と労力を要した。洋服は何度洗ってもまだまだ濃い茶色が出てくる。さらに、故意的にTシャツに塗られた絵の具なんて落ちやしない、だってアクリル絵の具。「(わたし)そういえば絵の具はどうした?」「(長男)わかんないたぶん泥の中」「(わたし)それは良くないんじゃないかな、次に絵の具を使いたい子はできないよね」「(長男)…。」というやり取りの末、手持ちの絵の具を持って公園にいくことなった。

5時はもう真っ暗。長男は自転車の後ろで半ベソかきながら行くのは面倒だと言っている。そのうち20分弱の道のりで文句は途切れ途切れになり眠り始めた。公園にはまだ人がいて、白熱灯のオレンジ色が点在してそれぞれがほんの一部だけを照らす。さっきまでいた場所とは別世界。少しあやしく、たいへんに魅力的。誰かがギターを弾いている。目を覚ました息子は目をキラキラさせた。

絵の具を持って行ったら、イベント主催の方はわざわざありがとうねと笑顔で受け取ってくれた。この、こどもに関わるこのひとたちの"受け止めてくれる感"。わたしはとてもよくしてもらってきたので、この感じに対して少しでも悪いことをしたくない。今回絵の具を返しに行ったのは完全に私マターで、長男は付き合わされただけだったかもしれない。

帰り道に長男は「絵の具を返しに行った意味はわかった。けど、ぼくたちが泥のなかでなくしたのは3個くらいだから7個くらい持って行ったのは多すぎだと思ったよ。」と述べた。その話の仕方も大人みたいね。いろんな場数を一緒に踏んでいこう、そしてあなたのモラルを自分で作ってくれいと思う。とにかく夜の公園はすてきだったねと、ふたりでうふふと笑った。

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